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自分を信じてみること

人生の小休止としてキャリアブレイクをとる。
苦労して就職活動して、安定した収入を得る生活を手放して、なーんにも未来の保障のない暮らしに飛び込むことになる。
少し前の自分だったら「よくそんな人生賭けた博打やるなぁ」と思っていたと思う。


この記事をみて、思いつくままに少し書いてみる。私がキャリアブレイクの文化に初めて触れたのも、確か北野さんの発信内容だった。

今の職場ではきっと長く働けないだろうことが見えてきて、ぐるぐる悩むことが増えて、twitterで退職がらみの検索をすることが増えていた。そんなある日、キャリアブレイクという文化があることを知った。

実は数年前にも疲れてしまって無職になろうかと考えたことがあった。でもそのときは、誰かのブログに辿り着いただけで、行動には移さなかった。怖かった。
「数か月現場を離れて、またちゃんと雇ってもらえるんだろうか」
「就職先が見つかったとて、すごく条件が下がるんじゃないか」

このときから自分の中でなにが変わったのか。
もちろん、今も怖いことは怖い。わからないことは多分誰だって怖い。
でも信じることにした。
中堅と呼ばれる年齢になるまでこの業界でちゃんと生活できている。次を決めずに辞めると言って、家族も友人も同僚も「あなたなら大丈夫でしょ」となんか信じてくれている。この『なんか』が嬉しくて、自分も自分の未来をなんか信じてみようと思えた。

記事のこのあたりにつながる感覚だと思う。「大丈夫なの?」の心配の言葉はきっとじんわり心を蝕んでいく。

自分の人生を疑われることって、 なんかじわ〜っと、その人の可能性を閉ざしていく感じがありません?

https://mag.proff.io/interview/takahirokitano/

ブランク(空白)をブレイク(小休止)だと捉えるキャリアブレイクの文化があると知ったことも、やはり変わるきっかけとしてとても大きい。自分の気持ちは逃げや甘えなんじゃないかと見ないふりしていたけど、そうじゃないんだと受け入れることができた。

そのときから、このキャリアブレイクっていう文化を広めたら、世の中を少しカラフルにできるかもしれないぞ!って思うようになったんですよね。

https://mag.proff.io/interview/takahirokitano/

今のままでも生活は安定してるし、生きてはいける。多少のしんどさはあっても体や心を本格的に壊すようなことには恐らくならない。でもなんか、日々の彩度が低い。
「生きて”は”いける」って、あまり明るい想像はしづらいこの世の中で数十年耐えた先になにがあるんだろか。
我慢して耐え抜くことが大事な時もあるけど。家族の生活を背負っている人はそんな悠長に考えてられないこともあるだろうけど。
これは私の人生なので、私しか責任とれないのです。

ということで思い切って小休止に踏み切りました。なんくるないさ。信じるさ。
これでなんとかできたら、もうすこし人生を生きるやる気がわいてくるんじゃないかなと思っております。
とはいえ今後どうなるかわからない怖さはどうしてもあるので、せっかく育った自信が萎れないように気持ちを残しておきます。