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「みんな真面目過ぎ」 説 ~改めて「チャラ真面目」の勧め~


真面目って、すごく大切なこと。

何故なら
「緊張」を生み
「集中」を導き出し
努力以上の成果をもたらすのは
「真面目」ならではの、仕事だから。



真面目には、段階ってものがある。

真面目。
生真面目。
クソ真面目。

この中で、有用なのは
最初の「真面目」だけだと、個人的には思ってる。
それ以外は、有害。クソ真面目は、公害だ。



でも、緊張と集中と成果をもたらす
有用な「真面目」のレベルであっても。
活用するには、また別の要素が必要で。

それが、なんと、「チャラさ」。

浮ついて軽薄な様子。それがチャラさ。
そういう説明が書かれているけど。
そんなモノが、何故、必要なのか。



それはね。

「真面目」は
陰陽で言えば、陰。物体みたいなもの。
堅くて、重くて、だからこそ「芯」になる。

でも、堅くて重たいものって
すぐ止まる。むしろ自分では動けない。

特に、真面目に関しては
「頭が堅い」と表現されるくらいで
それだけだと柔軟性に乏しく、もろい。
何かあると、すぐに折れる。それじゃ、困る。
まず、自分が、一番、困る。



この「芯」を、陰を
軟らかくして動かすためには、陽が必要。
軽くて明るくて、機動力の大元になるもの。
それが「チャラさ」。

近頃は、お笑い芸人の人たちに
まさに、そういう資質の人が多い気がする。
根が真面目だからこそ
発送も表現も豊かに、そう心がけて
様々なネタを作っては、それに乗せて自分を出す。

チャラいという表現の持つ
軽さと薄さこそが
重さと堅さ=重厚さと組み合わさって
グンと、人としての幅を、器を広げていく。


タイトルに「みんな真面目過ぎる」と書いた。

真面目の持っている
たくさんの良い面を生かすでもなく
一つ何かを始めたら止めることもできずに
振り回されて、困って、悩んで。

悩むのはいい。考えることに繋がればいい。

でも。それで自分の軸を確認するどころか
頭が堅く柔軟性に乏しい方へと偏りすぎじゃない?
と、思えてしまうよ。そういう意味。

真面目であるのは、良いことだ。
というより、前提として不可欠だ。
自分は真面目じゃないよ。
という人もいるだろうけど。

500パーセント不真面目ってのは
むしろ、人間にはできない荒業だからね。
大丈夫、誰もが、どこかでは、真面目。


チャラさが勝っているなら
逆に、真面目な瞬間を増やせばいいだけだ。
普段はとにかく緩くてチャラいけど
瞬発的に出る能力は神だ!みたいな人も
世の中には、いる。

言っとくけど、増やすのは「瞬間」で良くて
真面目な「時間」を増やすと、滞るタイプもいるので
その辺りは、ケースバイケース。

よくわからない人は
講座を訊きに来てくれるといい。



私が陰陽五行の話ばかりしているのは
その視点で世界を観ると
「何が不足しているのか」
「どうしたら循環するのか」を設定するのが
とても、簡単になるから。

だから陰陽の講座では

初級では「自分を癒せる」

中級では「相手と自分を癒せる」

上級では「周囲と自分を癒せる」

そう、説明する。



陰陽の世界では
循環が起きていることが健全の証。
停滞状態から循環状態へ移行すれば
必然的に誰もが「癒される」。

マッサージを想像してもらえばいい。
肩こり、そして揉まれた後の心地よさ。
溜息と痛みからの、笑顔へ。いいよね。

そして「陰陽の世界では」と書いてるけど
陰陽は、この世界の大きな理の1つで
知らないより、知っている方が断然、楽になる。



真面目をこじらせるということは
「陰」に偏り過ぎるということ。
チャラさに逃げるというのは
「陽」に偏り過ぎるということ。

それじゃ、両方組み合わせてみたら?
そういう、話を、したい。
そんな話を、ずーっとしている。

どうしたらいいのかを話し続けるのは
水だらけの私が、木を使っているからで
私が生真面目だった時代は
本当に、死ぬかと思ったんだぜ。

なんて書くと
何言ってんの?と思うと同時に
世界の変換や循環そのものに
興味が湧いてこない?



ま。なにはともあれ。
手を抜く時は、気を抜くな。
気を抜く時は、手を抜くな。
それくらいの緩さがないと、人ってもたない。

どちらも抜けない時間が長いなら
両方抜いていい時間も同じくらい持たないと。

それができない環境だというなら
そりゃ、あなた、もう考え時ですよ。

ここで、クソ真面目に考えてはいけない。
上っ面だけで、逃げてもいけない。
やるなら、チャラ真面目にね。ってこと☆

見えない世界に関わる活動も、現実に降ろしていくためには費用が不可欠です。陰徳(見えないところで良い行いをする昔ながらの方法です)を積むつもり是非ぜひ、サポートお願いいたします☆