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仏さまと仏教の違い〜神仏、と並び称される所以

前回、2つに分けて書いていた、神さまと神道のお話。知らないうちに、私たちの精神的基盤になっている文化だからこそ、一旦知っておくといいよね、という内容で。

かいつまんで極論すると。

神さまは「世界を循環によって変化させることで維持するエネルギー体」。

神道は「そんな神さまさながらの生き様を、人間が体現していくためのルールブック」。

では、仏さまは、どんな存在?というのが、今回のお話。

「仏さま」という表現には、大まかに2種類あるよね。「お地蔵さま」や「仏像」なんかの姿で皆さまにもお馴染みの、人間を救ってくれる対象としての「仏さま」と。

亡くなった方、そのものと。

「死役所」なんていう漫画では、亡くなった方が役所にいって「お客様は仏さまですから」と言われるシーンが、皮肉のように描かれているけど。

ここで取り上げるのは、既に「菩薩」や「如来」などの名前を得て、人間を救うことに力を貸してくださっている存在の方、ということで。

ここまでで、ほぼ説明が終わってるのも面白い。そうなんです、何にせよ「救いたい」のが基本スタンス。落ちていかないように。すくいあげたい。

神仏と並び称される所以、とタイトルに書いたけど。実際、並び称した方が、説明はわかりやすくなる。と、私は思っていて。

神さまは、その「ご利益」的な側面ゆえに、人間に「努力するといいことがある」「目標を持って上を目指すことの重要さ」を教えてくれる存在、とも言える。

仏さまにも「ご利益」的な側面はあるけれど、それは人間に「許すことの偉大さ」や「優しくあることの重要さ」を教えてくれる、随分と方向性の違う存在で。

その力は「広大無辺な慈悲」と呼ばれ、どこまでも受け入れることのできる器の広さと、直結している。

神さまが上昇指向のエネルギーなら、仏さまは際限ない裾野のエネルギーで、私個人は、この2つが重なり合って機能する時に、日本の精神世界は「富士山」の形を成すと思ってる。

清浄な空気の中で天を突く(と言いつつ、そこまで攻撃的に尖らないのもいい)一方で、誰かの死骸もたくさん包括しながら、ただ広がる果てしない裾野。そして、全てを呑み込みつつ、ただ、富士。

この、突き抜ける感と懐の広さとの、双方が、あれほどの美しさを生み出すなら、是非そうなりたいものです、とヒトゴトのように思ってしまう。

それぞれの神さまに特徴があるように、それぞれの仏さまも様々な分担を持って、日本の面倒を見てくださっている。もちろん、存在としては神さま同様にエネルギーでありながら、その性質が異なっている。

神さまが「目標達成」系なら、仏さまは「許す」系。平たくいうなら、私の中では、もうこれ以上の表現はないかもしれない。

そして、この双方を備えると、人間としてもバランスがいい。神仏を「陰陽」として捉える時、この世界の陰陽具合にも、人間の陰陽具合にも、気づけるのではないかな、と思う。

「陽」とは、機動力であり、明るく軽くアガる力。「陰」とは、暗く重たく下がる、だからこそ現実に結びつく力。双方がなければ、世界は回らず、変化は正しく続かず、私たちは存在し続けられない。この辺の更なる具体性については、ご興味あれば「陰陽合同コーディネーター」講座を受けていただくとして。

それじゃ「許す」系の存在である仏さまと、仏教とは何が違うのか。

仏教は「仏さまとのお付き合いルールブック」でもあるけど、仏さまの「教え」はこうだよ、と伝える側面が、とても大きい。名前の通りだよね。

神道が、「あるがまま」の自分が自分の中の神性を呼び起こし、「自分」として生きる能率を限りなく100%に近づけていく立ち位置、とするなら。

仏教で、自分の中の仏性を目覚めさせるために行うあれこれが、神道のやり方とは違う。ということで、そのやり方の違いが、それぞれの宗派になるわけなんだけど。

方法は、いくらあってもいい。ただ、時代時代で、どうしても、人間同士の間で「どちらが正しい」とか「お前ら邪魔」みたいなことが起きてしまうのが、痛し痒しなところ。

その辺りの「存在としての仏さま」と「人間が絡んだ仏さまとのお付き合いルール」との違いは、もうわかっていただけると思うけど。

「神」と「仏」という「陽」と「陰」があり。

「神仏」という「陽」と、「人間」という「陰」があって。

そうやって、入れ子になって陰陽が重なることで、世界って面白くなってるんだよ、ってことが、大事だったりするんだよね。

こういうことは、別に知らなくても、生きるに困らない。私も、自分が書いていることが絶対合ってますなんて、全く言えない。

ただ。ちょっとだけでも、そこに意識を向けると、見える世界が広がるというか、なんとなく「あぁ!」が増えて楽しいかな。と思う今日この頃。みんなも、そう思ってくれると更に楽しい。

見えない世界に関わる活動も、現実に降ろしていくためには費用が不可欠です。陰徳(見えないところで良い行いをする昔ながらの方法です)を積むつもり是非ぜひ、サポートお願いいたします☆