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「神さま」と神道の1〜神さまって何?

昔から「困った時の神頼み」なんていう言葉があって。人智を超えた力があるんだろうな〜、と、みんなが思って接してきた、これが神さまですよね。

大昔は、災害なんかも彼らの心づもり1つで起きちゃうと思われていたので、ちゃんと「尊敬してますから、暴れないでください、応援してください」と伝えて、豊作・豊漁を共に祝い、不作や不漁には「どうぞ早めの復調を」と願い、そんな共存共栄関係にあったわけです。

今でもね。第一次産業と言いますか、人が直接、体に取り込んで生きていくものを生産する、そんな地に足のついた分野では特に、作る前から作り終わった後まで、神さまに「よろしくお願い申し上げます」「ありがとうございます」と、伝え続けている。

無論、どの産業内でも、きちんと神さまにご挨拶したものは、きちんと売れる、危ないことがあっても無事終わる、そういう認識はあって。大変有名なのは「東海道四谷怪談」を演じる時には、必ず「おいわさん」にご挨拶して、事故を防ぐお話(まさに四谷にお寺と神社の双方、存在します)。

それが、日本の文化の根幹であり、素敵なところ。

「自分たちの力だけで、何とかなってるわけじゃない」と認識できる謙虚さ。非力を認めて、首を垂れる、わきまえ力。

その文化が大切にしている神さまって一体、何?と思ったこと、ありませんか?なければ、是非興味を持っていただきたいところ。

神さまというのは「目に見えないことも、聞こえないことも多いけれど、折に触れて感じることのできる、エネルギー体」なのです。

そんな夢のない言い方やめてよ(笑)と言われそうですが。何だかわからないけど、困った時だけ頼ればいい、そんなアヤフヤな存在ではないことを、みんなが知ってくれるといいなって思っているのです。

よく「霧や霞を食べて生きるわけには行かないんだから」「仙人じゃないんだから」みたいな表現、昔は使ったものです。では、仙人以上が食べている「霧や霞」って、何だと思います?

私たちからすると「食べ物じゃないから食べなくても同じじゃないの?」になりそうですが、違うのですよ〜。彼らは「見えないエネルギー」を、ちゃんと食べて生きているのです。それを「霧や霞」と表現しているだけ。

では、彼らの食べるエネルギーって、何でしょう。

多少、種類があってね。1つは、自然エネルギー。もう1つは、私たち人間からの「敬意と好意」のエネルギーなのです。

神社の周囲には、緑豊かな場所が存在することが多いです。それは神さまの地上における居場所を静かで穏やかな場所にする役割もあるけど、基本的には「元気な草木・地面・水のエネルギーが、神さまたちの食事にもなるから」社叢として広げているわけです。

立ち入り禁止区域が多いのも、それが神さまたちの食べ物を作り、安息の場を作る場だと思えば、踏み荒らしてはいけないこと、よくわかりますよね。畑への侵入者は、スズメでも人間でも、ただの「泥棒」「荒らし」になっちゃう。

取り込んだエネルギーは、その場を維持するため、あるいは栄えさせるために、還元されていく。四季折々の変化自体、神さまと自然との間でエネルギー循環が無事に行われている証拠にもなる感じ。

でもね。今の社会って、自然が占める割合より、文明が占める割合が、とても多くなってる。日本は国土的に山と河川が多いから、物理的な割合だけなら自然だって相当なものなんだけど、「活動の量とスピード」に焦点を当てると、人間の扱っているエネルギーを無視して、日本のエネルギー循環を考えるのは、無理なのですよね。

人間だって、自然の一部。となれば、元からあって、今なお日本の存続そのもの、国家鎮護と平穏安寧の根幹でもある「神さま」と、無関係に過ごす方が実は不自然。「この科学の時代に?」と訝る方もいらっしゃるかもですが、人間が解明できていることなど僅かで、世界のほとんどは「預かり知らない法則と力で動いている」のが現状ですよね。

というわけで、その「預かり知らない法則と力」のことをわかっている神さまに、尊敬と感謝を届ける、これがもう1つの食事エネルギーになるわけなんです。

自然から得たエネルギーは、自然の中へと循環させて成長や弥栄を呼び起こすように、私たちから得たエネルギーは、人間社会に循環・還元してくれます。

私がやっている「巡業」というのは、まさに、これの一環でもあります。皆さんからお預かりした「神さま尊敬してます♪」「いつもありがとうございます😊」「平和な日本のために、できることかんばります」みたいな、願いごと以外の「自他応援エネルギー」を、届けては返礼を預かり、皆さんに戻す。

清廉潔白である必要はないので「お金が儲かるようにエネルギーを回したいです!」でも、もちろんOKで。だって、変化が基本のこの世界では「循環を意識して、それを行動に移せる人」が何より重要で。そのためには、生への渇望も、豊かさへの欲求も、あって当たり前ですからね。

「なんで、いつまでも豊かにならないんだ」「神さまのクセに力がないな」なんてディスり続けてなければ、大体、大丈夫。

でね。そういう背景を一旦まとめつつ、更に説明を端的にするとね。

・神さまとは、霧や霞扱いされているエネルギーを取り込み、それを現実に降ろして循環させる役割を負った、それ自体が「エネルギー」でできた存在。

・取り込むエネルギーは「自然由来」のものと「人間由来」の2種類があり、陰陽の観点からも2種類とも常に必要

・この世界は変化ありき=循環していないと不具合が起きるので、神さまは不具合の起きないように調整を心がけるも、人間側の動き次第で、流れが滞ったり詰まったりも頻繁に起きる。もちろん、自然界でも随時詰まったりなんだりするので、それが天変地異という形で、解消される。

(・それは困るので、個人的には巡業で直接エネルギーを流したり、皆さんに働きかけて様々に動かしたりしていますが)

・とはいえ、神さまは人間ではないので、私たちに体があることを忘れて無茶ぶりしてくることも多々あり、相手が神さまだから全部イエスって言っておけばいいや、ではなく、私たち自身、主体性を持って「自ら変化を起こす」くらいの積極的循環を起こしていく必要がある。

・積極的に循環って、どうやって?をハッキリさせるために「自分が、何をやりたい、どういう人か」の明確化が急がれる。


みたいな流れで、今に至ってるわけです。

そんなわけで次は「神道って何?」に続きます。

見えない世界に関わる活動も、現実に降ろしていくためには費用が不可欠です。陰徳(見えないところで良い行いをする昔ながらの方法です)を積むつもり是非ぜひ、サポートお願いいたします☆