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出過ぎた杭を目指した結果しんどくなった話

こんにちは、soyokaです!
「帰国子女」としての自分のスタンスに帰国後10年以上にわたって向き合い、悩んだ経験についてnoteマガジンを書いています。

  • 「帰国子女」の看板が「重たい/合わない」と感じている方

  • 海外や異文化圏での経験を持つ自分について集団で生きづらさを感じたことのある方

  • そんな自分を自分を新たな方向から捉えなおしたくなった方

  • 自分のこれまでとこれからについて考えてみたくなった方

  • 他の記事を読んでいてsoyokaのこれまでが気になった方

に読んでもらえたらうれしいです。


今回は「(帰国子女として)出過ぎた杭を目指した結果しんどくなった話」をします。


導入:soyokaの略歴/ 帰国子女が帰国後集団になじむために取る方法(私見)


まず、導入として私の経歴について軽く話しておきますね。

私は、親の仕事の都合で、5~8歳くらいまでの間アメリカの西海岸(カリフォルニア州南部)に滞在していました。
そして帰国後、日本のとある地方都市で高校生まで過ごし、大学進学で地元を出て他の地方で過ごし、就職を機に上京しました。(つまり、帰国後はずっと日本を拠点に暮らしています。)

わたしが海外にいたのは10年以上前のことですが
「帰国子女」というのは、これだけ国際化した時代とは言え、
本当に少数派で、公表しているといつの時代もかなり目立つ肩書だと感じます。

そして、最近ようやく「違いを尊重し合いましょう」という流れが出てきたものの、本意不本意に関わらず、変に目立つと「出る杭は打たれる」のが
日本における一般的な(とりわけ地方で顕著な)反応だと思います。

私が個人的にこれまで見聞きしてきた帰国子女の方の取る戦略として

  • 帰国子女ということを言わず同化する(隠す派)

  • 帰国子女ということを公表して「国際派キャラ」的な「出過ぎた杭」ポジションを確立する(出す派)

という感じで立ち回っていることが多いように感じます。
(私が知らないだけで、そんなもの気にせずそのまま「私は私」としてふるまえている人も、もちろんいるとは思いますが。)


結論から言うと、私は後者の出過ぎた杭を目指しました。
しかし、心の奥底で「何かが違う」と違和感を感じていながら、集団に受け入れられるために無理して出過ぎた杭を目指したために非常にしんどい思いをしました。
その経験について書いていきたいと思います。

1)出過ぎた杭を目指した理由:自分に嘘をつきたくなかった

帰国子女で帰国後、英語をはじめとした滞在地の言語をすぐに忘れてしまう人は決して少なくありません。私の妹もそうです。そして自分のことを「帰国子女」とは称さず、自然と「公表しないで」その他大勢の日本人と同じように成長していきます。

正直、私はこれが一番楽なパターンなのかなと感じています。(その人なりに葛藤を抱えている人もいるかもしれませんが)
ですが、この記事を読んでくれている人は、そもそも「帰国子女」と周囲に公表するかしないかで葛藤を抱えた人や、自分の決断や行動に自信を持てずにいる人が多いと思うので、その時私が考えていたことを書いていきたいと思います。


✽ ✽ ✽


私が無理をしてでも出過ぎた杭を目指したのは、自分に嘘をつきたくなかったから/嘘がつけなかったからです。

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