見出し画像

夏の大冒険

灼熱のコンクリートから逃げるように入ったコンビニでは、しかし、なにかが決定的に欠けているような気がした。
そうか、レジだ。コンビニになくてはならないレジがない。
これでは、会計ができないのではないか。それとも、商品を好きに持って行ってもいいというのだろうか。そんな神のようなコンビニがあっていいのか……
浮き足立ってチョコスティックパン(一番美味い)に手を触れかけたが、すんでで踏みとどまる。
この異様な雰囲気。そういえば、入ってから店員も他の客もいない。
ここで衝動のままチョコスティを貪って、トラブルにならないとも限らない。神のようなコンビニだが、偉大な先人は、触らぬ神に祟りなしとも言っている。
興奮のあまり脱ぎ捨てたシャツを着直して、コンビニを後にした。

海沿いにコンビニを見かけると、いつも不思議な気持ちになる。図々しさのなかに、どこか風情があるような感じ。
そんな感慨にふけるあいだにも、太陽は容赦なく照り付けていた。照り返した熱が風景を歪ませるせいで、いつの間にか異世界に迷い込んだような気さえする。
海を見ないことには夏を終われない、と思って来たはいいが、ここまで暑いと、もう何をしても夏は終わらないのではなかろうか?
「今年の夏は、終わらんぜ!!」
道の脇に咲くひまわりも、比喩とかでなく雄弁に語っていた。

民家に吊るされた干物が、いかにも海沿いの街といった風情を醸していた。それはいいのだが……
干物の相場からおよそかけ離れた巨大なものが、不時着したパラシュートのように屋根にダラリと垂れ下がっていた。
なんか……なんかおかしい。
この場所がおかしいのか、暑さで脳がやられてしまったのか、何れにせよ早く帰った方が良さそうだ。
ふと、道に干からびた何かが落ちているのを確認した。
さっきのパラシュートの干物が風で飛ばされたのだろうか?それにしては小さいような……
近付いてみると、それはカエルのようだった。
水場にたどり着く前に力尽きたのだろうか、と思ったがよく見ると足が微かに動いており、まだ息があることがわかる。
持ってきた水筒を逆さにしてみたが、 ハムスターの泪ほどの水滴が二、三粒落ちるのみで、とてもこの哀れな両生類を救える量は残っていなかった。
そこでふと思い立ち、なんとか持ちこたえてくれいと念じながら来た道を引き返していく。
さながら、現場を確認する放火魔のごとく、先程のコンビニに舞い戻り、ペットボトルの水を迷わず鷲掴む。
急いで戻ってカエルに水をかけてやる。
固唾を飲んで見守っていると、やがてカエルはむくりと起き上がり、ぴょんぴょんと元気に飛び跳ねて、道路脇の茂みに入っていった。

「おや、兄さんこの辺の人じゃないね」
声のした方に振り返ると、くだけた格好からして、地元の人間と思われる初老の男性が立っていた。
若干白髪が混じって、髭を生えるがままにしているにも関わらず、どこか引き締まった雰囲気をまとっている。急に懐からカタナを取り出して「参れ」と言われたら反射で参ってしまいそうだ。
「えぇまぁ、ちょっと海を見ようと」
「海か、それは良い。この街は海と山だけが自慢だからね」
漁師としてはありがたい限りだけどね、と彼は言う。
なるほど、海の男だったか。だとすると、彼から受けた芯の強そうな印象も頷ける。
「ただ、そろそろ帰った方がいいかも知れない。この辺は最近少し様子が変だから」
本当に少しですか?
思わず口に出そうになり、慌てて飲み込む。
「夏も終わるっていうのに異常な暑さだし、喋るひまわりが生えるしで、住民も困惑してるんだ」
良かった、僕の幻聴じゃなかったんだ。
となると、あのパラシュートの干物も異常現象のひとつということか。
「いや、あれはここの特産だね」
そんなバカな。

「まぁそんなわけだから、今日はこの辺で帰った方がいい」
言われずともそうするつもりだったので、逆らわずまっすぐ家に帰ることにした。
したのだが……
「……あ、あれ」
その瞬間、方角がわからなくなってしまった。
検索窓に単語を入力する直前でなにを調べたかったか忘れることがあると思うが、強いて言えばあれに近い感覚。
いや、落ち着け、落ち着いて来た道を思い出せばちゃんと帰れるはずだ。まず道路に出て、右にまっすぐあるいて、熱湯で霜降りしてサバの臭みを取り、フライパンに水、サバの切り身、調味料、しょうがを入れ、10分から13分ほど煮込んでとろみが着いたら完成……。
「あの、帰ろうとするとサバの味噌煮が出来上がるんですけど」
完全にパニックになり、自分でもなにを言っているか皆目分からなかった。
しかし、気が触れているとしか思えない僕の発言を聞いた侍漁師の反応は以外にも冷静だった。
「もしかして、来る途中で変なコンビニに入らなかったか?」
「あ、はい、えっとあの、味噌は加熱しすぎると風味が飛ぶから先に煮つめてから入れた方が良くて」
「わかった、落ち着いて。一旦帰ることは忘れてくれ」
深呼吸して、息を整える。ようやく意識から青魚の輝きがフェードアウトした。
「この地域では、四季の神様は、山からやってきて海に帰ると昔から伝えられているんだ」
「な、なぜ急に地元の文化を?」
「まぁ最後まで聞いてくれ。それで、季節の変わり目になると、山の幸と海の幸を奉納して、無事に次の季節が来るように祈るという風習があるんだが、時が移ろって、人々の信仰がだんだん薄れてきたある年、ちょうど今くらいの時期、供え物を忘れてしまうということがあった」
やはり、便利になるほど昔の生活を忘れていくというのは、どこもある話なのだろう。
「けどその年、供え物を置く祠の近くにあったコンビニの商品が丸ごとなくなるという奇妙な出来事が起きた。若者は混乱して、老人たちは祟りだと恐れた。しかもその年に来た台風で祠も倒壊してしまって、悪いことが続いたんだ」
「もしかして、そのコンビニって……」
「あぁ。結局コンビニは潰れてしまったんだが、不思議なことに、祠を建て直す話も、コンビニだった建物を別のことに使おうという話も出ず、しかし放置されてるはずのコンビニには何故か物が補充される、という不気味な状態が今も続いて、地元ではこの話はしないのが暗黙の了解となった」
しかし、何も知らない外の人間がコンビニの物を取って、今の僕のような状態になることがあるという。
「だいたい事情はわかったんですけど、こうなってしまった人はいまどうしてるんです?僕は帰れるんですか?」
さっきほどではないが、まだ頭の中は混乱して、つい詰問するような聞き方になってしまう。
「帰る方法はちゃんとある。私の言う通りにしてくれ」
侍にそう言われると、謎の安心感があった。

鼻を通る空気の臭いが、海の生き物然としたそれから、森に入った途端、土の臭いになった。
口の中には、さっき侍に言われて海水で口をゆすいだときの海の味が残って、変な感じだ。
「多少虫に刺されるかも知れないが、そこまで時間はかからないからなんとか耐えてくれ」
そういうと、侍は森をずんずん進んでいく。
木が陽を遮って少しは涼しくなっているが、それでもまだ快適とは言い難い。それでも止まったら置いていかれてしまう。虫や動物の気配、主に蝉の鳴き声を感じながら、枝やら草やらをかき分けて進む。
そして、少し開けた場所に出た。
中央に石が積んであり、人がなにかに使っていた空間だと分かる。
「ここがそうなんですか?」
侍は頷くと、指示通りにするように僕に促した。
積まれた石の前にしゃがみ込み、手を合わせ、祈るように目を閉じる。蝉の鳴き声がいっそう頭に響く。
ある瞬間、蝉の合唱がピタリと止み、動物ではない何かの気配が現れた。
明らかに僕と侍以外のものが、この空間に存在している。
何かは、確実に僕に近づいて来ている。
というよりは、存在感が増していると言った方がいいかもしれない。
そして、それの存在感がこれ以上はないという程に大きくなり、僕の緊張もピークに達した。

バクンッ

間の抜けた音と共に、嘘のように気配が消え去った。
「もう目を開けていいぞ」
そう言われて振り向くと、侍が立っているはずの場所に、巨大なカエルがずっしりと鎮座していた。
「はぁ?」
「ははは、びっくりしたか」
笑うなカエルが。
さっきの緊張感との落差で、倒れそうになる。
しかし、カエルの声はまさしくあの侍のような男のものだった。
「とりあえず、帰り道を思い出してみろ」
あぁ、そうだった。
頭の中で来た道を戻ってみると、今度はサバのさの字もなく家に着くことができた。
「えっと、とりあえずありがとう……?」
「気にするな。むしろまだ恩を返しきれてないくらいだ」
恩……もしかして、道路で死にかけてたカエルか?
「いかにも」
いかにもとか言うなカエルが。
「夏の神が暴走して、この土地は人も自然も弱ってしまってな。土地神の私はとりわけ強く影響されてほとほと困っていたのだが、お前のおかげで奴をおびき寄せることができたぞ」
ちいさなカエルを助けたことが、街一つを救うことになるとは、なんだか誇らしいようなそうでもないような。

「神が海に帰ることで次の季節が来ると説明したが、実はもうひとつ方法がある」
もうひとつの方法?
「喰うことだ」
ごくり。
自分が唾を飲む音が、ハッキリと聞こえた。
同じ神様とはいえ、神様を喰うなんて、無茶がすぎるんじゃないか。
「そうでもない。供物を捧げても季節が変わらない時は、人間から喰ってくれと頼まれることもあったくらいだ」
神様にもきかん坊はいるのか……
「どうした。家に帰れるのに浮かない顔をして」
「いや……喰われた神様はどうなるのかと思って」
「お前が気にすることではない……が、まぁ、そうだな。神というのは、身勝手なようで、その実、人に影響されやすい。信仰が変われば神も変わるのだ」
夏がこの街に留まり続けたのは、人が神を変えたからなのだろう。
なにか、侵しがたいものに触れてしまったような気がした。
「もう一度言うが、お前が気にすることではない。誰かが悪いということもない。みんなが、毎日をなんとか生き延びてたら、こうなったというだけの話だ」
命は生きるように生きるのだ。とカエルは言った。

来た道を戻り、森を抜けると、太陽はすっかり大人しくなり、まさに海に沈もうとしていた。
「そうだ、特産の干物お土産に持って帰らないか?」
「いやそれはちょっと……持てないし……」

                                                                                              [完]










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?