20231023 焦り、狼狽する

朝、仕事に出るときに失くしものに気づく。失くしたのは会社貸与物だったため焦る。狼狽する。

今回の失くしものを会社に報告すると始末書ものだ。家から駅までの道のりもずっと失くしもののことを考えていた。見つかる可能性をくまなく検討するとともに、見つからなかった場合の最悪のケースを考える。

”考える”というと自発的に聞こえるけど、焦りや狼狽は肉体反応だ。暴れ馬のメリーゴーラウンドのようにループの思考が止まらない。イヤフォンをつけることも忘れ、通勤の初めの30分を狼狽に囚われて過ごした。

何かの考えに囚われると、脳が痙攣し、硬直する。今回のような強い狼狽だと、ほとんどその対象以外のことを考えられなくなる。これは怖いことだ。

僕たちは、今回のような強い焦りではなくとも、様々なことにすこしずつ囚われ、かすかに狼狽して生きている、と思う。仕事、健康、人間関係、お金。すべてに囚われて、焦り、狼狽しつつ生きている感覚がある。ということは、「他のこと」は考えられるのはきっと抑制されている。「他のこと」は隠蔽され、どんどん近視眼的になっていく。

せめてこの日記を書いているときは、囚われから解放されたい。囚われを言語化し骨抜きにしたい。

(失くしものは見つかりました)

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