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七夕の短冊には、その人の悩みごとが書かれている。

七夕の短冊。
スーパーなどで飾ってあると、つい見てしまう。

資格を取れますように。
家族が健康で合って欲しい。
彼女が欲しい。
〇〇をもっとうまくなりたい。

そんな願いにまざって、「おとうさんがりこんしてくれますように」という短冊があった。

母親がよく言っている言葉を、自分の願いとして書いたのだろうか。
幼くてがたがたした字には、とても不釣り合いな内容だった。

願い事の背景には、とても個人的で切実な悩みが隠れている。

家の中には、外から見えないそれぞれの地獄がある。
その短冊を書いた子のことは知らないけれど、きっと健全でまっさらな家庭なんてどこにもなくて、それぞれが何かしら抱えている。

問題は、それを他者と共有できるかだと思う。
おしゃべりか上手だったり、友人と仲良くするのが得意な人は、ある程度家庭が混乱していていも耐えられる。

子供の場合、周りに似た状況の人がいなかったり、話して良いことだと思えなくて、抱えてしまうことも多いんじゃないか。自分の家庭が世界の全てだから、普通だとおもっているんじゃないか。

私は、ずっとひとりだった感覚がある。
幸いにも家族はいて、比較的関係は良好だったけれど、相談事はしたことがないし、辛いことや悩んでいることを共有することはなかった。
それが普通の親子関係だと思っていた。

子供の頃、短冊に何を書いていただろうか。
思い出そうとしても、出てこない。
そもそも、何か願いとか欲求を持つことが難しかったように思う。

お店や図書館に飾られる短冊を見て、お願い事を書けるのは、いま自分が求めていることが分かっているという意味でとても高度な活動だと思った。

いま悩んでいたり、困っていたり、努力している途中で、こうなって欲しいと思っていること。
それ自体生きてないとできないし、尊い。

顔も知らない近所の子が、安全な場で、まともな大人に囲まれて育っていけるようにと密かに願っている。

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