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第1話 雷に打たれ、そしておっさんに背中を押される

 2007年6月、日曜日の夕方だったと思います。私は自宅のパソコンで「ベトナム」について検索していました。それまでベトナムという国についてはほとんど知りませんでしたし、特に興味もありませんでした。

 場所はアジアのどこかで、言葉は確かベトナム語だけど文字は見たことない。あと食べたことはないけどフォーという料理は聞いたことある。

 その程度でした。

 そんな私がどうして突然ベトナムについて検索し始めたかというと、これがまぁ嘘のような本当の話なのですが、こんなことがあったんです。

 話はその少し前に遡ります。

 ある日、仕事から帰って来て、いつものようにだらしない格好でソファに寝転び、半分意識が飛んだ状態でテレビを見ていました。なんかつまんないなぁと思いチャンネルを変えるとベトナムの産婦人科病院に併設されている「平和村」という施設のことをやってました。そしてその平和村で暮らしている子ども達が映った瞬間、雷に打たれたような感覚が走り、何とも言えない懐かしい感情とともに自分が平和村の子ども達と交流している姿が見えたんです。何とも不思議な体験でしたが、直感的に「あっ、ここに行くんだな」と思いました。
※実際、その1年後に私はその平和村で2週間ボランティアをします。

 この平和村はベトナム戦争(1955年~1975年)で米軍が散布した枯葉剤の影響により障がいをもって生まれてきた人々を支援するための施設で、ツーズー病院という比較的大きな産婦人科病院の敷地内にあります。ツーズー病院は1988年にベトちゃんドクちゃんが生体分離手術を受けた病院として有名です。50代以上の方であればご存知だと思います。

 さて、話は戻りますが、その頃(2007年)、私は薬剤師の仕事をしていまして、よく患者さんから文句や愚痴を言われてストレスを溜め込んでいました。当時の心の声を正直に告白すると、

「薬が増えたのは自分の不摂生が原因やん。医者に文句言えんからって薬剤師に八つ当たりするのやめてくれる?」

とまあこんな感じです。若いですね・笑 

 心の声とは言え、当時の私はバッタバッタと人を裁きまくってまして、好き嫌いもハッキリしていました。本当はすごいのに謙虚な人は大好きですが、大したことないのに偉そうな人は大嫌いでした。

 そして最終的にこう思うようになりました。

「何でこんな人達から理不尽なことを言われて自分のエネルギーを消耗しないといけないんだろう。世の中にはもっと自分の力ではどうしようもなく、不当に社会から疎外されている人達がいるだろうから、そういう人達のためにエネルギーを使いたい。」

 偉そうなこと言ってますが、本気でそう思っていました。

 また当時は自分のやりたいことを探していた時期でもありました。JICA(国際協力機構)の2年間の国際協力活動から戻り、次は大きな組織ではなく、個人で何か小さなボランティアをしたいなぁと思っていました。私の中で国内と海外の線引きはなく、地球であれば活動の場はどこでも良かったのですが、せっかく海外の経験があるのだから、海外の方が自分の強みを生かせるかなと考えていました。

 そんな時にテレビで見た平和村の子どもたちの映像。キタァーと思いました。あの時のサインを見逃さなかったことで、そこから私の人生は自分の想像を超えたおもしろい方向にシフトして行くことになるのです。

 そして今思えば、結果的に私が人生の舵を大きく切るのを後押ししてくれたのは、皮肉にも私が大嫌いだった”大したことないのに偉そうな人(おっさん)達”だった訳です。もしおっさん達が私に理不尽な文句を言わなかったら、今もあの薬局で仕事を続けていたかもしれません。今はあのおっさん(恩人)達に心から感謝していますが、当時の私にそんな感謝の気持ちは1ミリもありませんでした。

 雷に打たれ、そしておっさん達に背中を押された私はパソコンに向かい未知の国「ベトナム」について検索をはじめました。

 続く

※写真はホーチミン市にあるベトナム戦争終結の地「統一会堂」です。



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