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恥ずかしいキャリアの私(その1)なんとなく学者志望

●なんとなくすごい感じを醸し出さなくてはならないという役目・・・
私は新卒から40歳まで人事実務家をやった後、今は人事コンサルティング会社の代表をやって、次の4月からとうとう10期目という者です。

いろいろなメディアに記事を書いたり、講演したりしている関係で、自分のプロフィールを挙げることが多いのですが、どうしてもビジネス上は集客などの関係もあり「どれだけすごい人か」的な見せ方になってしまいます。

書くだけで鳥肌が立ってきますが、例えば、こんな感じ。

・リクルートの採用マネジャーで最終面接官だった
・2万人以上の人に対して実際に面接を行なってきた
・3社の成長企業で人事を担当し、今ではすべて上場した
・いろいろなスタービジネスパーソンを発掘した(「あれ俺」)
・現在でも規模・業種を問わず、数百社の会社にサービスを提供してきた
・10冊以上本を書いており、月10本以上連載もさせていただいている
・講演は大小合わせると年200回程度行っている
など

すべて嘘ではありません。本当のことです。それなりに努力をしてきた自負もあります。

●全部言っているわけではない
しかし、キャリアを全部言っているわけではありません。別に隠してきたわけではありませんが、積極的には言ってこなかったこともあります。

というか、まあ、誰も興味ないでしょうとかも思っていましたし、本当に細かく自分のキャリアを話し出すと自己紹介だけで超長くなるし、ということで必要ないところでははしょってきたというのが実態です。

たまに、キャリアの悩みを考える場とか、不登校の問題を扱う場とか、そういう自分のダメなところをきちんと伝えた方がよいと言う場でのみ、ダメ自分紹介に時間を使って積極的に伝えてきたという感じです。

●実際はダメで弱いのに、すごい感じにする辛さ
全部言うとわかってもらえると思うのですが、私はだいぶダメな弱い人間で、苦労も失敗もめちゃくちゃしてきているし、今でも自社含め、試行錯誤の日々。全然、たいしたことないというのが自己認知です。

なので、だいぶ麻痺してきているところはあるものの(それが自分でも嫌)、上記のように「どれだけすごい人か」的なプロフィールは、自分でも恥ずかしいし、どこかでちゃんと「言っていないこともちゃんと伝えなくては」という気持ちが常にありました。

そこで誰が興味あるかわからないのですが、自分を開放するために、ここでいろいろ書いておこうと思います。だいぶ長文になると思うので、興味ない人は見ないでください笑(そりゃ見ないか・・・)。

・・・さて。

●高校にあまり適応できず
私は灘高校出身です。中学は若干ビーバップハイスクール風の大阪の公立で、灘には高校から入りました。

それだけ言うとすぐ「また自慢かよ」みたいになるのですが、全然自慢でもありません。むしろトラウマ。最近、ようやく克服できた感じです。入ると周囲はみんなとてつもなく賢く、合格しただけで鼻高々だった私は、「ぜんぜん普通のやつ」であることがよくわかりました。

勉強も遊びもできる中学からのスマートな同期に比べて、大阪の田舎から遠距離通学している私。内気で暗い生徒で、あまり友達もおらず、授業が終わるとダッシュで電車に乗り、若かりし頃のダウンタウンの「4時ですよーだ」という身も蓋もない番組を見るために家に帰っていました。

勉強は総合的にはなんとなく上位3分の1ぐらいにギリギリ入っていましたが、科目によって差がひどく、数学は得意でしたが、物理や化学などは全然ダメで、15点とか取っていました。15点ですよ。

●灘から京大は「ぼちぼち」な感じ
灘は半分ぐらいが医学部、文系はほとんど東大なのですが、私は京大教育学部です。河合隼雄先生という心理学の大家がおられ、高校の図書館で谷川俊太郎さんとの対談(「魂にメスはいらない」)を読んで、雷に打たれて、ぜひこの方のところで勉強したいと思って、選びました。

暗く、内向的で、悩み多き青年は、心理学にはまるものです。私には河合先生は神の如く思えました。

高校の進路指導で、今でも「なんで東大やないのか」「法学部やないのか」とかいろいろ言われたことを覚えています。「京大の文系」しかも「教育学部」というのが、本当に珍しかったようです。今はどうかわかりませんが。

しかし、京大教育はその頃、英数国の3教科で受験でしたということもあり、その他の科目がからきしダメな自分はとても合っていました。東大の問題を見ると、ものすごいスピードで情報処理をしなければならないような問題が多く、それは無理やわ、とも思っていました。

だから「俺、別に東大も行けたけど、あえて京大にいってん」というわけではありません笑。東大なんて絶対受からなかったでしょう。京大教育がなければ私はどこに行けたかわかりません。ちなみに、昔の彼女は同志社に落ちて、京大教育に入ってました。まあ、穴場だったのではないかと思います(教育学部の人、怒らないでください・・・当時の話です)。

●学者になりたくてなりたくてなれなかった
京大教育に入って、心理学者になろうと考えました。みうらじゅん先生(MJ)を信奉する童貞(DT)で、対人コミュニケーション能力に自信がなかったので社会人とか無理だと思っていました。

本を読むのは好きで、授業も出ずにずーっと本を読んでいました。それで、何か知的なことで身を立てたいと考え、心理学者になれたらなあと思いました。

しかし、心理学者志望の人は周りに大勢いたのですが、皆、優秀。というか、ちゃんとしている。授業もきっちり出るし、論文もきっちり読む。課題もこなす。実験もやる。語学もドイツ語とかきちんとやる(私は当時の彼女にバイト代払って教科書を全訳してもらい、それを覚えてなんとか単位だけは取りました)。

学問は地道な仕事で、先人の積み重ねた知の体系の上に、新しいこと(何が新しいのかは、先行研究をきちんと見ないとわからない)を少し積み上げる仕事。がさつな自分にはそれは無理だと思いました。今でもそれはやめておいて正解だったと思います。

でも、それに気づいたのは4年生。就活は終わっていました。遅いねん!

●留年したのでリクルートしか声がかからなかった
留年したのですが、同期はみんなもう就職が決まっています。どうすればよいかもわかりません。塾講師のバイトが忙しかった私は、「なんとかなるだろう」と自分を騙し、ぼーっとしていました。

そこで声がかかったのがリクルートです。同期が先に入社していて、先輩が人事にいて、いわゆるリファラル採用にひっかかりました。留年するとその他の会社のリストには乗らなかったらしく、他にはどこも連絡が来ませんでした(だまって待っていただけだから当たり前かもですが)。

「おまえ、ちょっとこい」と誘われ、アンケートのアルバイトとかに参加しているうちに、飲みに連れて行かれ、「おまえ、なんかすごいな」とおだてられ(根拠なし)、「え、そうですかね。御社に入りたいです」と、入社を希望したら、面接を1回受けさせてもらい、それでいきなり内定もらいました。

「おれたちは日本株式会社の人事部や」(今はパーソルさんは「日本の人事部長」と言っていますが、まあ似た感じです)という言葉がちょっと格好良く聞こえたのと、今で言うワークス研究所の本などを見せられて「こういうのやっているんやで」と言われ(それは全く本業ではなく、数人がやっていたものでしたが)「心理学も生かせそう」と勘違いして決めました。

これが私の就職活動のすべてです。会社説明会すらどこにも行っていません。1社しか受けていません。面接も1回。これで今、就職活動の仕事しているの、申し訳ございません。

●営業に向いていなかったので人事に
その後、内定者アルバイトで、今でいうホットペッパーの営業を京都でやったのですが、これが売れない売れない。同期の他のメンバーはバンバン売るのに自分は全然売れない。

おそらくそのあたりもあって、「こいつは営業あかんわ」となって、「心理学やし、人事とかやらせてみようか」と人事に配属されたのではないかと思っています。実際、営業に行ったら、すぐにつぶれていたことでしょう。

・・・

とここまで書いてきて、長い!と思ったので、分けることにしました。次は、リクルートで採用を始めてからの話を書きます。



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