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キャリアと星座

昔、コンステレーションというオメガの時計をしていた。名前を聞いて即買いしてしまった。それだけ「コンステレーション」という言葉には実は愛着がある。却下されたが、会社の名前もそれにしようかと思ったぐらい。

「コンステレーション」というのは、一般的には「星座」という意味で使われる様子。オメガの場合もそう。

しかし、敬愛する河合隼雄先生の最終講義「コンステレーションについて」でもあったように、ある心理学の領域の用語としては「一見関連がなさそうに見える一連の出来事がある観点から見ると一つの重要な意味合いを持つこと」という言葉として使われている。

「星座」は、本来意味なんてない地球から見える星々の位置関係に、何らかの特別なイメージを見出だすという、まさに「コンステレーション」だ。

人のキャリアにも、このコンステレーションは適用できる概念であると思う。

よく「キャリアの一貫性」ということが言われる。多くは「キャリアに一貫性が無いから、ダメだ」という文脈で。

しかし、その人のキャリアに一貫性があるかどうかは、意味付け次第である。意味のない星座に意味を見出す、「見る側の力」がその人のキャリアに一貫性を生じさせるのである。そもそもで言えば、その人の生きてきた経歴の羅列それ自体には何の意味もない。見る側が意味づけするのだ。

そして、ある人は、小さい狭い部分を見て、「ひしゃくのかたちに見える」と北斗七星という意味を見出す。また、ある人は、もう少し広い部分で意味を捉え、「大きい熊だ」とおおぐま座という意味を見出す。

そんな風に、キャリアも、振り返る地点や、振り返るスパンで、意味合いはいくらでも違ってくるもの。ある会社に入った意味。辞めた意味。起業した意味は、10年前、5年前、今、5年後、10年後で、すべて違ってくるのだろうと思う。

そんなだから、「キャリアの一貫性」というのは、一義的に判断できるものではないと思う。某社の某新人は、大学時代理学部生物学科で、大学院でジャーナリスム専攻だったが、ぱっと見一貫性が無いようだが、実は「情報の非対称性」という一貫性があった。

別の角度から。

人間は自然の一部である。自然は合理的であるとすれば、人が生きてきたキャリアにはその人が意識しているかどうかに関わらず、何らかの一本の「筋」が通っているはずである。自分でもわけのわからぬまま突き進んでいたとしても、自分を衝き動かすエネルギーの源は、何らかの合理性を持っているはずだ。

もちろん、その「筋」が(同時代の)社会的に 望ましく思えるような意味を保持しているかどうかは定かではない。しかし、それは、ある程度は努力で補えたとしても、最終的には運・不運、偶然によって左右される致し方ないものである。

ゴッホは生涯たった1枚しか絵が売れなかったらしい。時代に合った「筋」を見つけられるかは、かの天才ですら、思うままにはならないものなのだから、凡才である我々には望むべくもない。そんなことを考えても仕方ない。

だから、社会的に望ましいとされる軸に自分の人生・キャリアを合わせるなんてつまらないことをせずに、自分の心の声に従って、衝き動かされるままに、道を歩んで行けばいい。

そこには、きっといつかどこかの誰かにとっては、意味ある足跡(キャリア)が残されているはずと信じて。

人の人生・キャリア、生きてきた出来事の羅列なんて、星の位置関係と同じで、無意味と言えば無意味。しかし、それをどこかで眺めている誰かにとっては、美しい星座になっているかもしれない。

それだけで十分じゃないか。

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