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恥ずかしいキャリアの私(その5)出世力がないことに気づく

●人はどうやって出世するのか
私はリクルートで人事部長になりたかったのですが、結局なれないまま辞めました。

人事部長になりたかったのは、人事全体を一貫してマネジメントしたかったからです。採用マネジャーとか一機能の責任者はやりましたが、やればやるほど一機能だけみていても限界があると思いました。

ただ、マネジャーぐらいまでは能力があればタイミングが合えばいつかはなれます。しかし、部長、役員となるとなかなかそうはいきません。

社長は自分がなろうと思えば勝手になれるのですが(実際その後、あっけなくなりました)、部長や役員は、誰かが自分を認めてくれて引き上げてくれることで、はじめてなることができるのです。

●おじさんリテラシーのない私
私は、既にアラフィフで、今でこそ自分自身が正真正銘のおじさんなのでもうなんともないのですが、実は長い間、おじさんが苦手でした。厳しい父に育てられたからかもしれませんが、どうしても年上の男性が怖かったのです。自分が年を取って、ようやくそこから抜け出せましたが、30代の私はまだまだおじさん恐怖症にはまっていました。

このnoteにも書いてきた方々はそんな私にも優しく接してくださってくれたので珍しく大丈夫だったのですが、その他のリクルートのおじさま、つまり偉い方々の多くは苦手でした。人事なので頑張って接していましたが、緊張しながらの対応でしたので、自分の力を100パーセント出すことはできなかったかもしれません。

人は相手から思われてるように思うものです。自分が苦手にしている人からよく思われるわけもありません。私を評価し庇護してくださった村井さん達が別の道でご出世なさり、私の上から去るたびに、徐々に私は誰からも評価されない人になっていきました。

●わかってくれる人にわかってもらえばいい?
今は違う考えですが、当時の私は、自分の仕事を一生懸命頑張って、成果を出してさえいれば、別にそれを上の人にわかってもらわなくたっていいと思っていました。私は自分の信念に従って正しいと思うことに邁進していればよいのだ、わかってもらう努力など、セコい活動だ、と。

しかしそれは浅はかでした。踊る大捜査線でいかりや長介扮する和久さんが青島に「正しいことをしたければ偉くなれ」みたいなことを言っていましたが、その通りです。力無き正論は戯言です。もっと自分を買ってくれる人を探せばよかった。大久保利通が島津久光に近づくために碁を特訓したように、偉い人に近づくためにゴルフでも釣りでもやればよかった。

しかし、結局、そんな努力をすることなく、私は私の仕事だけを黙々とこなしていました。後悔はしていませんが、出世もしませんでした笑。

●一採用コンサルタントに左遷
そして、6年間、楽しかった採用マネジャーをやった後、そろそろと思っていたところ異動がありました。

次のステップとしていろいろ希望はしていたのですが(関係会社の人事部長とかジェネラルな仕事がしたい、とか)、特に評価されていなかった自分にはそんな良いポジションは回ってきませんでした。そりゃ、誰も引っ張ってくれないのも当たり前ですよね。

しかも、異動になったのが採用コンサルタントでした。グレード(≒職務等級)は落ちませんでしたが(これがせめてもの情けだったのでしょう)、マネジャーではなくなりました。採用コンサルティンググループの平コンサルタント。同僚には私より若いコンサルタントばかり。

採用実務においては、死ぬ気でいろいろやってきて、実際素晴らしい人材を採用してきて、いけてる採用担当者もたくさん育成してきた自負があった(実際、今のリクルートの人事には私のメンバーだった人が中核メンバーとして活躍しています)自分には、情けない異動でした。

これも今では思い上がりだったなと思うのですが、「いやいやいや、なんで僕が平コンサルタントやねん。まわりは誰も採用を実際にはしたことない人ばかり。僕が採用のことを教えてあげる立場ならわかるが、誰から学んだり指示を受けたりしなきゃならないのか。しかも、いろいろグループの方針や考え方はおかしいと思うし。会社は僕をこれぐらいにしか評価してなかったのか」と、これまでの仕事を否定された気持ちになりました。

そして、「こんな情けない形で会社にしがみつくことはない。自分を必要としてくれるところで働こう」と考えて、すぐに辞めることにしました。

●人事部長にしてくれるところに行こう
今回もなかなか辞めさせてくれませんでした。しかし、それは優しさです。37歳の自分が今のボロボロの履歴書で転職活動しても、ろくなことにならないと心配してくれたのでしょう。しかし、当時の未熟な私はそれも腹が立っていました。

自分を認めてくれないなら、認めてくれるところで頑張ろう。「士は己を知る者のために死す」だ。表面的な経歴はボロボロでも、真価を見抜くことができる人なら私を認めてくれるはずだと根拠なく思っていました。それで辞める意思は変わりませんでした。その昔、リクルートには38歳でフレックス定年というものがあり(もうなくなってましたが)、ちょうどその年齢になるということも、なんとなく後押しする理由でした。

そして、転職活動、ある意味初めてのちゃんとした就活をしたのですが、ありがたいことに基本受けたところはどこも受かりました。ジュエリー、ソフトウェア、ウェブサービスなどいろいろ合格しました。

最後に迷ったのが、スシローの総務人事部長でした。飲食に興味があったのと、たくさんの雇用を生む仕事だったのとで。最終面接は、投資元のユニゾンキャピタルから派遣されて会長をされていた今は亡き木曽さんでした。木曽さんはマッキンゼーやゴールドマンサックス出身で、とても切れる方でした。

もう一社がライフネット生命でした。こちらは元メンバーだった現在投資会社インクルージョンジャパンを経営している服部結花さんが、当時ライフネットにいた吉沢康弘さん(服部さんと投資会社経営)に私の話をしてくれ、吉沢さんが「こういうやつがいるから採用した方がいい」と社内を説得してくれて縁を得ました。最終面接はもちろん皆さんご存知かと思いますが、現立命館アジア太平洋大学学長で、現代の知の巨人、出口治明さんでした。

●違和感あるからライフネットへ
愚かにも出口さんを知らなかった私は、面接で「歴史とか好きなんですよー。まあまあ詳しいです」とか、今なら絶対やばい話をしてました。「全世界史」とか書いてる人によく言ったものです。知らなくていいことは確かにありますね。

スシローとライフネット生命なら、自分にフィットしていたのはスシローだったと思います。対人サービスもやってみたかったですし、リクルートに似たオペレーションエクセレンスや仕組みで勝つ会社です。

ライフネットは営業は一人もいない知性の会社で、いる人もマッキンゼー、BCG、ベイン、ゴールドマンサックス、モルガンスタンレー、P&Gなどなど、錚々たる会社出身者ばかりでした。違和感しかありませんし、最初はびびってました。どんなすごい人達なんだろうと。しかし、私の性格は「やったことないことはやってみたい」。なので、ライフネットにしました。

エリート会社出身者の中では、面白会社リクルートから来た自分は「おまえ、面白いやつなんやろ?」と勘違いされるような環境でした。「いや、僕はリクルートではつまらない方でした」と言いかけましたが、まあ、その勘違いに追いつけるように頑張ろう、と思い黙ってました。その結果、イベント幹事をずっとやることになりました。

●暇で、ネットワークや視野が広がる
ライフネット生命に行ってよかったことはたくさんあります。非リクルートな(リクルート出身者は私しかいませんでしたし、仕事周りにもほぼゼロでした)人ばかりで構成されていたので、リクルートを相対視することができました。

また、ライフネットでは私は人事だけでなく、総務、経理、法務、コンプラなどもちょろちょろとやらせてもらい、リクルートでも希望していた「ジェネラルな仕事」にありつけました。この経験は今、自分で会社を経営してみて、とても役に立っています。

また、ライフネットは合理的で効率的で、ワークライフバランスがよい会社でしたので、暇でした。いや、激務だったリクルートと比べたからで、ライフネットの働き方がノーマルなのでしょう。リクルートにいた時は社外活動時間はほぼゼロ。採用の候補者以外、中の人としか付き合いはありませんでした。ただ、リクルートはどんどん皆さん辞めていくので(と言っても思うほどではないですが)勝手に社外の知り合いは増えていきましたが。

ライフネットに入ってからは夜の時間が空き、いろいろなイベントや飲み会に参加できました。それで爆発的に人事の知人、友人が増えていきました。しかも、リクルートでは出会えなかったようなタイプの方々とたくさんお会いしました。実は世界はリクルート系と非リクルート系に別れていて(もちろん非リクルート系の方が段違いに広い)、その二つの世界はちょっとしか交わっていないのではないか、ぐらいに思えました。

それまではリクルートの価値観が自分の価値観でした。おまえはどう思うのかを圧倒的当事者意識で考え、自ら機会を創り出し、その機会を人を巻き込みながらやりきることによってハイ達成し、自らを変えて永遠に成長をし続けるアスピレーションを持っていないとダメ人間、みたいな(今でも、これらの価値観は根底にあります。リクルート文化は強力です。対極にあるみうらじゅん先生に師事する私ですら10年以上いると染み込んでしまいます)。

ところがそんなマッチョな考えの人はそうそういません。みんなもっとスマートで穏やかでした。一定の価値を出していたなら成長しなくともよいとか、人との間に一定の距離を設けてあまりズカズカ入り込まないようにするとか、新鮮というか、久しぶりにシャバに出てきた感じがしました。そうそう、みんなちがって、みんないい。私は元々そういうやつだったじゃないか、みたいな。

●外気に触れて悪意に出会う
一方で、世の中には性根の悪い人がやはりいるもんだなとも思いました。

リクルートというか、リクルートの人事の皆さんは今思えば本当に純粋で、おじさんの目ですらキラキラしていました。ビジョナリーカンパニーの「カルトのような文化」を体現したのか、新興宗教の最前線で勧誘をしている人の目です。くさしてるわけでなく、あの頃ああいう人達に囲まれて生きてこれたのは幸せでした。だいぶおじさんになるまで純粋培養というか、理想論の世界で、善人だけに触れて生きてこれました。

しかし、世界は善人ばかりではありません。ドラマとかにしか出てこない「架空の人物」だと思っていた性根の悪い人達が一定数世の中にはいるのだと気づきました。人の悪口ばかり言う人、他責で全く当事者意識がなく被害者面する人、妬み嫉みから人を蹴落とそうとする人、笑顔で近づきながら実は攻撃してくる人、平気で嘘をつきまくる人。今でも彼らに触れるとおぞましく思いますが、だいぶ慣れました。リクルートにはそんな人はあまりいませんでした。入り口の番人をしていた私が断言します。

悪意や毒気に触れると人は現実主義者になり、防御的、保守的、悲観的になります。私もだいぶ汚れっちまいました。あの頃の純粋な私はもういません…とかキモいことを言わなくてもよいのですが、まあ、寂しいことではあります。しかし、小さいながらも社員を抱える社長ですから、地に足ついてないことばかり言わないで、少しは現実主義になるのは良かったのかもしれません。

…そしていよいよ独立することになるわけですが、その前にオープンハウスにちょっとだけ在籍しました。当時もいろいろな人にだいぶ驚かれたのですが(あまりのキャラの違いに)、なぜそこへ行ってなぜすぐ独立したのかについて、次は書かせていただきます。

いやいやいや、50近くになると人生長いものですね。もう5回で皆さん辟易してるかもですが(辟易してたら読んでないか…)、たぶんあと2回ぐらいで一旦終わります。溜まってる仕事の原稿もあり(すみません)。ではまた。

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