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恥ずかしいキャリアの私(その6)いきなり偉くなるとどうなるか

●外の世界で羽を伸ばす
ライフネット生命はめちゃくちゃいい会社だったと思います。経営者も同僚も超聡明で、理不尽なことはほとんどありませんでした。なにせ社長は出口さん、副社長は岩瀬さんです。いろいろ話が早い。

メンバーもすごかった。その後、今では、大学学長、投資会社経営、Jリーグ役員、外資アパレル副社長、デジタルマンガ会社幹部、スマートニュースやライザップのマーケトップ、パンツ会社社長などなどになった方々が集まり、一緒に仕事をしていたことになります。

当時のリクルート的な優秀さ「以外」の優秀さに触れて、自らの視野の狭さに気づき、この世界にはもっとたくさんの面白い人がいる期待感から飲み歩く日々となりました。人との出会いが楽しくて、毎日バーに通い、午前様。時には朝まで。

バーはいい。一人でバーに行くと、マスターが常連同士を繋げてくれて名前もあだ名しか知らないのにみんな仲良くなりました。大人になっても利害関係のない友達はできます。当時は大岡山の元戦隊レンジャーの方が経営するバーにほとんど毎日通っていたのですが、プライベートだけで使っている(今も)LINEは100名超えました。まさに「友達100人」です。

このアラフォー時代が人生で一番アルコールを飲んだ気がします。しかし、まだこの頃は体力もあり、次の日もふつうに仕事ができました(ただ、それで結局、アルコール性脂肪肝になってしまいました・・・反省しています)。

●やりつくしてしまった「感」
万人企業リクルートと違い、50人ちょっとの当時のライフネットでは仕事量が違いました。例えば新卒採用なら、300人採用と2人採用。リクルートでは最終面接だけで2カ月で600人、ライフネットはすべての面接に入っても数十人。意思決定もライフネットはそこに決裁者がいて起案書とかあまりいりません。超聡明な経営者はパシッとすぐ結論を出してくれます。新卒採用の「重い課題」とか(採用の方ならご存知かも)、即決でした。

リクルートの仕事量で鍛えられた私は仕事はまあまあ早い方だったので、一つ一つの仕事のポーションが小さいライフネットは、コンセプトワークの大変さは変わらないものの(むしろ知の巨人相手なのである意味厳しい。ただ、かなり自由に任せていただきましたが)、人事や裏方仕事の大変さの多くを占める労働集約的な仕事がかなり少なかった。

だから、いろいろな問題に対して、考えて、決まったら、すぐ実行し終わってしまいました。ポンポン仕事が進むのは、それはそれで快適でした。コンセプトワークが多く、手作業は少なく、合理的な経営者により意思決定も早く、時間もある。素晴らしい職場、仕事です。しかし、人事の諸施策の結果はすぐにはでないので、いろいろ仕掛けてしまったら、あとはじっと待つだけです。

しかし…私はなんだか物足りなくなってしまいました。元来、ADHD気味な私は待つことが苦手です。忙しくバタバタと動いていることに生きてる感じがするタイプです。ライフネットでの仕事はスルスルと行き過ぎて、本当はまだまだやるべきことはあったのでしょうが、自分としてはやり尽くしてしまった「感覚」(真実とは違うという意味で)になり、新しい刺激にも慣れていくと、徐々に終わりなき日常が続く毎日になっていきました。

ストレートに言うと「つまらない…」(というやつがつまらないやつなのですが)と思うようになってしまいました。勉強でもしとけば良かったのですが、当時は思いつかず、なんかもっと自分にとってチャレンジングなヒリヒリするような鉄火場はないものか、と探し始めるようになりました。私はやっぱりマゾです。

●日本一ヒリヒリする会社に行くことに
そこで出会ったのが、おそらく日本でもトップクラスのガッツと上昇志向の文化を持つ会社であったオープンハウスでした。私の元メンバーで私の次にリクルートの採用責任者をやってくれた方が、その頃のオープンハウスの人事部長をやっていたのですが、彼から「曽和さん、僕の上に来ませんか?」と管理本部長にやってこないかという打診がありました。僕の人生は部下がお膳立てしてくれたものばかりです・・・。

しかし、オープンハウスは、後にバンバン成長して一部上場企業となりアメリカ進出までするような超イケイケの急成長会社です。これまでお読みいただけた方にはお分かりのとおり、私は文弱の徒であり、正直言って、マッチョな不動産会社に適応できるはずもありません。なので、ふつうにスルーしようかと思ったのですが、その彼が言ってくれるのなら、何かあるかもしれません。オウム真理教の京都支部にも2回行ったことのある私です。知らないことは知りたい。叩き上げのすごい社長にも会ってみたい。それで会ってみることにしました。

お会いした社長は本当にものすごい方でした。一代10年で年商800億円(当時。今は既に数千億です)の会社を作り上げた方。ご飯とか面談とか3回お会いしたのですが、身体も大きく、凄みがあり、横にいるだけ莫大なエネルギーが伝わってきます。しかも、話してみるとけして根性だけの人では全然なく、極めて聡明でどんな施策でも深く考えた裏付けがありました。しかも、大勢の社員から慕われていて、親分肌。面倒見もよい。

その人が自分をなぜか欲してくれている。「曽和さん、リクルートみたいな会社を作ってくれよ」と、私がリクルートを作ったわけではないのですが、結局コンプレックスを抱えたままリクルートを辞めた私が、そう言われて燃えないわけがありません。期待に応えられるかどうか、めちゃくちゃ不安でしたが、誘われたらすぐ船に乗るのが私です。ええい、後は野となれ山となれと(結局、野となったのですが)、オープンハウスに転職することになりました。

●ところが、全く通用しなかった
私は、組織開発本部長というとても偉いポジションをもらいました。管理部門のうち、お金とかシステムとかそう言う部分をのぞいて、人に関することだけを集約した本部です。確か、3人ぐらいの本部長の1人だったので、ある意味社長以外で言えばいきなりトップ3です。統率のとれたしつけの行き届いた会社であったオープンハウスの若者たちは、不動産経験もなく、オープンハウスでものし上がったわけでもないのに、私に最敬礼してくれました。「うわ、やばい。これは本当に成果を出さなくては・・・」と思うしかありませんでした。

しかし、結果から言うと、私は4ヶ月しか持ちませんでした・・・。今までのサラリーマン生活の最短記録です。

組織分析を行い問題を洗い出し、変えるべき人事施策を決め、採用のプロセスを改善して辞退率を激減させ良い人材が取れるようにし、FFS(Five Factors & Stress)を導入して配置を再検討して人材のポテンシャルを最大化し・・・と、コンサルタントとしてみるなら、4ヶ月という短期間でかなりの仕事をしたつもりです。なぜか、社長と一緒に上海に不動産バブルを視察しにいったのも良い思い出です。

しかし、せっかく期待をしてくれたのにも関わらず、私は社長の高い要求を満たすことはできませんでした。デイビッド・ウルリッチの言うHRの役割の一つに「従業員のチャンピオン」つまり、従業員の声を聞いて、先頭に立ち、拡声して社長に届ける「チャンピオン」、これが私にはできなかった。社長と真剣勝負ができませんでした。

比べるのもおこがましいですが、孫正義さんをトップに抱えるソフトバンクはそのエネルギーと対峙するために、役員陣(個々にも一流の方ですが)が一枚岩になってやっとということです。それぐらい強烈なエネルギーを持つトップとの応対は大変なものです。それをリクルートの先輩の青野さん(ソフトバンクの人事トップ)は扇の要となってやっているようですが、同じような立場に置かれた私は、全然その器ではありませんでした。そう言えば、私は「おじさんリテラシー」が低いやつだったことを思い出しました。

従業員の声は聞きました。いろんな店に行き、社員に話を聞きました。幹部の方とも話し合いました。しかし、結局、人間力というか、なんというか、オープンハウスの社員や経営幹部の会社や仲間に対するコミットメントや、ビジネスに対する真剣度という評価尺度から見て、私は信頼に足る者ではなかったのだと思います。身近な人事の皆さん以外には信頼を得ることもできず、「お前、本当に本気で、オープンハウスをよくしようと思っているのか」と疑う「目」に、自信を持って向き合うことができませんでした。

自分で経営をして約10年たった今ではわかります。正しいことを言うかどうかよりも、それを本気でやろうと思っているかどうか。リクルート時代はいろいろなことがあり自然に本気でした。ライフネットは理性的な大人な会社であり、戦略優位の会社であり、本気でない(本気なつもりでしたが)自分でも機能として「うまく使ってくれた」ので、順調に仕事ができただけでした。それなのにうぬぼれていました。

オープンハウスはすごい会社なのに、あまりにも気軽に入社してしまったと悔やんでいます。社員は皆、自分の人生を切り開くために、厳しいことで有名な同社に覚悟を決めて入社してきています。めちゃくちゃ純粋ないい人(文字通り「いい人」)ばかりでした。彼らの人生にコミットする覚悟があったか。本当に失礼なことをしてしまったと思います。私はオープンハウスに知的な興味はあったのですが、コミット度合いが社長や経営陣、そして若い社員達には遠く及びませんでした。

連日、社内を歩きまわり(4ヶ月間はほとんど休まず笑)、社長にたくさん提案しましたが、本気度を問われ、突き返される。社長の顔色から日に日に私への失望感が伝わってきました。そして、徐々に呼ばれることも減り、私は肩書きばかり偉いだけの木偶の坊となり果てていました。全社朝礼で社長から名指して罵倒された時には、失神しそうになりました(後にも先にも目の前が真っ暗になったのはこの時だけ)。

「大変失礼しました。私には過分なポジションでした」という気持ちで退職の意思を伝えました。

●思わぬ社長の申し出
社長はあまりに早い私の申し出に驚いていましたが、通用しないとも思っていたせいか、すっきり受け入れてくださいました。

「でも、辞めてどうするの?」と聞かれた私は、結局、コミットできるのは自分でやるだけだと考えていたので、特に具体的なイメージはありませんでしたが、「独立しようと思います」と答えました。オープンハウスの皆さんの本気さが羨ましかったのです。独立すれば追い込まれて必死になると考えました。

すると社長は「それなら、まだうちの仕事をやってよ。業務委託で何かできないか提案して欲しい」と思いがけないことをおっしいました。形態を変えて、仕事を続けさせてくれるというのです。こんな期待外れのロートルに。

断る理由はありません。私はいくつか提案をした後、社長が「それなら採用をやってよ」となり、私の会社の最初の仕事はオープンハウスの採用アウトソーシングになりました。そして、その後1年半ぐらいやらせていただくことになりました。そういう形では、2年弱、オープンハウスにはお世話になったことになります。とても有難い話で、オープンハウスには足を向けて寝れません。

なぜ社長は仕事をくださったのかはわかりません。ある意味、会社を成長させるためなら私を別の形で使うのは「あり」だと思っただけかもしれませんし、三顧の礼で迎えた私が活躍できなかったことを、かわいそうだと情をかけてくれたのかもしれません。真相は聞いたことがありませんのでわかりません。


…というのが独立起業のきっかけという情けない旅立ちです。かっこいい理由は一つもありません。

ただ、結果としては良かったと思っています。サラリーマンとして私は偉くなるのは無理だと心の底からわかりました。リクルート以外でリクルートと同じレベルでコミットできる会社はない。あるとすれば、それは自分で会社を作るしかないと覚悟が決まりました。

というわけで、そろそろ恥ずかしいキャリアのnoteは次回で終わりにします。

今回も読んでいただきありがとうございました。

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