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1回目相続=◆実母編◆~初めての相続に至るまで.闘病・看取り

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4回の相続・実母編=闘病・看取りを通じて、緩和ケア、宣告、エンバーミング等、様々な事を学びました。相続は手続きの煩雑さと共に、「人の死」の心理的影響が多大です。
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記事一覧

相続回数=多くなったきっかけ…

「遺産相続 もう!たくさん!」第6回 ◆死にゆく母、唯一の心残りは…    「私は遺産相続士?」、自虐ネタが出るほど「相続」が増えた理由…大元は、母の他界. 祖父母は長生き系、母の姉も早くに逝き…=本人も想定外だったでしょう。50代で死んだ母、最大の心残りは「高齢の実母」より先に逝く事。最期まで、行く末…看取れないこと案じていました。  女親の存在は大きく、その影響力が絶大だった事を痛感. 家庭や親族の見えない均衡を保っていたのは、やはり母だったのです。 ◆人生

母とあの日の診察〜前編

「遺産相続 もう!たくさん!」第7回 ◆ある日の通院    母は1度は手術し、再発するまで、普段通りの生活をしていました。その間、大病院とは距離を置き、自分が良いと思った治療を受けていたのです。亡くなる半年ほど前には海外旅行まで楽しめた、母.  その後、急激に悪化し、再度、大病院に診てもらうことに。この日は、私が付き添いました。手術した先生とは違う、外来の若い医師. 母の顔も見ずに、カルテに目を落としたまま… 沈黙後、    車椅子に乗った母の背中が、小刻みに震えて

母とあの日の診察〜後編

「遺産相続 もう!たくさん!」第8回 ◆病気が治せなくても…この方は!  人気の少ない…薄暗い放射線科の待合室. 私は沈黙を破って、母に言いました。 「医者は何百人もの患者を診てて、私たちは、そのうちの一人でしかない。だから自分から、これまでの詳細な病状、状況を伝えなきゃいけない。次は、私も説明するから、堂々と言おう」  扉が開き、中はオレンジ色の灯りに見えました。  母に一度も触れなかった上の階の医師とは違い、 丁寧に聴診器をあて、血圧や脈なども測ってくださいまし

母の通院と、緊急入院

「遺産相続 もう!たくさん!」第9回 ◆大病院への通院、そして緊急入院  その後、放射線科の治療も始まり、通院が再開しました。大病院は実家のすぐ傍なので、家族の誰かしらが付き添いました。  ある日、母が救急車で運ばれた!と、知らせが入り…。別の治療で訪れていた病院で、転倒、骨折→そのまま緊急入院. やはり、家族の誰かしらは、毎日、毎日、見舞いに行きました。  私は結婚後、遠くに住んでいたので、 電話や、一週間に1度様子を見に行くこと位しか出来ず・・・  ただただ

命の時間①〜前編

「遺産相続 もう!たくさん!」第10回 ◆母の昔からの口癖=「痛いのは苦手」  そこから2ヵ月ほど経ち、家族は毎日見舞っているものの、母の病状をどこまで把握しているのか? ふと、疑問が湧いたのです。  確認すると、表面的な治療方針は聞いているが、主治医と根幹部分の話はしていない、と。かえって、毎日顔を合わせていると、変化に気付きにくいもの…。  私は母が弱っていくのを、行くたびに感じていました。    昔から母は、「痛いの苦手…何かあったら、ホスピス入りたい」と、よ

命の時間②〜後編

「遺産相続 もう!たくさん!」第11回 ◆あの時の名医は…この時も名医でした    (前編はこちら)  あの放射線科で母を温かく迎えてくれた名医と、面談が出来ました。  先生はこの時もお優しく、レントゲンや沢山の資料と共に、病状を詳しく説明してくださいました。    そんな言葉をかけてくださったんです。有難くて…思わず涙がこぼれました。患者家族にまで、ご配慮くださる、先生… ◆結婚式までもつか、、、    数ヶ月後には、妹の結婚式があり、そこまでもつか、聞きまし

緩和ケア科でのひととき

「遺産相続 もう!たくさん!」第12回 ◆母のいる病棟    緩和ケア科は、様々な分野のボランティアの方々もおられました。 手や足のアロママッサージや、ロビーでは音楽療法士の方の演奏など。 母も柑橘系の精油を選び、少しお喋りしながら、安寧の時間を過ごしたり、皆様とギター演奏に耳を傾けたり。  明るい日差しの入る最上階. 個室も広く、ゆったりしていて。 穏やかな時間が流れている、場所でした。  見舞いに行くたび、このままが…永遠に…続けば良いな、と. ◆母と過ご

2つの選択肢…

「遺産相続 もう!たくさん!」第13回 ◆2つの薬   ある日の緩和ケア科のロビー.   姉妹でいると、看護師長と思われる女性から、声をかけられました。 最初主旨がわからず… 顔見合わせ、「あっ…はい、、」と. ゆっくりと落ち着いた声、平易な言葉で話してくださいました。 私たちは迷わず答えました。 「後者の…本人の痛みが取れる方で!!」  母が苦しいままなのに…ずっとずっとこのままで、って願う=私のエゴでしかないと思ったのです。 話を終え、病室に戻り、 母と他

…宣告

「遺産相続 もう!たくさん!」第14回 ◆医師からの言葉…  父からの電話で、医師団から次のような主旨の話があった、と。 ●「もう、食べたり、飲んだりはしない方向で」 ●「逢いたい人に会っておいてください」  本人いる前で言われたそうで…母はかなり動揺していたそうです。  何故、そんな宣告をしてしまうのか!と、私は電話口で怒りました。そして、その真意をずっと、ずっと考えていました。    患者や家族を想っての敢えての告知. 緩和ケアの、プロフェッショナルな医師

愛犬との最期の別れ

「遺産相続 もう!たくさん!」第15回 ◆母に逢いたい…愛犬の願い  お医者さん達の言葉があった後、父は行動に出ました。 母と愛犬を対面させたい!と、病院に掛け合ったのです。 声高に意見したり、リーダーシップ旺盛とは真逆なタイプの父が、大胆にも.    階下の玄関口までしか…と許可が降りない中、どうにか哀願したようで。他の患者さんとは絶対合わない、秘密のエレベーターで、母の個室に連れていく事が叶いました。    母の事が、大!大!大好き!な愛犬。無我夢中でムシャブリ

エンバーミングと出棺

「遺産相続 もう!たくさん!」第16回 ◆自らの葬儀を決めていた…母  生きることに真摯に向き合った母. 最後の方は痩せこけ…昔からの女友だちに会う事は、嫌がっていました。 「みんなとは良い時間、もうたくさん過ごしたから」    また、母は自分が死んだ後の段取りも、つけていました。無駄が嫌いな母は、実質を伴った 小さな規模の葬儀社を。  でも、父は、場所も 規模も 大きくする為、プランを全て変更. それは 母への最期の労い だったと思います。 ◆エンバーミング

死んだ母が、会いに来た

「遺産相続 もう!たくさん!」第17回 ◆母が家に来た    明け方、家族に見守れながら…息を引き取った母.    一晩中付き添っていたので、 病院から葬儀社に 亡骸 を託した後、私は一旦帰りました。  夫の実家 に預けていた子と、自宅に戻り、昼間から寝ました。 その日は、青空眩しい 晴天でした。 母のことだから、 実家や祖母、友人、全部の家を回ったことでしょう。 ◆その後も…  母の死後、気分も落ち込み…痩せた私…この話をすると、皆、「大丈夫?幻聴が聞こえて…相