山に呼ばれて。
先日、読んだ本の、付録?として、「あなたのハイヤーセルフからのメッセージをリーディングしてお届けします」というのがあった。
LINEで登録しなくちゃいけないし、なんとなく躊躇していたのだけど、それを読んだ次の日、たまたま友人と話すと、同じ本の同じ著者からメッセージを受け取ったという。
シンクロニシティ。
なるほど、これは・・・と、思い、私もメッセージを受け取ることにした。
しばらく経って、昨日、私のハイヤーセルフからのメッセージが届いた。
短いそのメッセージの中に、「山が呼んでいる場所に、足を運ぶこと。たくさんの光を受け取れます」
というのがあった。
実はすっかり忘れていて、あまり期待していなかった(失礼・・・・^^;)のだが。
そして、一つの区切りが来ていること、魂がたくさん磨かれて来て、これからは人と人の縁によって結ばれた世界に入ること・・・というもの。
思えば、最近は山に行っていなかったけど、過去にも何度か、明確に「これは呼ばれたなあ」(反対に、呼ばれなかったなあ)という山があった。
もっとも印象深い二つの山は、阿蘇山と岩木山。
その二つの山の印象は今でも、心の中に深く刻まれている。
阿蘇山に呼ばれて。
阿蘇山に呼ばれたのは、かれこれ10年以上前。まだ夏山登山もしていない頃だった。とても弱っていた時期で何年も閉じこもっていた頃。スキーとも友達とも旅行ともお金とも疎遠だったのに、なぜかあるとき、ある友人が、飛行機のマイルが溜まったからキャンペーンで旅行に行こうと誘ってくれた。誰にも会いたくなかったのに、なぜか久しぶりに行こうという気になったのだった。
最初は沖縄に行くつもりで、キャンペーンが始まる日の始まる時間の朝9時少し前から電話の前で待ち、9時になったと同時に電話をした。
なかなか繋がらない電話・・・・そしてやっとの事で繋がったけれど、沖縄はもう売り切れたという。
ともかく、どこでもいいからと、空いているところ、ということで押さえることができたのが、熊本空港行きだった。
熊本には何度か行ったことがあったが、阿蘇に行ったのは修学旅行以来だったと思う。その後何度か阿蘇には行くことになるのだが、その時初めて、阿蘇山に個人的に登ることになった。
巨大な火口の前にある看板を見ると、最近噴火をした、と書いてある。「えっ、阿蘇って最近噴火したっけ?」と思って読み進めると、それは9万年前のことであった。
それを読んで、火口を見たとき、愕然とした。山にとっては、9万年前って、最近なの?
急に、私は、自分が、自分の作ったとても小さな世界と短い時間に閉じ込められているということを強烈に認識した。
火口からは煙が出て毒々しくぱっくり口を開けている。あそこに飛び込んだら命はないなあ・・・
あたり一面、植物も何もない、地獄のような景色だった。一面、ゴツゴツとした岩が転がっていて、火口からの煙、時々チラリと見えるエメラルドグリーンの火口。
美しかった。
優しい風景では決してなかったのに、その風景の中で、私は癒されたのだった。
そこからの人生は、緩やかに確実に変化して行った。私は、阿蘇山の「火山」のパワーが自分の魂の中に注入されたと思った。
そこから、火山がとても好きになった。
岩木山に呼ばれて。
まだ子供が生まれていないころ、ある年のゴールデンウィークに、今の旦那くんと一緒に小さな車に乗って、行き先を決めない旅に出ようということになった。湘南を出発して、東北へ。
まずは新潟を目指し、そこから日本海を北へ。
その頃はすでに夏山登山をしていたので、タイミングが合えば、鳥海山登りたいねえ〜と話しながら旅した。
出発してからしばらくはいつものモードだったが、海沿いの道を走りながら鳥海山の手前から、突如雨と雷が始まった。紫色の稲妻がいくつもいくつも、海に落ちるのを見たとき、二人とも急に、別のモードに入ったのがわかった。言葉ではうまく言えないけど、異次元モードというかなんというか。(立山に行った時によくそのモードに入る。旅行モード?)
登りたかった鳥海山は霧で麓さえ見ることができなかった。鳥海山には、来るなと言われたね・・・また今度。
そしていくつかの場所で宿泊しながら、青森まで到達した。調べて見ると、そこには「津軽富士」と呼ばれる岩木山という山があった。あの、「帰ってこいよ〜」の歌詞に出て来るお岩木である。
そう言えば・・・旅行に出る少し前に読んだ本が、佐藤初女さんという方がやっている「森のイスキア」について書かれたものだった。それがどこにあるかよく認識していなかったが、行って見たいなと思っていたのが、岩木山にあるという。
岩木山の麓にキャンプ場があった。そこは無料ながら手入れがよくされていてとても気持ちが良かった。ゴールデンウィークだったが桜が満開で、花びらが散る中、小さな車で車中泊した。
あまりに居心地が良かったので、次の日弘前のモンベルでテントやシュラフを購入し、結局そこで3〜4日を過ごしたのだった。
岩木山はまだ、雪に覆われていた。アイゼンもストックもなかったが、とりあえず登り、下のリフトの時間に間に合いそうにないということで大急ぎで下山した。だからあまり頂上の景色は記憶にない。
岩木山の神社は、とても不思議なところで、鳥居の正面にたつと、奥にちょうど山を拝む形でまっすぐ参道が配置されていた。軸線の先に山。ああ、ここは、山を神様としてつくった神社なんだ・・・と分かった。
岩木山は、阿蘇山と真逆で、とても優しいエネルギーだった。女性的?それは佐藤初女さんの印象があるからなのか。でもなんだかとても去りがたい場所だったので、数日止まった。その山のエネルギーに抱かれて、桜が降るなか、何日か過ごしたことは今では夢のように記憶されている。青森はそれ以外にも本当に好きな場所だった。
山に呼ばれること
いつも、強かれ弱かれ、山に呼ばれるから行くんだと思う。
呼ばないとき、山は、はっきりとメッセージを出す。例えば先述の鳥海山のように。先日書いた、日光白根山のように、「来るな!」と。そのときはすんなり、行かない。
こう言うことって今まで言語化したことがなかったけれど、書くとはっきりするのだなあ。
そして、いつも呼ばれて行く、大好きな、あまりに好きな、憧れの山はいつでも、立山だった。それは多くの人が憧れる山でもあると思う。立山のことを思うと、涙さえ出る。そのくらい何か強い想いがなぜかある。王道が苦手な私だか、これだけは王道だな・・・。
立山からは、いつも多くのことを、それこそ、スピリチュアル的に言えばエネルギーをもらっていたのだと思う。
今は、北海道。北海道の山は、本州の山と全くエネルギーが違う、そんな気がする。山屋っぽい表現だと、まず”山容”が全く違う。
私には、まだ北海道の百名山をスルスルと登る気にはなれないし、そんな状況にはない。けれど、里山と呼ばれる近郊の山でさえ、なかなかの場所だと思う。まずは、厳しさ。西の火山とはまた違った。
それから、一番違うのは、その深さ。深さ・・ちょっと恐怖。
こっちに来て一番最初に、そして日常的につながりを持ったのは、藻岩山だと思う。その麓に今は住んでいるし、毎日見る山。そしてこの次は、円山。円山がこれから自分のご縁になる山であると思っている。札幌に住む人はみんなご縁があると思うけど。
そして、やはり、余市岳。夏も冬も、なんどもその周りに行ったのに、まだ頂上に行けてないけど・・・
次は、どこに呼ばれるのか。
「呼ばれるときは、なんども同じ場所を人から聞いたり、テレビや本で見かけて気になります」
とのことらしい。
やっぱり、私には、山というものが大事な要素なんだろうなと言うことでしょうねーー>ハイヤーセルフさん。
そして、日本の山といえば、富士山
そうそう、書くのを忘れていたが。
山といえば、日本人といえば。やはり、富士山なのだ。
富士山は、湘南にいた頃はいつもみていた。何度見てもため息しか出ない。あの完璧さと大きさと威厳と。
しかし不思議なことになぜか、登る気になれない。登る山じゃなくて、見る山だと思っている。そしてかなり神聖な山だと思っている。そう簡単に、登る時というのは来ないんじゃないか。結局登らないまま、北の地へ越してしまったが、いつかまたあの嘘みたいな富士山を見に戻りたい。
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