お母さんは躁うつ病3
平和な思春期
母の病気の悪化、入院を繰り返しながら私は中学生になった。
父がマイホームを建てたので祖父母とは別居となったが、徒歩10分ほどしか家が離れておらず母も家事能力がなかったので学校が終ったら祖父母宅へ行き晩ごはんを食べて自宅へ帰って寝る毎日
やや学校を休みがちだったけれど、中学時代は母に悩まされる事もなく平和だった。
なんと仲の良い友人もできた!
友人と好きなアーティストのライブに行ったり買い物へ出かけたり家から離れる時間を過ごすことができて心が軽くなった。
ある日、小学校からの同級生に「タネちゃんの家はお母さんが大変で可哀想だよね」と言われて衝撃だった。
母の事は恥ずかしいこと、みっともない事だと祖父母から教えられてきたので恥だと思っていたけれど私は他の人からみたら可哀想なんだと初めて思い知らされた。
いろいろありながらも無事に高校受験を終えて春休みに入る頃、突然母が躁状態に突入した。平和な日常は中学校卒業と共に終了してしまった。
わたしのせい
成長するにつれて弟の発作も治まり入院することもなかったのに母は激躁状態で朝から晩まで無双した。祖父母が言うには私の高校受験がストレスで病気が悪化したらしい
そもそも私だって好きで受験生やってたわけじゃないし、進学先の高校を祖父母に指定され一生懸命勉強して合格したのにまだ文句があるのか?と絶望した。
高校へ入学するときには母親は完全におかしくなっていて、おかしな洋服を着て毎日遊び歩きコンビニのトイレに立てこもり洗面台で頭を洗って水浸しにしたり突然仔犬を買ってみたり、数百万円の借金を作った。
学校へフラフラとやってきて大騒ぎして夜中だろうが授業中だろうがひっきりなしに携帯に電話してくるので私は高校に通う事と母が心底嫌になった。
数カ月後、高校の文化祭に見知らぬ男と手を繋いで現れた母を見てものすごい嫌悪感を感じ母親として受け入れられなくなってしまった。
そして気持ち悪く感じて母の作った食事を食べることができなくなった。躁状態でまともに料理できないので食卓に出てくるのは白ご飯とケンタッキーとか生ハムとホタルイカかとんでもない組み合わせで出してくる、ほとんど調理していないけど母が触ったと思うと口に入れたくなかった。
とにかく生活の全てがぐちゃぐちゃになって学校へ行くのも嫌になり留年しないギリギリまでサボりまくり、自宅で母の顔を見るのも嫌なので祖父母の家で生活するようになった。「誰か助けて」と常に心の中で思っていたけど誰にも言えなかった。
これは恥だから誰にも言ってはいけない、私の受験でストレスをかけてしまってこうなったのだから助けを求めてはいけないと思っていた
高校では友人と呼べる存在は作れなかった。
たまに母に出くわすとお前は彼氏もいないのかとバカにされ私はイタリア人の彼氏がいたことがあるんだ!とよくわからない自慢話をされた。
毎日メンタルを削られながら無気力に過ごしていたらある日突然、悪霊に足をねじ切られた!と大騒ぎして母は自分から精神病院へ駆け込んで行きそのまま入院した。
病院に行って欲しいとどれだけ言っても聞かなかったのに、捻挫で大騒ぎして入院するのが馬鹿馬鹿しくてそのまま退院してこないで欲しいと心から願った。