フルリモートで半年働いたら人生観がまた変わってきた話
今、オフィスで2ヶ月ぶりに仕事して帰る電車の中です。2ヶ月前に行ったのは溜まりに溜まった歓送迎会をソーシャルディスタンス飲みで一気に消化した日だったから、仕事で行くのは3/26以来。そう、私の勤めるリディラバ は、4月の緊急事態宣言を機に、フルリモート勤務をベースとした働き方に切り替えたのでした。元々リディラバ はボランティア団体だったので、一定時間顔を合わせながら仕事をする文化が根強くありました(そうじゃないと仕事が進まなくなったり進捗に偏りが出やすい)。それを180度転換するこの判断の速さはベンチャーぽくて好きです。
特に首都圏ではリモート勤務について色んなトライアンドエラーが行われており、週に1回は出勤する方がいいとか、いや出勤時間ずらすだけで感染症対策すればいいとか、オンラインミーティングは効率がいい一方で事務的になりがちとか、それでいて多くのリモートを経験した社員は元の働き方に戻りたくないとアンケートで答えたとか、意見が錯綜しています。まあ正直何の職種、業種によるかで判断も変わるんだろうし、正解はありませんという話ではある。
ただ一つ確実に言える事は、フルリモートしたら断然家事を分担できるようになったし、断然コンスタントに子どもに時間割けるようになったし、とにかく自分の家の事に対して考える時間が物凄く増えたという事です。その分読書の時間や個人的なアウトプットの時間は減ったけど、その手の時間は今まで必要な時にきちんと捻出されてきたからあまり気にしない。
特に子どもに対して、コンスタントに関われる様になった事はとてもとても大きい。朝は一緒に起きて、ご飯の用意して、朝公文して、保育園に送る。9時台に始業して、昼は残り物とか簡単にできるものを妻と食べる(ちなみに妻もフルリモート中)。夕方帰ってきた子どもたちにおかえりーと言って、急ピッチで仕事を終わらせ、晩ご飯の途中に滑り込む。風呂に一緒に入る時も増えたし、読み聞かせできる時間も増えたし、長男とアマプラ見る時間も出来た(今は鬼太郎とどろろと鬼滅の刃を1日1本ルーチンで視聴中)。以前は、平日子どもの寝顔見て元気をチャージするだけの生活なんて何て寂しいんだ!と思ってましたが、今は子どもたちのただいま!が聞けないなんて泣ける!と思ってます。お迎えも行きたいけどそれは妻に譲ろう。
子どもと長く話してわかる事は、本当に子どもは大人の都合や考え方、特に時間軸を押し付けられまくっているという事。忙しい時に瞬間関わるだけだと、言葉としては分かっていてもここまで身につまされる事はなかったと思う。
大好きななはずのハンバーグを遊ぶばかりで食べない子どもたち。しかも今日のは昨日の残りのカレーを混ぜ込んだスペシャル版なのに…?早く食べなさい!一口!はい次!白ご飯!手が止まってる!こぼさないように食べなさい!足を机にかけるな!ご飯中に立ち歩かない!お茶ばっかり飲まない!次のお茶はご飯食べないと注がないからね!ブーってやらないで!口の中にものを入れてお話しない!これらの事を連呼しているとようやく自分で食べ始める子どもたち。食べ始めたら早くて、すぐ終わる。それまでの荒れ狂う食事の時間は何だったんだと思う。リモートじゃない時は、この後も叱りながら歯磨きさせてお片付けさせて…と続くが、リモートの今は、食後変な余裕時間ができる。何であんなに急がせたんだっけ。躾けようとしてたけど、何であんなに激烈に叱ったんだっけ。一生懸命作ったものを、温かいうちに美味しく食べて欲しいだけだった気もする。後の予定や行儀とかを言い訳にして、その本心では何で食べてくれないのーって叫んでみても、泣きながら食べるご飯は美味しくないわな。子どもたちは、親が自分に使う時間を最大化しようと行動しているように見える。そしてたいていの場合、褒められるのは一瞬で、叱られる時間は長い。言う事きかない時間を長くすればするほど、親は自分に時間を使う。そうは思ってなくても、本能的にそうしてしまうスイッチがあるのかもしれない。理性が働く分、親の方がそのループから踏み出さなければならない。その試行錯誤は、時間がないと気がつかないなあ…と思う。
答えの無い問いを考える力が大事とか、間違いや失敗を恐れない事が大事とか、散々言われてきた事だし重々分かってるし、実際よくよく意識して子どもと接しているつもりでも、ふとした瞬間に長男から出る一言に愕然とする。
「間違っててもいい?」
いやいや間違ったらダメなんて誰も言ってないけど、何でそんな思考回路になった?読んだ本に感想や意見を求めても
「普通!」「全部面白かった!」「全部好き!」
いやいや何を恐れているの?自分の意見否定された経験ないだろ??!自分たち親の、何がどう影響しているのか無意識的であるが故に悩みが深い。それでもしばらく待つと、少しずつ自分の言葉が出てきて、直接的な質問がいかに暴力的だったかを後から知る。それも時間があるから分かる事。大事な時期にしっかり時間が使える価値はとてもとても大きい。
家族に時間を割くよりも、労働に時間を割いた方が賃金が入る。若しくは、労働に対して賃金をもらっているのだから、やむ終えない時にだけ家族に時間を割く。そう言う価値観では到底及ばない心境になりつつある。自分の時間を何に使うべきなのか?どこまで貨幣価値に変える必要があるのか?通勤という不毛な割に体力的なコストの高い時間がカットされた事で、家族と労働が近くなり、よりシビアにその問題を考えるようになった。時間の価値と貨幣の価値にグラデーションがかかってつながっている世界が見えてきた。家族と仕事がつながっている世界が見えてきた。そしてこれは、転職を機にそうありたいと思っていたことでもあるので、私としては非常にハッピーな話なんだと思うのです。