家族計画
【これは、劇団「かんから館」が、1998年11月に上演した演劇の台本です】
〈キャスト〉
父
母
長男
二男
長女
二女
山崎
兵士
1
十一月三日 朝
朝、目覚まし時計のベルが鳴る。
明かりがつくと、そこは、リビングダイニングキッチンら
しき部屋。
テーブルとイスがある。
部屋の中央に、ジャージ姿の男(父)。
父 おーい、朝だぞ。
しばしの間。誰の反応もない。
父 おーい、朝だ。起床時間だ。起きなさい。
しばしの間。誰の反応もない。
父 もう六時を過ぎてるぞ。起きなさい。間に合わなくなるぞ。
しばしの間。
やがて、母が出てくる。
母 おはようございます。
父 おはよう。‥‥まだ誰も起きてこないんだ。今日は遅いな。
母 昨日、みんな遅かったみたいですから。‥‥それに、今朝は
冷えますからね。
父 そうだな。‥‥まだ、十一月なのにな。
母 やっぱり山は、季節が早いですね。
父 そろそろ冬の準備をしといた方がいいかもしれないな。
母 ええ、そうですね。早めにしておかないと‥‥。
父 考えておいてくれ。頼むよ。
母 はい。
父 イチロウは?
母 まだ、寝てますよ。‥‥たぶん。
父 そうか。‥‥何時だったんだ、夕べ?
母 三時です。
父 何かなかったか?
母 別に。
父 そうか。
父、時計を見る。
まだ、誰も出て来る気配はない。
父 しょうがないな‥‥。オレが起こしてくるから、お前はイチロウを頼む。
母 ‥‥起こすんですか? イチロウ。
父 やっぱり、朝は、そろわないとな。
母 ‥‥はい。
父と母、去る。
しばしの間。
父の声 おい、起きなさい。もう始まるぞ。
二男の声 はい。
間。
ノックの音。
父の声 起きてるか?
間。
再びノックの音。そして、ドアノブを回す音。
父の声 おい、カギはかけるなと言っただろ。
長女の声 今、着替えてるの。
父の声 じゃ、返事ぐらいしなさい。
長女の声 はーい。‥‥今、行くから。
長男(イチロウ)が、目をこすりながら出てくる。手にラジカセを持っている。
続いて、母が出てくる。
母 ほら、顔洗ってきなさい。
長男 はい。
長男、ラジカセをテーブルに置き、コンセントを差し込んで去る。
父が戻ってくる。
二男も出てくる。
二男 うー、寒い。冷えるねぇ。‥‥そろそろ暖房入れないの?
父 朝は、寒いくらいがピリッとしていいんだ。
二男 ‥‥‥。
父 運動すればすぐにあったかくなるさ。‥‥目も覚める。
(腕時計を見て、奥の部屋に向かって)おーい、何してるんだ。始まるぞ。
長男がタオルで顔をふきながら戻ってくる。
続いて、長女(カズミ)も出てくる。
父 フタバは? どうした?
長女 頭が痛いんだって。
父 何だ、またか。‥‥夜更かしするからだ。
長女 ‥‥‥。
父 とにかく朝は顔をあわせないとな。‥‥呼んできてくれ。
長女 おなかも痛いんだって。
父 ‥‥ほんとか?
長女 知らないわよ。あの子がそう言ってるんだから。
父 でもな‥‥。
母 もう、いいじゃないですか。始めましょう。
父 だいたい、お前がそう言って甘やかすから‥‥
母 女の子はいろいろあるんですよ。‥‥それより、ほら、もう時間ですよ。
父 (時計を見て)あ、そうだな。
‥‥それじゃ、(姿勢を正して)‥‥皆さん、おはようございます。
全員 おはようございます。(礼)
父 えー、最近寒くなってきて、起床時間が遅れ気味です。お父さんやお母さんに言われるまでに、自分で起きるように努めて下さい。改めて言っておきますが、規則正しい生活習慣こそが、明るい家庭生活の基本です。そこの所を今一度考えて、各自自分の生活を見直して下さい。それでは、今日も元気に一日を過ごしましょう。‥‥じゃ、始めよう。(長男に合図する)
長男、ラジカセのスイッチを入れる。
「ラジオ体操の歌」が流れ出す。
全員ラジオに唱和する。
歌 ♪ 新しい朝が来た。希望の朝だ。喜びに胸を広げ、青空仰げ。ラジオの声にすこやかな胸を、この薫る風に開けよ。それ、一、二、三。
続いて「ラジオ体操第一」が、始まる。
全員、整然と体操を始める。
途中、電話が鳴り出す。
母 お父さん。
父 また、いやがらせだ。
ラジオ体操は続く。
電話も鳴り続ける。
母 今日は、長いですね。
父 しつこいな。‥‥イチロウ、切りなさい。
長男 え?
父 電話。
長男 あ‥‥はい。
長男、受話器を取って、すぐに電話を切る。
ラジオ体操は続く。
ややあって、再び電話が鳴り始める。
母 おとうさん、また。
父 ほっときなさい。
母 でも‥‥。
父 いいから。‥‥イチロウ、ボリュームを上げなさい。
長男 え?
父 ラジオのボリューム。
長男 あ‥‥はい。
長男が、ラジオの音量を上げる。
ラジオ体操は続く。
電話は、鳴り続けている。
やがて、ラジオ体操が終わる。
電話も鳴り止む。
ラジオ これで金曜日のラジオ体操を終わります。今日も元気でお過ごし下さい。それでは、ごきげんよう。
長男、ラジオを切る。
母 やっと、切れましたね。電話。
父 人がせっかくさわやかに一日を始めようとしているのに‥‥。
玄関のチャイムが鳴る。
母 お父さん。
父 ああ‥‥出てくれ。
母、玄関に去る。
男(山崎)の声 おはようございます。もうラジオ体操はお済みです
か?
母の声 何言ってるんですか。山崎さん、どういうつもりなんです? ああいうことはやめて下さいって何度も言ってるでしょう?
山崎の声 ああいうことって?
母の声 電話ですよ。電話!
山崎の声 電話‥‥が、どうかしたんですか?
母の声 とぼけないで下さい! 今さっき、いやがらせの電話、したでしょう?
山崎の声 してませんよ。‥‥だって、私、今、歩いてきたんですから。
母の声 あなたかどうかが問題じゃないでしょ。‥‥とにかく、ああいうことが続くようだと、こっちも考えさせてもらいますから。
山崎の声 ‥‥はあ、まあ、一応確認してみますけど。
母の声 ほんとに頼みますよ。
山崎の声 はあ。‥‥あの、上がってもよろしいでしょうか?
母の声 ‥‥‥。どうぞ。
山崎の声 それじゃ、お邪魔します。
山崎が入ってくる。
続いて母も入ってくる。
山崎 皆さん、おはようございます。
全員 ‥‥‥。
山崎 いやあ、今朝は格別に冷えますねぇ。今、来る時、空をみてたんですがね、どんよりと曇ってて、何だか雪でも降ってきそうな感じですよ。
全員 ‥‥‥。
山崎 やっぱり信州の冷え込みってのは、東京とかとは全然違いますね。私、九州の出身だから、自慢じゃないですが、寒さには人一倍弱くてね、ここ二、三日の寒さはかなりこたえます。‥‥それで、年寄り臭いんですがね、実は、ホカロン使ってるんですよ。ほら。(背中から出して見せる)‥‥これ、熱すぎないし、結構いいですよ。
全員 ‥‥‥。
山崎 皆さんも、風邪なんかひかないように注意して下さいよ。ま、ラジオ体操をして健康管理に努めていらっしゃるから‥‥。
全員 ‥‥‥。
山崎 おや、下の娘さん‥‥何てお名前でしたっけ?
父 フタバです。
山崎 ああ、そうだ、フタバさん。どうなさったんですか? お顔が見えないけど‥‥。
父 ‥‥‥。
母 ちょっと頭が痛いんだそうで‥‥。
山崎 へぇ、それはいけませんね。お風邪ですか?
母 いえ、ただの頭痛だと思います。
山崎 頭痛止めのお薬ありましたっけ? 何なら、医者を来させましょうか?
父 いえ、結構です。
山崎 でも、念のために‥‥。
父 大丈夫です。大したことありませんから。
山崎 ‥‥そうですか。なら、いいですけど‥‥。ほんと、遠慮なさらずに言って下さいよ。特に、皆さんの健康管理については、一番気を使っているところですから。何でもご協力させていただきますから。
父 ‥‥‥。
山崎 さて、今日は何かご用件はございますか?(手帳を取り出す)
母 お父さん、さっきのこと頼んどいたら?
父 え?
母 冬の準備。
父 ああ‥‥そうだな。‥‥お前、言ってくれ。
山崎 え、何でしょう?
母 いや、服とか布団とか、冬物に代えようかと思って。あと、暖房器具とかも。
山崎 ああ、そりゃ、そうですね。この気候は、もう完全に冬ですからね。‥‥いや、こっちから言うべきなのに、気がきかなくてすみませんね。‥‥数とか種類とか、どうしましょう?
母 そうね‥‥お父さん、どうします?
父 人数分で適当に見繕っといて下さい。特に必要な物があれば、後で連絡しますから。
山崎 そうですか。‥‥でも、服なんか、色とかの好みもあるんじゃないですか? 特にお嬢さんなんかは。ねぇ?(長女に)
長女 ‥‥‥。
山崎 ま、できるだけお洒落なやつを探してみます。私ら、あんまりわかんないですけどね。
全員 ‥‥‥。
山崎 ま、女の子にでも相談してみますわ。‥‥二、三日かかると思いますけど、よろしいですか?
母 けっこうです。
山崎 (メモして)他、ありませんか?
母 そうね‥‥トイレットペーパーとゴミ袋と‥‥なんかありましたっけ?(父に)
父 ‥‥ミネラルウォーターとコーヒー。
母 とりあえず、それだけお願いするわ。
山崎 (メモしながら)わかりました‥‥っと。あ、そうだ。‥‥今日の昼御飯ね、お寿司ですよ。
母 え?
山崎 ほら、今日は十一月三日。祝日ですからね。
母 ああ‥‥。
山崎 ささやかながらプレゼントということで。‥‥じゃ、どうも。お邪魔しました。
母 ‥‥‥。
山崎 (去りながら)‥‥規則正しい生活習慣が、明るい家庭生活の基本‥‥か。
父 え?
山崎 私たちも見習わなくっちゃね。それじゃ、失礼します。
山崎、去る。母、見送る。
ややあって、母が戻ってくる。
母 ‥‥相変わらず、嫌味な人ね。
長女 祝日って‥‥今日、何の日だったっけ?
二男 十一月三日‥‥ああ、文化の日だ。
父 それも、いやがらせだな。
二男 え? どうして?
父 文化の日っていうのは、元々は明治節なんだ。
長女 ‥‥何それ?
父 明治天皇の誕生日だ。
長女 ‥‥だから?
父 わかってないな。‥‥つまり、日本人として、我々にそれを祝えって言ってるんだ。
長女 ああ‥‥そうなの。
父 そうだ。
しばしの間。
二男 ‥‥でもさ、久しぶりだね。
父 え。
二男 お寿司。
父 ‥‥‥。
二男 そう言えば、ずっと食ってないよなぁ。‥‥大トロの分厚いの食いたいなぁ。
長女 そうねぇ‥‥私は、ひらめがいいな。甘くてシコシコしてるやつ。
二男 それから、イクラとウニだな。
長女 なんか、値段の高いヤツばっかり言ってない?
二男 ‥‥ねぇ、お母さん。山崎さんにさ、注文したらどうかな? みんなで好きなネタを言ってさ。
母 ジロウ。‥‥お寿司屋さんじゃないんだから。
二男 きっと、用意してくれるよ。ねぇ。
母 ‥‥‥。
二男 ‥‥それに、ビールなんかもあったら、うれしいなぁ‥‥なんちゃったりして。
長男 お前たち、いいかげんにしろよ。
二男 ‥‥‥。
長男 調子に乗るのもいいかげんにしろ。自分たちの立場がわかってるのか?
父 イチロウ、やめなさい。
長男 え。でも‥‥。
父 ルールをわきまえろ。
長男 ‥‥‥。
父 ‥‥私たちは家族だ。この家での生活を共に過ごしてゆく仲間だ。家族は助け合い、励まし合わねばならない。だが、家庭生活が、そうきれいごとばかりで行くわけではないことも事実だ。その中では、お互いに不満もあれば、多少のわがままもあるのはむしろ当然だ。そして、そういった一切を許容し、包み込んでこそ家族というものなのだ。その基本を忘れてもらっては困る。‥‥そうだろう?
長男 ‥‥はい。
父 お母さん。
母 はい。
父 ジロウたちの注文を聞いて、電話してやってくれ。
母 え‥‥あ、はい。
父 ‥‥それから、ビールもな。
母 え‥‥いいんですか?
父 いいから。
母 ‥‥はい。
二男 ‥‥お父さん。
父 ん?
二男 ありがとうございます。
父 ああ‥‥。
しばしの間。
父 それにしても‥‥あいつ、やっぱり聞いてたんだな。
母 え?
父 ラジオ体操。‥‥見習わなくっちゃ、とか言ってただろう?
母 ああ‥‥そうですね。‥‥あの人、聞き耳たててたんでしょうか?
父 うん、そうかもしれないな。
母 盗聴は?
父 それもあるかもしれないが‥‥ただ、わざわざバラすようなことはしないだろう。
母 ‥‥それも、そうですね。
父 たぶん、ただのいやがらせだだろう。「なんでもわかってるぞ」ってな。‥‥イチロウ、一応念のために調べておいてくれ。
長男 はい。
父 それより、必要以上に神経質にならないことだ。いろいろとゆさぶりをかけて、動揺させようとしているんだろう。だから、私たちがそれに乗ってしまってはいけない。‥‥わかったな。
母・長男 はい。
二女の声 あ、雪だ!
二女が走り込んでくる。
二女 雪よ。雪が降ってるわ!
長女 えー、マジ?
二男と長女が、窓の所へ走って行く。
長女の声 あ、ほんとだ。
二男の声 初雪だ。‥‥冷えるはずだよなぁ。
長女の声 まだ、十一月なのにねぇ。
母 もう大丈夫なの?
二女 うん、だいぶ楽になった。
母 そう‥‥。(長女と二男に)あんまり、窓から顔出してちゃだめよ。
長女・二男の声 はーい。
父 雪‥‥か。
母 え?
父 いよいよだな。‥‥これから、大変だぞ。
母 え?
父 雪は、すべてを覆い隠す‥‥。
母 ‥‥ああ。‥‥そうですね。
暗転。
2
十一月二十三日 午後
暗闇の中に、長女の姿が浮かび上がる。
テーブルに座って、手紙を読んでいる。
長女 二、三日降り続いた雪も上がり、今日は朝から快晴です。久しぶりの明るい陽ざしに、樹氷がキラキラと光って、まぶしいくらいです。山は一面の銀世界で、真っ白で、ふんわりとした雪の中に、点々とウサギの足跡みたいなのが、ずうっと林の奥の方まで続いています。これだけきれいに積もっているのを見ていると、スキーができないのが残念な気がしてくるから不思議です。新雪の中を滑るのが大好きな三好君や高橋君に見せてあげたいような雪景色です。こんなことを書いていると、何をのんきなことを言ってるんだと怒られそうですが、ほんとに申し訳ないぐらいに私は元気です。毎朝、六時に起床して、ラジオ体操をして、三度の食事をしっかり食べて、以前の私からは想像できないような規則正しい生活をしているので、体調は絶好調で、ちょっと太ったんじゃないかと心配なくらいです。今度差し入れの機会があったら、体重計を是非お願いします。そういえば、この間、たまたま見たテレビのニュースに、おばあちゃんが出ていて、心配そうにしゃべっていました。それを見ていて、おばあちゃんには悪いけど、何だか自分のことではないみたいで、不思議な感じがしました。この家の様子も写していましたが、どこか遠い国の出来事みたいな感じがしました。とにかく、私は元気です。どうか心配しないで下さい。それでは、また会える日を楽しみにしています。
舞台全体が明るくなる。
テーブルには長女の他に、二男、二女が座っている。少し
離れたソファには、母が座っている。
テーブルの上には、クッキーや紅茶があり、午後のティー
タイムの雰囲気。
母 三好君と高橋君って?
長女 サークルの友達。
母 「あほうどり」だっけ?
長女 そう。
母 テニスサークルじゃなかったの?
長女 一応ね。でも、テニスサークルって何でもやるのよ。春は花見に行くし、夏は海水浴。それで冬はスキーなの。後、しょっちゅうコンパもやるし。
母 要するに、お遊びサークルなのね。
長女 ‥‥まあね。
母 みんな、おんなじ大学?
長女 全然。「あほうどり」は、インカレサークルだから。‥‥三好が早稲田で、高橋が中央。
母 ふーん。‥‥二人とも、あの時いたの?
長女 高橋はいたけど、三好は買い出しで外に出てた。
母 ふーん。
長女 あの時、高橋は、足に怪我したみたいだから、今年はスキー、無理なんじゃないかな。‥‥ちょっと、ざまあみろって感じね。
母 ふーん。
長女 これでいい?
母 まあ、だいたいいいけど‥‥最後のニュースの話はカットしてくれない?
長女 えー、なんで?
母 テレビで何見てるか、とか、そういうのはね。
長女 ‥‥別にいいじゃん。
母 ダ・メ。
長女 はーい。
母 じゃ、次は、ジロウね。
二男 え、まだ、書けてない。
長女 あんた何やってんの? なんでそんなに時間がかかるのよ?
二男 俺、作文苦手だから‥‥。
母 しょうがないわね。お父さんたちの話もそろそろ終わるから、急ぎなさい。
二男 はーい。
母 じゃ、フタバ、読んで。
二女 はい。‥‥みなさん、お元気ですか。早いもので、もう一ヶ月半が過ぎました。軽井沢は、もうすっかり冬です。何回か雪が降って、そろそろ根雪になりそうな感じです。ここでの生活にもずいぶん慣れてきて、私は元気でやっています。山のきれいな景色と、空気に囲まれていると、何だか心も澄んでくるような気がします。本を読んだり、話をしたり、これといって変化のない毎日ですが、それでも不思議と退屈はしていません。お父さんもお母さんも、やさしくていい人です。他のみんなもいい人たちで、おかげで毎日楽しく過ごしています。それでは、みなさんお元気で。
母 ‥‥それだけ?
二女 うん。
母 へえ、あっさりしてるのね。
二女 そうかな。
母 もっと書くことないの?
二女 シンプル・イズ・ベストでいいんじゃない?
母 そりゃ、別に、いいんだけど‥‥。‥‥そうねえ、「お父さんお母さんはいい人です」っていうのは、変えた方がいいんじゃない?
二女 え、どうして?
母 だって、よその人に、お父さん、お母さんって書いたらややこしいじゃない?
二女 ああ、そういうことか。‥‥なーんだ。
母 なーんだ、って何よ?
二女 いや、だから、「お父さんお母さんは悪い人です」って書けって言うのかと思っちゃった。
母 バカ。‥‥ジロウ、書けた?
二男 もうちょっと‥‥。
長女 のろまねぇ。‥‥いったい、どんな大作書いてんのよ?
長女、二男の手紙をのぞき込む。
二男 うるさい。見るな!
二男、手紙を隠す。
ヘリコプターの音が聞こえてくる。
二女 あ、まただ。
長女 今日は、ほんとに多いね。朝から何回目?
二女 もう十回は来てるよ。
ヘリコプター近づいてくる。
二男 ああ、うるさい! こんなんじゃ、気が散って書けないよ。
長女 こら、こじつけるな。ヘリコプターが来なくても書けないじゃない?
ヘリコプター、真上でホバリングしている様子。
二女 もう、うるさいなあ。(耳をふさぐ)
長女 よし、文句言ってやる。
母 カズミ。
長女、窓から顔を出す。
長女 こら! そこのヘリコプター、うるさいぞ! どっか行け!
母 カズミ、顔出しちゃだめよ!
二男 バカ! そんなことしたら、よけいに来るだけだぞ!
長女 うるさい! どっか行け!
ヘリコプター、去って行く。
長女戻ってくる。
長女 ねえ、お母さん。山崎さんに言って、何とかしてもらってよ。
母 うーん、無理なんじゃない?
長女 どうして?
母 マスコミはね、誰よりも強いのよ。
二男 何撮ってんのかな? ‥‥今日、何かあるのかな? ねえ、お母さん。
母 さあ。‥‥それより、あなたは早く書きなさい。
二男 はーい。
二女 わかった!
長女 え? 何?
二女 五十日目なのよ、今日。十月五日から数えて、ちょうど五十日目。
長女 そっかあ。‥‥なるほど。
二男 ‥‥でも、あんまりキリがよくないよね。ひと月目とか、一年目ならわかるけどさ。
長女 あんたは黙って書いてなさい。
二男 うるさいな。
父と山崎が二階から下りてくる。
父 おい、カズミ、窓から顔を出すな。
長女 だって、うるさいんだもん。‥‥ねえ、山崎さん、何とかならないんですか? ヘリコプター。
山崎 そうですねぇ‥‥。何とかしろと言われてもねぇ‥‥。
長女 上の人から言ってもらえないんですか?
山崎 そりゃ、言えないことはないでしょうけど、そういうのは、いろいろとむずかしいんですよ。‥‥マスコミはうるさいですからねぇ。
母 ほら、ね。‥‥話の方は、うまくいったんですか?
父 まあ、可もなし不可もなし。‥‥平行線だな。(山崎を見る)
山崎 ‥‥もう少し、譲っていただけるとありがたいんですがね。皆さんのお考えは理解しているつもりなんですが、うちの方にも立場がありますしねぇ‥‥。私としても、けっこうつらいところなんですよ。
母 ほんとに、そんな風に思ってらっしゃるの?
山崎 ほんとですよ。ここで皆さんに叱られて、帰ったら帰ったで、上司から厳しい指導を受けるんです。まさに中間管理職の悲哀ですよ。
母 へえ、全然そんな風には見えませんけど。
山崎 そりゃ、あんまりですよ、奥さん。私ね、このひと月で、五キロもやせたんですよ。寝る前には、胃がキリキリ痛むんで、サクロン飲んでるんですから。
母 へえ。
父 ところで、手紙の方はできたのか?
母 あ、そうだ。‥‥ジロウ、書けたの?
二男 ダメ。もう、ギブ・アップ。
長女 えー、あんた、何やってんのよ?
二男 うるさいな。書けないものは書けないんだよ!
長女 途中でもいいじゃん。出しちゃえば。‥‥ねえ、ちょっと見せて。
二男 あ、やめろって!
長女、二男の手紙を奪い取る。
長女 えーと‥‥お父さん、お母さん、みなさん、元気ですか? 僕も元気です。‥‥何これ? やだ、小学生の作文みたい。
二男 返せよ!
二男、手紙を奪い返して、ビリビリと破る。
長女 あ。
気まずい沈黙。
母 カズミ。
長女 ‥‥‥。
母 ジロウに謝りなさい。
長女 ‥‥‥。
母 ほら、子供じゃないんだから。
長女 ‥‥ごめん。
二男 ‥‥‥。
山崎 ‥‥まあ、手紙は、今日じゃなくても、またお預かりしますから‥‥。どうぞ、ゆっくり書いて下さい。
二男 ‥‥‥。
山崎 ‥‥他の方のお手紙は?
母 ほら、山崎さんにお渡しして。
長女、二女、手紙を封筒に入れて、山崎に渡す。
山崎 確かに。‥‥それじゃ、今日の所は、これでおいとまします。
山崎、去りかける。
二男 山崎さん。
山崎 え。
二男 今日の晩御飯、何ですか?
山崎 え?
二男 できたら、すき焼きがいいなあ。
山崎 へ?
二男 だって、今日は十一月二十三日。祝日でしょ?
山崎 あ‥‥そうですよね。‥‥そうだ、そうだ。‥‥いやあ、こいつは一本取
られましたなぁ。アハハハ‥‥。
全員 ハハハハ‥‥。(力無く笑う)
暗転。
3
十二月十日 午前二時
深夜のダイニングキッチン。
明かりは落とされて、薄暗い。
長男が、一人、カーテンの隙間から窓の外をじっと見てい
る。手にはライフル銃。
やがて、彼は窓際を離れ、テーブルのイスに腰掛ける。
ポケットからタバコを取り出し、火をつける。
灰皿を探すが、見あたらない。
やがて、ゴミ箱の中から空き缶を見つけだし、テーブルの上に置く。
薄暗い室内に、紫煙がゆらゆらと立ちのぼる。
その時、人の気配がした。
長男 (小声で)誰だ?
返事はない。
長男 誰かいるのか?
置いていたライフルに手をかける。
二女がガウン姿で現れる。
二女 わたし。
長男 ‥‥どうしたんだ? こんな時間に。
二女 目が覚めちゃって‥‥のどが乾いたから、水でも飲もうかと思って。
長男 ‥‥‥。
二女、長男のライフル銃を見る。
二女 ‥‥そうやって、毎晩、見張ってるの?
長男 ん? ‥‥まあな。
二女 朝まで?
長男 え。
二女 朝まで起きてるの?
長男 ‥‥‥。そんなこと、君には関係ないだろう?
二女 ‥‥そうだけど。
長男 ‥‥‥。
二女 ‥‥大変だなぁって。
長男 ‥‥‥。
二女 ‥‥‥。
長男 ‥‥順番で、交代してるから。
二女 え?
長男 だから‥‥見張り。
二女 ああ。
長男 ‥‥‥。
二女 ‥‥‥。
長男 ‥‥水、飲んできたら?
二女 ‥‥そうね。
二女、去る。
長男は、タバコを吸っている。
二女の声 飲む?
長男 え?
二女の声 お水。
長男 ‥‥ああ。
ややあって、二女、二つのコップに水を入れて戻ってくる。
二女 そこに座ってもいい?
長男 え‥‥ああ。
二女、長男の隣に腰掛ける。
二女 どうぞ。(とコップを差し出して)‥‥なんにもありませんけど。
長男 ああ‥‥ありがと。(少し笑う)
二人、黙ったままで、少し水を飲む。
二女 寒いねぇ。(と手をすりあわせる)‥‥暖房入れないの?(と、足下の小型ストーブを見つけて)こんなのじゃ全然きかないでしょ?
長男 ‥‥一人だから。‥‥これで充分だ。
二女 そう?
長男 うん。
二女 ふーん。
長男 それに‥‥(と背中から携帯カイロを取り出して)これ。
二女 あ、ホッカイロ。‥‥やだ、おじんくさい。
長男 ‥‥そうか?
二女 そうよ。
長男 ‥‥‥。
二女 ‥‥イチロウさん、いくつ?
長男 え‥‥二十二。
二女 その歳じゃ使わないでしょ、ふつう。
長男 そうかな。
二女 うん、使わない。
長男 ‥‥釣りとかだったら使うんじゃないの?
二女 そりゃ、そういう時にはね。
長男 そういう時だろ? 今は。
二女 え?
長男 だから‥‥見張り。
二女 ああ‥‥それは、そうだけど‥‥。
二女、くしゃみをする。
長男 ほら、そんな格好だと、風邪ひくよ。
二女 平気‥‥でもないか。‥‥ほんと、冷えるね。
長男 ほら、水飲んで、もう寝たら?
二女 うん。
二女、水を飲む。
長男、タバコを吸っている。
二女 ‥‥もうちょっと、いい?
長男 え?
二女 もうちょっと、しゃべっててもいい?
長男 ‥‥そりゃ、かまわないけど。
二女 目がすっかり覚めちゃって、眠れないみたいだから。
長男 ふーん。
二女 ‥‥そのホッカイロ、貸してもらえない?
長男 え‥‥ああ、いいよ。(とカイロを渡す)
二女 (握りしめて)わあ、あったかーい。(と頬に押し当てる)
長男 汚いよ。背中に入れてたんだから。
二女 あったかーい。
長男 ‥‥‥。
頬に押し当てている。
長男 ‥‥よかったら、もう一つあるけど。
二女 え、ほんと?
長男 ほら。(と、新しいカイロを渡す)
二女 ありがとう。
二女、カイロのパッケージを開けてもみほぐす。
二女 じゃあ、こっちのを背中に入れて(前のカイロを背中に入れる)‥‥ああ、あったかい。極楽、極楽。‥‥へへ、おじんくさいね。
長男 ‥‥そうだな。(少し笑う)
しばしの間。
二女、カイロを握りしめている。
長男、水を飲み、新しいタバコに火をつける。
二女 ‥‥あの、一度ききたかったんだけど、質問してもいいですか?
長男 え、何?
二女 イチロウさんは、どうしてテロリストになったの?
長男 ‥‥‥。やけに単刀直入な質問だな。
二女 ‥‥ごめんなさい。
長男 それと、断っとくけど、我々はテロリストじゃない。ゲリラだ。
二女 それ‥‥どう違うの?
長男 ゲリラというのは、コマンド、つまり兵士だ。単なる破壊分子じゃない。
二女 ふーん。‥‥じゃあ、そのゲリラにどうしてなろうと思ったの?
長男 ‥‥‥。どうして、そんなことをきくんだ?
二女 だって、イチロウさん、テロリスト‥‥じゃなくって、ゲリラって感じじゃないから。
長男 え?
二女 イチロウさんだけじゃなくって、他の人もそうだけど‥‥特にイチロウさんはそう。だから、どうしてなのかなって、思って。
長男 ‥‥‥。じゃ、どういうのが、ゲリラの感じなわけ?
二女 どういうのって‥‥うまく言えないけど、ほら、映画なんかで出てくるのは、目が血走ってて、もっとギラギラした感じでしょ? 機関銃を乱射したりして‥‥。
長男 それこそテロリストのイメージだよ。映画ってのはセンセーショナリズムだから、血に飢えた殺人鬼に仕立て上げておもしろがってるんだ。そんなのは、ゲリラでも何でもない。
二女 そりゃ、映画とは違うだろうけど‥‥。
長男 全然違う。
二女 でも、やっぱりそうやって銃とか持ってるでしょ? そういうのが似合わないっていうか、イチロウさんは、銃とかよりも、本とかの方が似合ってる感じ。おとなしいっていうか、もの静かな感じだし。
長男 それって、弱々しいってこと?
二女 じゃなくって。‥‥何て言ったらいいのかな。知的な感じかな?
長男 それ‥‥褒めてるの?
二女 そう。
長男 ‥‥‥。本物のゲリラは、本も読むんだよ。
二女 え。
長男 銃を持つだけが武装じゃない。我々に必要なのは、むしろ、理論による武装なんだ。そうでなきゃ、ただむやみに銃をぶっ放してるんじゃ、それこそ血に飢えたテロリストだろ? だから、本を読んだり、議論したり、日常的に学習の活動を続けている。僕だけじゃなくてさ。
二女 ふーん。
長男 だって、確固とした信念がなけりゃ、こんなことはできやしない。
二女 ふーん。
長男 ‥‥‥。
二女 ‥‥怖くないの?
長男 え?
二女 だって、死ぬかもしれないでしょ?
長男 ‥‥そうだな。
二女 ね?
長男 信念があるから、怖くない。‥‥って言ったらウソになるかな。
二女 やっぱり怖いの?
長男 ‥‥わからない。
二女 え?
長男 そういうことは考えないことにしてるから。
二女 ‥‥‥。
しばしの間。
長男、タバコを吸う。
二女 ‥‥強いんだ。
長男 強くなんかないよ。‥‥弱虫だ。
二女 え?
長男 ‥‥昔、ある宗教団体に入ってたことがあってね、結局やめちゃったんだけど、何でやめたと思う?
二女 え?
長男 信じることができなかったんだ。‥‥変だろう? 宗教やってるのにさ。
二女 ‥‥そうね。
長男 けっこう長い間入っててさ、五、六年ぐらいかな。地区の青年部長なんかもやったし、かなり熱心な信者だって、周りからも見られてて、自分でもそう思ってた。‥‥でも、ある時、自分は心の底から信じてないんだって、気づいちゃってね‥‥。
二女 ‥‥どうして?
長男 ‥‥どうしてだろうな。正直言って自分でもよくわからない。‥‥善男善女って言葉があるじゃない? それを絵に描いたようなおばさんや、おじさんや、おばあさんたちが、僕の周りには、いっぱいいたんだ。そういう人たちって、ほんとに邪心がないっていうか、事も無げに信じ切っているんだよ。‥‥その中にいるとね、違和感ていうかな、自分は違うって思いがだんだんと強くなってきてね、一緒にいることが息苦しくさえなってきたんだ。
二女 ‥‥‥。
長男 そういうのって、一度気づいてしまうともうダメなんだよね。人はごまかせても、自分はごまかせない。そうしたら、もう続けることができなくなっていた。
二女 ‥‥‥。
長男 ‥‥信仰にすがるのを、心の弱さだという人もいる。苦しみや不安から逃避して、信じることでやりすごそうとしているんだってね。でも、そうじゃない。信じるっていうのは、強さなんだよ。自分を捨て去り、信じるものに一〇〇%身をゆだねるということは、断崖絶壁から身を投げるような勇気や強さが必要なんだ。‥‥そして、それが僕にはなかった。
二女 ‥‥‥。
長男 ‥‥それでも、自分を信じて、自分の力だけで生きてゆくことができれば、それは、それでいいのかもしれない。でも、僕には、その力も、覚悟もなかった。
二女 ‥‥‥。
長男 ‥‥マルクス主義や革命思想を、宗教の一種のように言う人がいる。それは正しくない考え方だけれど、僕個人の場合で言えば、それは当たってなくもないのかもしれない。‥‥あのさ、毛沢東って知ってる?
二女 え‥‥名前ぐらいなら。
長男 その毛沢東がね、昔、「全ては銃口から始まる」って言ったんだって。それ、唯武器論っていうんだけど、その言葉の馬鹿馬鹿しいくらいの単純さが、妙に気に入ってね。これなら僕でも信じられるかもしれないって、そう思ったんだ。‥‥別に、新しい信仰を求めていたわけじゃないし、もちろん、それだけじゃないけどね。
長男、タバコを吸う。
しばしの間。
二女 ‥‥どうして、私にそんな話をするの?
長男 どうしてゲリラになったのか、知りたかったんだろ?
二女 そうだけど‥‥。
長男 弱虫だから、ゲリラになった‥‥のかもな。
二女 ‥‥それって、変。
長男 そうか?
二女 そうよ。
長男 そうかな。
二女 命がけで、何かを守ってるわけでしょ? わたし、頭悪いからよくわかんないけど‥‥たとえば、正義とか。
長男 それは‥‥そうだな。
二女 それじゃ、弱虫なんかじゃないじゃない?
長男 ‥‥‥。
二女 わたしね、けっこう好きなの。正義って。
長男 え?
二女 ‥‥じゃあ、今度はね、わたしの話。
長男 ‥‥‥。
二女 わたしね、小学校の頃、婦人警官になろうって思ってたの。たぶん、テレビの刑事ドラマの影響だったと思うんだけど、婦人警官の制服がかっこよくてあこがれてたのよね。それで、大きくなったら、悪いやつをやっつけようって思ってたの。それで、近所の男の子と一緒に、警察ごっことかしてたの。
長男 警察ごっこ?
二女 警察役と悪役に分かれて、捕まえるのよ。わたしは、いつも警察役しかしなかったけど。
長男 それって、鬼ごっこ?
二女 じゃなくって、刑事ドラマみたいなのをやるのよ。男の子は、やたらピストルを撃ちたがるんだけど、わたしはお説教するの。
長男 お説教?
二女 こんなことをしてたら奥さんが泣くぞ、とか、君のことを心配している恋人のことも考えてあげなさい、とか、いろいろ場面を設定してね。
長男 ふーん。‥‥それ、いくつの時?
二女 小学校三、四年頃。
長男 へぇ、ませてたんだね。
二女 ‥‥それから、次は看護婦さん。うちのおじいちゃんが長い間入院しててね、結局亡くなっちゃったんだけど、わたし、おじいちゃん子だったから、よく病院に行ってたの。それで、そこの看護婦さんと仲良しになって‥‥まあ、よくあるパターンだけど。‥‥でも、高校の時、看護学校受けようかって、本気で考えたこともあるのよ。
長男 ふーん。
二女 わたし、電車や、バスなんかじゃ、一番に席を譲るし、警察官の人には、今でも「こんにちわ」って声かけるし、暴走族なんか絶対許せないし、考えてみたら、わたしって、優等生っていうか、けっこう正義の味方なの。
長男 ふーん。
二女 おしまい。
長男 ‥‥‥。
二女、水を飲む。
しばしの間。
二女 ‥‥あのさ、ゲリラって、正義なのかな、悪なのかな?
長男 え?
二女 なんだか、この頃、よくわかんなくなってきた。‥‥イチロウさんとか見てると。
長男 ‥‥‥。
二女 あのさ‥‥わたしたち、人質なわけでしょう?
長男 そうだな。
二女 でも、そんな感じが全然しないの。リアリティがないっていうか。
長男 ‥‥‥。
二女 お父さんとか、お母さんとか、呼んでるからかな。
長男 ‥‥かもな。
二女 ねぇ、お父さんて、いくつなの?
長男 よく知らないけど、二十七、八かな。
二女 へぇ、イチロウさんも知らないの?
長男 ああ。‥‥そういう話しないから。
二女 お母さんは、いくつぐらいかな?
長男 もう少し下なんじゃない?
二女 ふーん。‥‥おかしいね。
長男 何が?
二女 だって、そうでしょ? 十歳も離れてないのに、お父さんとか、お母さんとか言ってさ。
長男 ああ、そうだな。
二女 それだけじゃなくて、けっこう違和感もなくて、自然にそう呼んでるのがさ。
長男 ふーん、そうなの?
二女 この頃、時々あるの。何の気なしに「お父さん」って言ってから、あ、わたし、「お父さん」て呼んでるだ、って。‥‥初めの頃は、すっごく気持ち悪くて、イヤでイヤでたまんなかったのにね。‥‥おかしい。(笑う)
長男 (笑う)
二女 ‥‥でも、案外、家族なんて、そんなものかもしれないね。
長男 え?
二女 本当のお父さんにしてもさ、なんでこの人をお父さんって呼ぶのかってじっくり考えたら、けっこうわかんないよ。案外、似たようなことなのかなって気もするの。‥‥どうして、この人がお父さんであって、あの人がお父さんではないのか‥‥これって、けっこう深いでしょ?
長男 うん、そうだね。哲学だね。
二女 考え出したら、寝られなくなるね。
長男 そうだね。
二女 よし。このまま朝まで考えてようかな。
長男 おいおい。
二女 冗談。
長男 ‥‥‥。
二女 あーあ‥‥どうして家族なんかやってるんだろう?
長男 え?
二女 不思議だねぇ‥‥。
長男 それって、どっちの話? ここのこと? 本当の家族?
二女 うーん‥‥どっちもかな。
長男 ‥‥‥。
二女 イチロウさん、兄弟いる?
長男 え? ‥‥ああ。
二女 上? 下?
長男 真ん中。‥‥兄貴と妹。
二女 そっか、妹さんがいるんだ。
長男 うん。
二女 そっかぁ‥‥。
長男 何?
二女 ‥‥私も妹だよね。
長男 え?
二女 フタバだから。
長男 ああ‥‥そうだね。
二女 妹って、かわいいでしょ?
長男 え‥‥そうでもないよ。
二女 そうよ。妹のいる人って、みんなそうだもん。口では悪口とか言っててもさ、ほんとはかわいくて仕方ないって感じ。
長男 そうかな。
二女 そう。
長男 ‥‥‥。
二女 ‥‥私は、かわいい?
長男 え?
二女 ‥‥私ね、一人っ子だから、ずっとお兄ちゃんがほしかったの。それで、こうやってお兄ちゃんができてさ、なんか、ちょっといい感じなの。
長男 ふーん。
二女 ‥‥お兄ちゃん。
長男 え。
二女 いい響きだねぇ。‥‥よし、もういっぺん。
長男 よせよ。
二女 お兄ちゃん。クシュン!
二女、くしゃみを繰り返す。
長男 ほらほら、ほんとに風邪ひいちゃうぞ。もう、部屋に戻れよ。
二女 うん‥‥。
長男 話は、またできるだろ。‥‥さ、寝た、寝た。
二女 うん‥‥そうする。
二女、立ち上がる。
二女 おやすみなさい。お兄ちゃん。
長男 ‥‥‥。おやすみ。
二女、去る。
長男、新しいタバコに火をつける。
夜は更けてゆく。
暗転。
4
十二月二十四日 夜
テーブルの中央に、イチロウと二女が座っている。
その両脇に、父と母が座っている。
周囲に他の子供たちが座っている。
子供たちは、不安そうに顔を見合わせている。
父 どういうことなのか、説明してもらおうか。
長男 ‥‥‥。
二女 ‥‥‥。
父 お父さんとお母さん以外、電話の使用を禁止していることは、わかっているな。
長男 ‥‥はい。
父 それは、どうしてだ?
長男 外部との接触を避けるためです。
父 そうだ。そして、それは何のためだ?
長男 ‥‥第一に、内通およびスパイ工作の防止。第二に、情報の一元管理によって、敵の情報操作による攪乱を防止し、情報戦に勝利するためです。
父 その通り。‥‥模範的な解答だな。
長男 ‥‥‥。
父 そのような模範的戦士である君が、どうしてこのような初歩的な過失を犯したのか、その点が、我々にとって一番の疑問なのだ。
長男 ‥‥‥。
父 なぜだ? 答えたまえ。
長男 ‥‥‥。
父 どうして答えない? 答えられない理由でもあるのか?
長男 ‥‥‥。
沈黙。
父 質問を代えよう。‥‥今回の行為は、過失か、それとも故意によるものか?
長男 ‥‥過失ではありません。
父 それでは、黙認していたということだな。
長男 ‥‥そうです。
父 それが、何を意味するかも認識していたわけだな。
長男 ‥‥‥。
父 どうなんだ?
長男 ‥‥規律に違反することは、わかっていました。
父 それだけではないだろう? これは我々に対する歴然とした背信行為であり、利敵行為だ。
長男 ‥‥‥。
父 そのぐらいのことがわからない君ではないはずだ。
長男 ‥‥‥。
父 それでは、もう一度、訊こう‥‥。なぜだ? 答えたまえ。
長男 ‥‥‥。答えられません。
父 ふざけるな。これは警察の取り調べではない。黙秘権など存在しないんだ。答えろ。
長男 ‥‥‥。
沈黙。
父 ‥‥君がそのような態度をとり続けるなら、我々は、君に対して重大な判断を下さなければならなくなるが、それでもいいのか?
長男 ‥‥‥。
父 スパイ行為と判断していいんだな。
長男 スパイではありません。
父 じゃあ、何なんだ!
長男 ‥‥‥。
やや長い沈黙。
母 それじゃ、フタバに質問しましょう。‥‥あなたは、いつからこの携帯電話を持っていたの?(と、卓上の携帯電話を取り上げる)
二女 ‥‥最初の時からです。
母 私たちがここへ来た時?
二女 はい。
母 確か二日目の朝、所持品検査をしたわね。あの時、どうして出さなかったの?
二女 ‥‥‥。
母 隠してた、ということね。
二女 ‥‥はい。
母 ずっと、使ってたの?
二女 いいえ。‥‥最近まで使ってませんでした。
母 最近って、いつ?
二女 ‥‥二週間ほど前から‥‥時々。
母 イチロウの見張り当番の時ね。
二女 ‥‥はい。
母 どこに電話してたの?
二女 それは‥‥。
母 答えなさい。
二女 ‥‥彼の所です。
母 ボーイフレンド?
二女 はい。
母 他には?
二女 え?
母 他の人には電話してないの?
二女 してません。
母 家とかにも?
二女 してません。本当です。信じて下さい。
母 ふーん。
‥‥信じてあげたいんだけど、それも妙な話ね。
二女 え?
母 あなたもバカじゃなかったら、私たちに隠れて電話をするのがまずいってことはわかってたはずでしょう?
二女 ‥‥‥。
母 そんな危険を犯して、わざわざ彼氏に電話をする? ふつう。あなたたちがどんな関係なのかは知らないけど。
二女 ‥‥‥。
母 それに、イチロウが、ただのラブコールの面倒をみてたとも思えないしね‥‥。そのあたりの事情を言ってもらわないとね。
二女 それは‥‥。
父 そうだ。電話の用件について説明してもらおうか。
二女 ‥‥‥。
父 さあ、話しなさい。
二女 ‥‥‥。
父 ‥‥君も黙秘権か? そんなことをされると、我々も疑念を深めないわけにはいかなくなる。君にとってますます不利になるだけだよ。
二女 ‥‥‥。
父 さあ、話すんだ。
二女 それは‥‥。
長男 ‥‥話さなくていい。
父 何?
長男 そんなこと話さなくていいよ。
父 イチロウ!
長女 そうよ、そんなこと話さなくていいわよ。
父 カズミ!
長女 そんなのプライバシーの侵害よ。
父 お前には関係ない。黙ってなさい。
長女 関係ない? ‥‥関係あるわよ。大ありじゃない? 私たちだって、いつおんなじ目に会うかわかんないじゃない?
父 これは、我々の規律に関する問題だ。余計な口をはさむんじゃない!
長女 ‥‥‥。だったら、どうして私たちをここに座らせてるの?
父 ‥‥‥。
長女 これのどこが家族会議なの? いったい、これは何なのよ? 取り調べなの? 裁判なの? リンチなの?
父 ‥‥これは、教育だ。
長女 教育?
父 そうだ。イチロウへの、そしてお前たちへの教育だ。
長女 これのどこが教育なの? ‥‥言うことをきかないと、お前たちもひどい目に会うぞって、こと? そうやって脅すのが教育だって言うの? そんなの、ただの見せしめじゃない?
父 ‥‥‥。
長女 違うの?
父 ‥‥そう呼びたければ、呼べばいい。
沈黙。
長女 ‥‥へぇ、そうなの。‥‥そうかぁ‥‥見せしめねぇ。
父 ‥‥‥。
長女 ま、それがあんたたちの本当の姿なのよね。あんたたちが犯人で、私たちが人質なんだから‥‥。でもさ‥‥じゃあ、「明るい家庭生活」って、あれは何だったの? しらじらしい家族ごっこは何だったのよ!
父 カズミ。
長女 カズミ? そんな名前で呼ばないで! 私には、親からもらった立派な名前があるんだから! ‥‥都合のいい時だけ、家族ごっこやらないでよ!
長く気まずい沈黙。
二女 ‥‥私、妊娠してるんです。
全員 え。
二女 はっきりはわからないけど、たぶん‥‥。
全員 ‥‥‥。
母 ‥‥それ、どういうこと?
二女 こんな時に、そんなことになっちゃって‥‥私、いったいどうしていいのかわかんなくて‥‥。
全員 ‥‥‥。
二女 とにかく彼に会いたかったんです。会って、話がしたかったんです。でも会えないから、せめて声だけでも聞きたくて‥‥。
全員 ‥‥‥。
二女 だから、私、イチロウさんにお願いしたんです。彼に電話をさせてほしいって‥‥。
長男 ‥‥‥。
二女 もちろん、イチロウさんはダメだって言いました。でも、私、何度も何度もイチロウさんにお願いしたんです。そしたら‥‥。
長男 ‥‥‥。
二女 それだけなんです。‥‥だから、イチロウさんは悪くないんです。悪いのは私なんです。本当です。信じて下さい。
長男 フタバ‥‥。
全員 ‥‥‥。
長女 ‥‥彼って、高橋君?
二女 (うなづく)
長女 どうして言ってくれなかったのよ?
二女 ‥‥ごめんなさい。
長女 ‥‥別に、謝んなくてもいいけどさ‥‥。私に、何かできるわけでもないしさ‥‥。
二女 ‥‥‥。
長女 ‥‥そっかぁ‥‥妊娠かぁ‥‥。
しばしの間。
長女 ねぇ。(父に)
父 ん?
長女 これで、一件落着したわけでしょ? もう何も問題はないんじゃない?
父 ‥‥‥。
長女 だったらさ、この子、逃がしてあげてよ。
父 え。
長女 だって、この子、妊娠してるのよ。人質は、私たちだけでも十分でしょ?(二男に)ねぇ?
二男 ‥‥僕もそう思います。‥‥僕たちはここに残るから、彼女は解放してあげて下さい。
父 ‥‥‥。
二男 あなたたちにとっても、足手まといになるだけじゃないですか?
父 ‥‥‥。
二男 昔の人質事件なんかでも、病人とか老人なんかは、優先的に解放されているでしょう? お願いします。
父 ‥‥感動的なお話だね。
長女・二男 ‥‥‥。
父 だが、そういうわけにはいかないな。
長男・二男 え。
父 第一、まだ問題は何も解決していない。
二男 だって、電話の中身はわかったじゃないですか‥‥。
父 フタバの電話の用件がわかったからといって、それは本質的な問題ではない。しかも、それが事実であるかどうかの確認もなされてはいない。
二男 ‥‥‥。
長女 あんた‥‥。
父 そして、一番の問題は、イチロウの背信行為そのものだ。仮に、フタバの話が事実であったとして、そのような感傷的な動機でたやすく規律を犯すような人間的な弱さこそが問われるべき本質的問題なのだ。‥‥違うか? イチロウ。
長男 ‥‥‥。
父 フタバの話が偽りでないとどうして判断できる? もし彼女が敵と内通していた場合、お前は致命的な利敵行為を犯したことになるんだぞ。
長男 ‥‥彼女は、ウソを言う人間じゃない。
父 それでは答えになっていない。‥‥どうしてだ? どうしてそんなことがお前にわかる?
長男 それは‥‥。
父 ‥‥信じているからか?
長男 ‥‥‥。
父 ‥‥愛しているからか?
長男 ‥‥‥。
父 どうなんだ?
長男 ‥‥‥。
二女 ‥‥やめて。‥‥もう、これ以上彼を責めるのはやめて下さい。
長男 フタバ‥‥。
父 ‥‥図星のようだな。
長男 ‥‥‥。
長女 あんたは、クズよ。
父 ‥‥‥。
長女 そんないたぶり方をして何が楽しいの? そんなに人を疑って何が楽しいの? 男が女を愛して何が悪いの? あんたがしていることは、人間として最低よ!
父 ‥‥‥。
長女 何なのよ? 何か言いなさいよ!
父 ‥‥君たちは、根本的に勘違いをしているようだな。
長女 勘違いって、何よ?
父 君たちと我々は立場が違うんだ。‥‥長い間の家族生活で、その基本線がぼやけてしまったようだから、もう一度確認しておこう。我々は戦争をしているのだ。我々にとって失敗は、すなわち死だ。君たちのような安っぽいセンチメンタリズムで判断を誤るわけにはいかない。‥‥それから、もう一つ。全てを判断するのは我々であって、君たちではない。我々は、君たちに批評を求めてはいないし、君たちにはその権利も資格もない。もう一度言っておく。全てを判断するのは我々だ。
長女 ‥‥‥。
沈黙。
父 では、もう一度、始めよう。
長男 ‥‥‥。
父 我々は、君の主体性について問わなければならない。恋愛感情に流されて目的の遂行を見失ったプチブル的な主体性の弱点について問わなければならない。
長男 ‥‥恋愛感情に流されたのではありません。
父 言い訳をするな。
長男 言い訳ではありません。
父 じゃあ、何なんだ?
長男 ‥‥‥。
父 どうした? 言えないのか?
長男 ‥‥私は、今回の作戦に疑問を感じています。
父 何?
長男 それだけではありません。私は、あなたたちの指導方針にも疑問を感じているのです。
父 ‥‥何が言いたいんだ?
長男 作戦の開始から、既に二ヶ月半にもなろうとしています。しかし、その間、我々は、どれほどの戦果を手にしたのでしょうか?
父 ‥‥‥。
長男 確かに、持久戦という戦術的な観点に立てば、所期の目的は達成されたと言えるでしょう。人質を家族化することによって、内部秩序の安定を図るという作戦も、交渉の環境作りに有効に機能したことは認めます。‥‥ただ、それらは全て、単に「持久するために持久し続ける」という自己目的的な成果にすぎないのではありませんか?
父 ‥‥‥。
長男 問題は、その持久という戦術が何をもたらしたか、ということです。我々の要求がどれだけ実現したかということです。
父 ‥‥要求は、少しずつだが、着実に実現しつつある。
長男 そんな大本営発表はやめて下さい。‥‥朝、昼、晩の三度の食事が要求の実現ですか? 暖かいコーヒーと暖房が要求の実現ですか? 我々が求めていたのは、ただ単に快適な持久戦を手に入れることなのですか? そんなのは、戦いでも何でもない!
父 ‥‥‥。
長男 敵も馬鹿ではありません。我々が、こうやって無意味に時間を費やしているうちに、確実に攻撃の作戦を練っていることでしょう。今や、我々の持久戦は、敵の格好の時間稼ぎの機会でしかない。‥‥そして、我々は、やがて訪れる敗北の時を、黙って待っているだけなのです。
父 ‥‥‥。
長男 ‥‥‥。
父 ‥‥言いたいことは、それだけか?
長男 ‥‥‥。
父 それは、敗北主義だ。さもなければ、安易な冒険主義だ。
長男 ‥‥‥。
父 批判するのは簡単だ。責任のない立場ではな‥‥。では、聞こうじゃないか。お前ならどうするのだ?
長男 ‥‥‥。
父 攻撃に打って出て、いさぎよく玉砕するのか? それが革命的だとでもいうのか? そんな安っぽいヒロイズムで現実の戦争が闘えるとでも思っているのか?
長男 ‥‥そんなことは言いません。
父 じゃあ、どうなんだ?
長男 ‥‥逃げます。
父 何?
長男 ‥‥こんな無意味な作戦の中で犬死になどしたくありません。敗北して逮捕されることも選びません。‥‥私は、逃げます。そして、闘い続けます。
父 ‥‥‥。
長男 ‥‥私は、もうあなたたちの指導には従いたくありません。
父 何だと‥‥。
長男 今の状況では、国外脱出という最低限の要求すら、実現はできないでしょう。もはや、我々には、名誉ある敗北さえ選べない。残されているのは、屈辱的な無条件降伏か、死だけです。違いますか?
父 ‥‥‥。
長男 だから、フタバに電話をさせたのも、情に流されたわけではありません。彼女を無意味な戦いの巻き添えにしたくなかっただけです。‥‥‥私は、彼女を逃がすつもりでした。
父 何?
長男 ‥‥そして、私も逃げるつもりでした。
父 !
長男 彼女の逃亡によって、これまでの均衡が崩れ、敵に一瞬の混乱が生じる。その機会を利用して、脱出する。‥‥それが、私の作戦だったのです。
父 ‥‥‥。
長男 ‥‥どうですか? あなた方の作戦よりは、多少有意義でしょう?
父 ‥‥‥。
沈黙。
長男 ‥‥事実は、以上です。
父 ‥‥‥。
長男 後は、御自由に御判断下さい。
父 ‥‥そこまで言うからには、覚悟はできてるんだろうな?
長男 ‥‥‥。
沈黙。
長女 ねぇ‥‥。
父 ‥‥‥。
長女 どうするの?
父 ‥‥‥。
長女 ねぇ!
父 ‥‥‥。処刑する。
長女 え‥‥。
父 反逆罪は死刑だ。
長男 ‥‥‥。
長女 ちょっと‥‥ちょっと待ってよ。
父 うるさい! お前には関係ない!
長女 (母に)‥‥ねぇ。 何か言ってよ! ねぇ!
母 ‥‥‥。
父、ピストルを取り出し、長男に突きつける。
父 さあ、来い!
父、長男をうながす。
長男、立ち上がる。
二女 やめて!
父 ‥‥‥。
二女 やめて下さい!
父 ‥‥‥。
二女 ‥‥その人を殺すのなら、私も殺して下さい。
父 ‥‥‥。
長女 啓子。
二女 だって、そうでしょ? イチロウさんが、私に電話させたからなんでしょ? だったら、同じじゃないですか?
父 ‥‥‥。
二女 イチロウさんを殺すと言うんなら、私も殺して下さい!
父 ‥‥愛か。
二女 ‥‥‥。
父 ‥‥心配するな。お前も同罪だ。望み通り、後で処刑してやる。
二女 え。
父 さあ、来い!
父、長男を別室に連れて行こうとする。
長女 そんなの無茶苦茶じゃない!
父 ‥‥‥。
長女 処刑、処刑って何なのよ? 電話したから、処刑する? 口ごたえしたから処刑する? どこの国の法律に、そんなのがあるのよ? 偉そうに言わないでよ! そんなのただの殺人鬼じゃない!
父 うるさい! お前は黙ってろ!
長女 反逆罪なんて、もっともらしく言ってるけどさ、あんた、ただ単に頭に来てるだけじゃない? 無能だって馬鹿にされたから、切れてるだけでしょ!
父 ‥‥‥。
長女 どうなのよ? 違うの? ‥‥悔しかったら、何か言いなさいよ!
父、長女にピストルを向ける。
父 黙ってろと言うのがわからないのか?
長女 ‥‥どうするのよ? 撃つの?
父 ‥‥‥。
長女 ‥‥撃ちたければ、撃てばいいじゃん。
父 ‥‥‥。
長女 そうやって、皆殺しにすればいいじゃん。‥‥口ごたえする奴は、処刑するんでしょ?
父 ‥‥‥。
長女 (二男に)あんたも、なんか言いなさいよ!
二男 え。
長女 男でしょ!
二男 ああ‥‥。そ、そうですよ。処刑するのなら、僕たち全員を処刑すればいい。‥‥でも、言っときますけど、そんなことをして困るのはあなたたちですよ。だって、そうでしょう? 僕たちは、人質ですよ。人質を殺してしまったら、いったいあなたたちはどうするんです?
父 ‥‥‥。
二男 ‥‥お願いだから、冷静に考えて下さい。イチロウさんを殺して、啓子を殺して、そして僕たちを殺して、いったい何の意味があるんですか? あなたたちに何の得があるんですか? イチロウさんの言うように、もしあなたたちが敗北して、逮捕されたら、その時には殺人罪に問われることになるんですよ。そうなったら、処刑されるのは僕たちだけじゃない。あなたたちが死刑になるんです。それでもいいんですか?
父 ‥‥‥。
二男 いいんですか?
父 ‥‥脅しているつもりか?
二男 え。
父 そんなことで、我々が動揺するとでも思っているのか? 我々が死を恐れるとでも思っているのか!
二男 ‥‥‥。
父 馬鹿にするのもいいかげんにしろ。‥‥我々は戦士だ。ここは戦場だ。お前たちのような甘っちょろい小市民の論理が通用する場所じゃないんだ!
二男 ‥‥‥。
父 ようし、わかった。望み通り処刑してやろうじゃないか。
二男 え‥‥。
父、戻って来て、長男をイスに座らせ、二男に歩み寄る。
父 まずは、お前からだ。
ピストルを二男の頭に突きつける。
二男 ‥‥‥。
父 ‥‥どうした? 恐いか? これは、洒落でも冗談でもないぞ。
二男 ‥‥‥。
父 ‥‥今、謝れば、お前は見逃してやろう。‥‥どうだ?
二男 ‥‥‥。
父 どうした? ‥‥さっきの元気は、どうしたんだ!
沈黙。
二男 ‥‥撃てばいい。
父 何?
二男 僕は‥‥僕は、あなたを軽蔑します。
父 ‥‥‥。
二男 僕は、あなたがもう少しまともな人だと思ってた。話のできる人だと思ってた。‥‥ゲリラに襲われて、人質になった時、初めは、すごく恐かった。でも、家族としてやっていこうとか、秩序ある家庭生活が大切だとか、あなたがそんな風に言ってたから、これなら大丈夫だと思った。
父 ‥‥‥。
二男 僕たちの前では、銃やピストルを持ち歩かないように指示したのは、あなただった。イチロウさんとケンカしそうになった時も、冷静になれと言ってくれたのは、あなただった。‥‥だから、僕は、あなたについてきたんです。
父 ‥‥‥。
二男 ‥‥僕は、臆病で卑怯な人間です。だから、ずっと、おとなしくしてようって思ってた。黙って「お父さん」とか「お母さん」とか言ってれば、危ない目には会わないで済むだろうとか、そんなセコイ計算もしていた。‥‥だから、今だって、本当は、泣きそうなぐらい恐いんです。いっそのこと、土下座して許してもらおうかって思うんです。でも‥‥。
父 ‥‥‥。
二男 ‥‥でも、そんな僕だから、あなたは、僕を選んだんでしょう? イチロウさんじゃなくて、僕を選んだんでしょう? イチロウさんには勝てないから、こいつなら何とかなるだろうって、僕を選んだんでしょう?
父 ‥‥‥。
二男 ‥‥そんなの‥‥卑怯だよ。‥‥馬鹿にすんなよ。
父 ‥‥‥。
沈黙。
二男 ‥‥誰だってね、一度ぐらいはかっこよくやりたいんだ。‥‥だから‥‥だから、僕は逃げないよ。‥‥僕は、卑怯な弱虫だから、よくわかるよ。あんただって、卑怯な弱虫なんだ。‥‥さあ、撃ちたかったら、撃てばいい。‥‥さあ、撃てよ!
父 ‥‥‥。
二男 ‥‥‥。
父 ‥‥言いたいことは、それだけか?
二男 ‥‥‥。
父 遺言として聞いておいてやろう。‥‥それじゃ、お望み通り、かっこよく死んでもらおうか?
二男 ‥‥‥。
父 覚悟はいいな!
二男 ‥‥‥。
父、ピストルの引き金に手をかける。
母 やめなさい。
父 ‥‥‥。
母 やめるんだ、橋本!
父 ‥‥‥。
母 銃を下ろして。
父 しかし‥‥。
母 下ろしなさい。
父 ‥‥‥。
父、ピストルを下ろす。
母 ‥‥お前の負けだ。
父 ‥‥‥。
母 ジロウの言う通りだ。今のお前は冷静さを欠いている。感情に流されているのは、お前の方だ。
父 ‥‥‥。
母 私情に流されて、目的を見失うな。
父 ‥‥‥。
母 秩序ある闘争‥‥それが、お前の持論だろう?
父 ‥‥‥。
沈黙。
父 しかし‥‥。
母 しかし、何だ?
父 ‥‥確かに、私が冷静さを欠いていたことは認めます。しかし、それとは別に、イチロウの総括は必要です。
母 それも、状況が変わった。
父 え。
母 わからないか? イチロウへの査問と総括が、図らずも、彼等に強い団結と連帯を生じさせてしまったのだ。
父 ‥‥‥。
母 我々の間には、新しい秩序が生み出された。責める者と、責められる者という関係が。そして、それは、力と力との関係だ。銃の力と、数の力との関係だ。
父 ‥‥‥。
母 ‥‥二対四で、長期戦を戦えると思う?
父 ‥‥‥。
母 和解しなさい。‥‥元に戻すしかないわ。イチロウの件は、また、考えましょう。
父 ‥‥‥。
長い沈黙。
突然、玄関のチャイムが鳴る。
全員 !
母が、玄関に出て行く。
しばしの間。
コートを着て、三角帽子をかぶった山崎が入ってくる。
山崎 メリー・クリスマス!
山崎、クラッカーを鳴らす。
山崎 いやあ、皆さんおそろいで。こんばんわ。ごきげんはいかがですか?
全員 ‥‥‥。
山崎 あれ‥‥びっくりさせちゃったかな?
全員 ‥‥‥。
山崎 (コートの雪を払いながら)いや、さっきから、雪が降ってきましてね、これがけっこうな勢いで。この様子だと、明日は大雪になりますよ。‥‥まあ、明日はクリスマスだし、ホワイトクリスマスでいいんですけどね。でも、シンシンってロマンチックな感じじゃなくて、ドカ雪で、ちょっと降りすぎかもしれないなあ。
全員 ‥‥‥。
山崎 ‥‥それで、せっかくのクリスマスイブに何にもないってのもアレですから、僭越ながら、わたくしが、サンタクロースを相務めさせていただきまして、ささやかながら、プレゼントをお持ちした、とまあ、このような次第でございます。
山崎、持ってきた袋から、ケーキの箱を取り出す。
山崎 ジャジャーン。‥‥それじゃ、ちょっと失礼して。
山崎、テーブルの上に、ケーキを載せる。
山崎 ちゃんと、サンタさんのローソクもあるんですよ。
山崎、ケーキにローソクを飾る。
山崎 それじゃ、皆さん、テーブルについて下さい。
全員 ‥‥‥。
山崎 さあ、皆さん。
全員、イスに座る。
山崎 一人一人にプレゼントがあるとよかったんですけどね。いや、私、頼んでみたんですよ。そしたら、ウチも予算が苦しいらしくってね。いやあ、セコイ話ですみません。‥‥で、その代わりと言っちゃ何ですが、こんなの持ってきました。ジャジャーン。
山崎、袋からシャンパンを取り出す。
山崎 これ、けっこう高いんですよ。いや、お金の話ばっかりですみません。これだから、貧乏人は嫌なんだよな。‥‥後、ビールも持ってきましたから、まあ、これ飲んで、景気よくやりましょう。日頃のウサを忘れて、パァーッとね。
全員 ‥‥‥。
山崎 それじゃ、ローソクに火をつけましょうか? ‥‥あ、火、忘れちゃったな。‥‥すみませんが、どなたかライターかマッチ、持ってらっしゃいませんか?
母 ‥‥イチロウ。
長男、ライターを差し出す。
山崎 それじゃ、火をつけてもらいましょう。誰がいいですかね? ‥‥そうだ、フタバさんにお願いしましょうか?
二女 ‥‥‥。
山崎 お願いします。
母 ‥‥フタバ。
二女、ローソクに火をつける。
山崎 メリー・クリスマス!
全員 ‥‥‥。
山崎 ♪ まっ赤なお鼻のトナカイさんは、いつもみんなの笑い者‥‥。‥‥それじゃ、ケーキカットと行きましょうか? ‥‥あの、お母さん、お手数ですが、ナイフとお皿と、それからフォークも、お願いできますか?
母、席を立つ。
母 カズミ。
長女 え。
母 手伝って。
長女 ‥‥ああ。
長女、席を立ち、母と共に去る。
山崎 ‥‥いい歳して何なんですがね、私ね、昔っから、こういうクリスマスがあこがれでして。‥‥いや、ウチが天理教だったもんでね、クリスマスやんないんですよ。‥‥十二月になると、近所の友達の家なんかに行くと、クリスマスツリーとか飾ってあるでしょ? あれが、すごくうらやましくってね。‥‥だから、二十四日とか、二十五日とか、嫌だったなあ。‥‥今頃、ケーキ食べてるんだろうな、とか、プレゼントもらってるんだろうな、とか想像してね。‥‥そういうの、皆さんにはわかんないかもしれないけど、子供にとっては、かなりつらいもんがありましたよ。早くお正月にならないかって、そんなことばっかり考えてた。‥‥まあ、若い人で、彼女のいない人なんかが、ひとりぼっちのクリスマスイブはつらいって話聞いたことありますけどね、それとおんなじような感じですかね。‥‥ああ、どうも、すみません。
母と長女が、ナイフと食器を持って戻ってくる。
山崎 ええっと‥‥、ひぃ、ふぅ、みぃ、よぅ、いつ、むぅ、なな、‥‥ありゃ、七人か。こいつは切るのが難しいですねぇ。ええっと、どうしようかな‥‥。まず、サンタさんに引っ越してもらって‥‥それから、とりあえず、4対3に分割して‥‥。
山崎、ケーキに切れ目を入れる。
山崎 ‥‥それから、こっちを4つに分けて、こっちが3つ‥‥と。あれ、こっちの方が大っきいかな? ま、ちょっとぐらいいいですよね。皆さん、子供じゃないんだから。それとも、こだわり派の方いらっしゃいます? いたら、あらかじめ言っといて下さいよ。食べ物の恨みは恐いって言いますから‥‥。
全員 ‥‥‥。
山崎 じゃあ、切っちゃいますよ。いいですね。
山崎、鼻歌まじりにケーキを切り、皿に取り分ける。
山崎 どうぞ、お好きなのを取って下さい。早い者勝ちですよ。
全員、目を合わせる。
山崎 さあ、どうぞ。
全員、無言のまま、皿を取ってゆく。
山崎 皆さん、回りました?
全員 ‥‥‥。
山崎 それじゃ、いただきましょう。合掌‥‥じゃ変ですね。こういう時はやっぱり十字でも切るんですかね?
全員 ‥‥‥。
山崎 それも、めんどくさいな。ま、いいってことにして、それじゃ、いただきます。
山崎、ケーキを食べ始める。
他の者は目を見合わせ、手をつけない。
山崎 あれ、食べないんですか? おいしいですよ、これ。
母 あの。
山崎 え?
母 ずっといらっしゃるんですか?
山崎 え?
母 ここに。
山崎 ‥‥‥。
母 あの‥‥ちょっと、今、取り込んでるものですから‥‥。
山崎 ‥‥‥。あ‥‥ああ、そうですよね。そうだ、そうだ。こういうのは、やっぱり親子水入らずでやりたいですよねぇ。
母 いや、そういう意味じゃ‥‥。
山崎 いやあ、気が利かなくて、どうもすいません。いや、ここんところ仕事が混んでて、息抜くヒマがなかったから‥‥。ちょっと、調子に乗り過ぎちゃったかな。‥‥ほんとにお邪魔しちゃって、どうもすみません。
山崎、席を立とうとする。
母 あの‥‥ケーキ、食べてって下さい。
山崎 あ、そうですか? ‥‥そうですよね、食べさしってのも何ですよね‥‥。それじゃ、お言葉に甘えて。
山崎、一人で黙々とケーキを食べる。
山崎 どうも、ごちそうさまでした。
山崎、席を立つ。
山崎 ほんと、お騒がせしちゃって、どうもすみません。(持ってきた袋を持ち上げて)ビール、たくさんありますから、どうぞ、ごゆっくりやって下さい。
全員 ‥‥‥。
山崎、去りかけて。
山崎 皆さん、元気出して下さいよ。今夜だけは、何もかも忘れて、パァーッとやって下さいよ。‥‥せっかくの夜なんだから。それじゃ、ほんと、お邪魔しました。
全員 ‥‥‥。
山崎 良いクリスマスを。
山崎、去る。
白けた長い沈黙。
父 ‥‥盗聴器だ。
全員 え。
父 あいつ、どさくさにまぎれて、盗聴器を仕掛けていったんだ。
全員 ‥‥‥。
父、山崎の持ってきた袋をつかんで、ぶちまける。
転がり出る、シャンパン、缶ビール。
その一つ、一つを手に取って、調べる父。
全員 ‥‥‥。
袋の中身を調べ終わると、立ち上がってあたりを見回す。
父 どけ!
今度は、テーブルの下に潜り込んで、山崎の座っていたあ
たりを探る。
母 お父さん‥‥。
父、再び立ち上がり、テーブルの上を見回す。
父 ろうそくだ!
サンタクロースのろうそくをつかみ取り、火を吹き消し、二つに割る。
しかし、何も出てこない。
立ち尽くす父。
母 もう、やめなさい。
父 ‥‥‥。
母 さあ、‥‥せっかくだから、ケーキを食べましょう。
力なくイスに座り込む父。
全員、静かにケーキを食べ始める。
クリスマス・イブの夜は、ふけてゆく。
暗転。
5
十二月二十五日 朝
朝、目覚まし時計のベルが鳴る。
明かりがつくと、そこは、いつものリビング。
部屋の中央に、母が立っている。
母 みんな、朝ですよ。
しばしの間、誰の反応もない。
母 起床時間ですよ。ラジオ体操が始まりますよ。
長男が、ラジカセを持って出てくる。
母 おはよう。
長男 おはよう。
長男、ラジカセをテーブルの上に置き、コンセントを差し込む。
そして、窓の方に去る。
長女が目をこすりながら出てくる。
母 おはよう。
長女 おはよう。
長女、長男の方に目をやる。
長女 雪?
長男の声 ‥‥ああ。
長女、窓の方に去る。
長女の声 わあ、大雪だ。
父が出て来る。
母 おはようございます。
父 おはよう。
父、黙ってイスに腰を下ろす。
二男が出てくる。
母 おはよう。
二男 おはようございます。
二男と父、顔を合わせるが、お互いに目をそらす。
二男、離れたイスに座る。
母、時計を見る。
母 カズミ、フタバは?
長女の声 頭が痛いんだって。
母 また?
長女の声 うん。
母 そう‥‥。二人共、そろそろ始めるわよ。
長男、長女、戻ってくる。
母 それじゃ、お父さん。
父 ああ。
父、立ち上がる。
父 (姿勢を正して)皆さん、おはようございます。
全員 おはようございます。
父 えー、昨夜からの大雪で、屋根に相当雪が積もり、今日か、明日あたり、雪下ろしを手配することになると思います。何人かの業者の人間が出入りすることになると思いますが、全てお父さん、お母さんが対応しますので、無用な接触はしないようにして下さい。‥‥それから、改めて言っておきますが、私たちは家族です。お父さんとお母さんは、これまで通り、明るい家庭生活を第一に考えてやっていこうと思っています。そして、それは、家族みんなの利益にもかなうことだと思います。これからも、いろいろなことがあるかもしれませんが、そこの所を考えて、みんなで力を合わせてがんばりましょう。‥‥それでは、今日も元気に一日を過ごしましょう。
間。
母 イチロウ。
長男、ラジカセのスイッチを入れる。
「ラジオ体操の歌」が流れ出す。
全員ラジオに唱和する。
歌 ♪ 新しい朝が来た。希望の朝だ。喜びに胸を広げ、青空仰げ。ラジオの声にすこやかな胸を、この薫る風に開けよ。それ、一、二、三。
続いて「ラジオ体操第一」が、始まる。
全員、整然と体操を始める。
ヘリコプターのプロペラ音が聞こえてくる。
全員、耳を澄ましながら、体操を続ける。
ヘリコプターが近づいてくる。
母 お父さん。
父 朝っぱらから、何なんだ?
体操は続く。
爆発音!
全員 !
煙が室内に流れ込んでくる。
続いて、何発かの銃声。
父 敵襲だ! 配置につけ!
父、母、家の奥に走り去る。
長男、リビングに隠してあったライフル銃を取り出し、見えない敵に向かってかまえる。
長女と二男は、テーブルの陰に隠れる。
家の奥から、激しい銃撃戦の音
その間、流れ続ける「ラジオ体操第一」。
拡声器から、山崎の声が聞こえてくる。
山崎の声 犯人に告ぐ。無駄な抵抗はやめて、出てきなさい。人質の人は床に伏せて下さい。繰り返し警告する。無駄な抵抗はやめて、出てきなさい。人質の人は床に伏せて下さい。
一瞬の静寂。
再び、激しい銃声。
爆発音。
数発の銃声がして、静かになる。
流れ続ける「ラジオ体操第一」。
そこへ血まみれの父が、ライフル銃をかかえて、よろめきながら駆け込んでくる。
父 イチロウ。もうだめだ。‥‥こいつらを撃て。
長男 ‥‥‥。
見つめ合う、父と長男。
父 イチロウ!
長男 ‥‥‥。
父 畜生!
父、テーブルの下の二人に銃を向ける。
その瞬間に銃声。
父、もんどりをうって倒れる。
一人の兵士(テロ対策特殊部隊員)が、自動小銃を持って突入してくる。
長男は、とっさにライフル銃を構える。
にらみあう二人。
兵士 ‥‥銃を捨てろ。
長男 ‥‥‥。
兵士 ‥‥お前に勝ち目はないぞ。
長男 ‥‥‥。
そこへ、二女が飛び込んでくる。
長男は、二女に銃を向ける。
二女 !
長男 動くな! 動いたら、この女の命はないぞ。
兵士 ‥‥‥。
にらみあいが続く。
「ラジオ体操第一」が流れ続けている。
長男 (二女の背中に銃口を押し当て)さあ、歩け。
二女と長男、玄関に向かってゆっくりと歩き出す。
二女 (後ろを振り向き)お兄ちゃん。
長男 え。
長男、二女を見る。
その瞬間、兵士の自動小銃が火を噴く。
二発、三発。
長男は、その場に倒れ伏す。
兵士 大丈夫ですか?
二女 ‥‥‥。
兵士、室内を見回す。
兵士 間もなく救援が来ます。しばらくここで待機していて下さい。
兵士、家の奥へ去る。
長い沈黙。
ラジオが鳴り続けている。
やがて、山崎が入ってくる。
山崎、ラジオのスイッチを切る。
山崎 (二女に)樋口啓子さんですね。
二女 ‥‥はい。
山崎 情報のご協力ありがとうございました。
二女 ‥‥‥。
山崎 おかげさまで、無事制圧することができました。
二女 ‥‥‥。
山崎 これで、すべては終わりました。長い間、どうもごくろうさまでした。
二女 ‥‥‥。
山崎 では、また、後ほど。
山崎、去りかけて、立ち止まる。
山崎 メリー・クリスマス。
山崎、去る。
長い沈黙。
やがて、二女は、長男の死体に歩み寄り、そばにひざまづく。そして、やさしく髪の毛をなでる。
二女 ‥‥お兄ちゃん。
ヘリコプターの爆音、大きくなる。
暗転。
6
エピローグ
次第にヘリコプターの音が小さくなる。
長女に明かり。
長女 どちらかと言うと、わりと平凡に生活してたっていうか、人質って感じはあんまりなかったです。普通に食事をして、話とかして。‥‥‥ええ、そうです。お父さんとかお母さんとか呼んでました。私たちにも名前をつけてて、私は、上の女の子でした。え? ああ、カズミです。カズミ。‥‥さあ、長女だからじゃないですか? ‥‥‥ええ、見てました。ニュースとかはダメだったけど、ドラマとか、映画なんかは、けっこう自由に見せてくれました。それから歌番組なんかも。‥‥‥そうですね。何度か恐いって思ったことはあったけど、そんなにしょっちゅうというわけではありません。ほんとに危ないなって思ったのは一度だけです。‥‥‥そうですね。早くウチに帰って、お風呂に入って、思いっきり寝たいです。‥‥‥ほんとにどうもありごとうございました。
長女、消える。
二男に明かり。
二男 大きな爆発音がして、煙が入ってきたんです。それから、銃声が何発か鳴って、もうその後は、何がどうなったのかよくわかりませんでした。‥‥‥警察の人が入ってきて、「大丈夫ですか」と言ってくれたんで、その時、助かったんだって思いました。‥‥‥犯人はどうなりました? ‥‥‥そうですか。全員射殺ですか。‥‥‥犯人に言いたいこと? ‥‥いろいろあったような気もするけど、今はもういいです。‥‥‥もう、ほんとに終わったんですよね? なんだか実感がないんです。頭がボーッとしてて、何もかもよくわかんなくて‥‥‥あの、今は、あんまり思い出したくないし、考えたくないんです。すみません。‥‥‥とにかく、疲れました。それだけです。ほんとに疲れました。
二男、消える。
二女に明かり。
二女 二ヶ月半が長かったのかどうか、今はよくわかりません。‥‥秋が過ぎて、冬が来て‥‥不思議と季節感があって、なんだか長い休暇だったような気もします。‥‥‥こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、けっこう楽しかったんです。ええ、ほんとに。‥‥‥フタバって名前で呼ばれるのが、わりと気に入ってて、ほんとの家族みたいな感じがする時も、時々ありました。‥‥‥ええ、犯人の人たちは、やさしくて、いい人たちでした。
ヘリコプターの音、止まる。
暗転。
一瞬の沈黙の後、音楽。
再び明かりがつくと、誰もいないリビングルームが浮かび
上がり、そしてゆっくりと消える。
おわり