ネットの関係ほど消えると悲しいこともある

ある同性の配信者がいた。
私は月に数回、その人の放送へ出入りしてゲームのプレイを見たり雑談をしたりしていた。
その人の放送はいわゆる過疎放送だったから、多くても4~5人の視聴者しか集まらない事が常だった。
しかし、それ故に「放送」というよりは数人の身内で集まって遊んでいるような感覚に近かったように思う。

ほぼ同世代だった事もあり、最初は放送の中だけだった関係性は、自然とTwitterやディスコードへと広がっていった。
放送以外で言葉を交わす事こそ少なかったが、この関係はなんだかんだで5年ほど続いた。

5年という月日は思っているよりも長い。
ただの配信内での雑談とは言え、5年もの歳月が積もればそれなりにお互いのことを知りえてしまう。来るメンバーがほぼ固定している過疎放送だったこともそのことに拍車をかけていた。
面白そうな作品を教えあったり、ゲームの環境が合えば共にプレイすることもあった。この過疎枠の数人の中で、なんとなくの悩み相談やアドバイスをすることも珍しくなかった。

その関係は、ある意味では友達以上に友達だったと言えるかもしれない。
しかしその人はつい先日、ほとんどなんの前触れもなく突然全てのアカウントを削除してネット上から姿を消した。

別の言い方をするなら、その人のネット上での人格が死んだ。
繋がりがネット上にしかない以上、おそらく今後も死んだままなのだろう。
その人がネットに存在したという痕跡すらも消え失せて、文字通り灰も残らない死に方だった。

なぜその人が突然にそんなことをしたのか今となってはわからない。
ただひとつ言えるのは、たとえネット上のみの関係性だったとしても……5年もの歳月を共に過ごした友人を残してひとり消えてしまうのは、あまりに悲しかったという事だけだ。
不定期でこそあったが、時間とタイミングが合った時にその配信を見に行くことはもはや当然の事になっていたから、言いようのない喪失感のようなものを感じている。
突然の失踪だったので果たされなかった約束も多く、言い残してしまった事も少なくなかった。その人に関連する作品やゲームを眼にするたびに後悔にも似た寂しさが生まれる。

放送はある程度環境が整っていないとできないことだから、続けていくことが難しい場合もあるだろう。でもそれはいい。
たとえ配信が減って疎遠になっても、ネットのどこかで繋がっていればそれだけでよかった。言葉を交わす必要すらなかったのに。

おそらく、その人にとって私は友達ではなかったのだろう。
それなりに長い時間を共有した間柄であったとしても、都合が良い時に暇を潰せるAI程度にしか思っていなかったのかもしれない。
だとするなら、それはもう仕方のないことだ。

もちろん、このようなリセットを容易に行う事のできる部分がネットの優れたところでもある。
ネット上の人格は、リアルと紐付いていない限りはいつでも全てを初期化することができる。
その気楽さがネットの優れた部分である事は確かで、ネット上の関係性に期待をしすぎるのも良くない。
消えることもまた自由だ。
消えたいのなら好きに消えればいい。

しかし、それでも私は考えてしまう。
どのような理由があったとしても、画面の向こうに人がいる事を考えるなら、もう少しだけ良い終わり方があったのではないか……と。

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