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もうすぐ76年。戦跡ツアーで沖縄戦の歴史を知る

こんにちは!沖縄南部観光局です。もうすぐ6月23日。沖縄では76回目の慰霊の日を迎えます。そこで今回ご紹介するのはこちらのツアー。

沖縄戦について知ることが出来る貴重な機会です。ご興味がある方はぜひご参加ください!

米軍の艦隊が押し寄せた沖縄南部沿岸

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ツアーのスタートは具志頭城跡公園から。現在は目の前に穏やかな太平洋が広がりますが、1945年の3月下旬、米軍はここから沖縄本島に上陸すると見せかけるための攻撃を始めました。

約3か月に及ぶ激しい地上戦で、20万人以上の方が犠牲になりました。1945年6月23日、日本軍の司令官が、摩文仁の丘(現在の平和祈念公園)で自決したことで、日本軍の組織的な抵抗は終了しました。

具志頭城跡公園から平和祈念公園までの沿岸は【沖縄戦跡国定公園】に指定されています。戦跡が国定公園として保護されているのは、日本でもここだけです。

開発が制限されているので、海と森の豊かな自然も残されています。

具志頭城跡公園は、沖縄戦の始まりと終わりを見ることが出来る場所。ツアーではここでまず、沖縄戦の流れについてお話します。そのため、沖縄戦について全く知らないという方でも、安心してご参加いただけます。

戦時中に使われたガマに入壕する

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沖縄戦では「ガマ」と呼ばれる鍾乳洞が、避難場所・病院・陣地などとして活用されました。今も南部には、戦後から手付かずのまま、自然の状態で保存されたガマが点在します。

ツアーではそうしたガマのひとつ「クラシンウジョウ壕」に入壕します。ここは戦時中、日本軍の陣地として利用されたガマ。ここにいた兵隊の方たちは、最後、迫る米軍に対して斬りこみ攻撃を仕掛けました。

そのため、このガマの中で戦死した方はいないと言われています。ツアーでは、ヘルメットを被ってガマの中を歩き、当時の暗闇も体験します。

軍手とライトをご持参ください。手付かずではありますが、毎月安全点検を行っているのでご安心ください。入壕には自然体験学校へのお申込みが必要です。

用途不明、謎のトンネル跡へ

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クラシンウジョウの横に掘られたトンネルがあります。その用途は不明ですが、とても綺麗に掘られており、自然に出来た穴ではないことが分かります。ツアーでは実際にトンネルの中を歩きます。

今も残る戦時中の銃弾

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海に面する岩壁をよく見ると、錆びついた銃弾を見つけることが出来ます。沖縄戦では、海から空から陸から、畳一畳におよそ100発もの銃弾が撃ち込まれたと言われています。

当時の人々は「鉄の暴風」とも形容される銃弾や爆弾が飛び交う中で、いつ終わるのかも分からない戦争の終わりを願っていました。

そして、戦争の爪痕は76年経った今でも、確実に残されているのです。

自然と同化した弾薬処理工場の跡

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最後に訪れるのは弾薬処理工場の跡。戦後、米軍が沖縄に持ち込んだ砲弾で、未使用のものが多量に残っていました。工場建設にあたって、ぐしちゃん浜の砂はトラックや馬車で運び出されてしまったそうです。

工場では不発弾や未使用の弾薬から火薬を抜き取る作業が行われました。抜き取られた火薬は、その場で燃焼させたほか、イノーに漬けられたという証言もあり、海も岩石も硫黄の色で黄色に染まり、魚介類や改装の生息にも被害を与えました。

実弾を取り除く際の爆発事故なども多発。マスクもなく、煙の中での作業だったので、作業員の中には肺炎を患った人もいました。

沖縄戦の歴史から平和を考える

実際の戦跡を訪れることで、沖縄戦当時の様子を、よりリアルに知ることが出来ます。戦争の歴史に触れることが、「なぜ争いは起きたのか」などを考えるきっかけになり、その先に平和があります。

ただ恐いだけのツアーではありません。この機会に沖縄戦のことを一緒に学んでみませんか。

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