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2020年の終戦記念日

8月15日。終戦記念日。

世界で起こってきた戦争はひとつではないのだが、私は「終戦記念日」といえば8月15日を思い浮かべる。

私は、戦争について、何を知っているだろう。何から知ってきただろう。
テレビ、ラジオ、新聞、教科書、資料館、マンガ、演劇、インターネット。
いろんな媒体がそれぞれの真実を知らせる。
あっちとそっちでは言っていることが違ったりする。
何が事実だったのか。戦争の真実ってなんなのか。自分で判断していかなくてはいけない。

今日はおじいちゃんとおばあちゃんと一緒に夕ごはんを食べた。
二人とも当時の話を積極的に話すわけではないけれど、話題を振れば話してくれる。
夕飯のときの、ひとつの話題としての、話。

「おじいちゃん達って、終戦のときは何歳くらいだったの?」
「いくつだ?13歳だか14歳だか」
「14歳のときだあな」
おじいちゃんとおばあちゃんは1歳違いなので、だいたい同じくらい。

テレビでは、砂糖が貴重品だった、という話をしていた。
「この辺(の地域)も砂糖ってなかったの?」
「砂糖なんてなかったわ。塩もねえもんよ」
「食べるものなくて大変だった?」
「食べもんは平気だよ、この辺は。自分のとこ(田んぼと畑)で作ったものがあんからよ。勝手に売っちゃいけなかったけどな」
「おばあちゃんとこ(実家)は山だから、米が育たないでしょ。だから粟とか稗とか食べてたよ」
お米は国に管理されていたから、作ってもいったん回収されていたらしい。
でもこの辺はそんなに管理が厳しくなくて、自分のうちのぶんは残せていたみたいだった。

「学生も徴兵されてたの?」
「18歳より上。あとこの辺は長男は取られなかった。最初はな。農家だからよ、跡取りがいなくなったら食糧なくなって困んだろ。だから次男より下が取られてったの。最後のほうは長男も取られてっちまったけどな」
「あと5年ずれてたら、おじいちゃんも行ってたかもね」
おじいちゃんは百姓の長男だけど、終戦近くになったら徴兵されてたのかも。

「戦争って何年続いてたの?」
これは、おじいちゃんとおばあちゃんで感覚の差があるみたいだった。
とにかく戦争が始まって最初のほうは「優勢」「勝ってる」という知らせばかりで、生活にもあまり影響はなかったらしい。
ただ、最後の2年くらいは大変だったみたいだ。
「学校でも勉強できなかったよ」
って、おばあちゃんは言っていた。

こういう、夕飯の話題のひとつとしておじいちゃん達から聞く話が、私が戦争を見るひとつの材料になっていく。

矛盾しているようだけれど、「多分、二人とも、本当に辛かったことは話してないな」とわかる。
そういうことも、材料のひとつ。

「陸軍は、見えてる世界が狭すぎた」
おじいちゃんが言っていた。
ーーお偉いさんは、自分達の権力や権威が、世界にまで通用すると思っている。
そういうニッポンの愚かしさは、今も変わらないな、と思った。

テレビが猫のあくびの映像に切り替わる。
猫好きのおばあちゃんは「まあ、かわいいよ」と頬を緩める。
今日は風邪気味で、デイケアに行けなった。
高齢になっても毎日よく食べるのに、今夜はごはんをお茶碗半分、大好きなお刺身も半分残した。
「今日は先に休むよ」と、薬を飲んで、血圧を測って、寝間着に着替えた。

おじいちゃんは、おばあちゃんと自分の血圧を記録する。おばあちゃんの明日の薬の準備をする。
明日は息子(私の叔父)の治療費の支払い、その嫁の入院費の支払いの支払いをしに行く、というので、私は「インターネットで振込できるよ」と言って請求書を預かった。
こんなに暑くても、おじいちゃんは毎日、朝と夕方には畑仕事をする。

私は食器を洗って、残ったおかずを冷蔵庫に入れる。
おじいちゃんの左足親指の包帯を代えるのを手伝ってから、テレビを見ながらおじいちゃんの腰を揉んだ。

今日は夕飯のおかずが多かったから、買ってきたケーキは冷蔵庫に閉まっておいた。
おじいちゃんが好きなチーズケーキ。明日のお楽しみ。