「澤」2024.07

「澤」2024年7月号の主宰作品、季語練習帖、潺潺集、澤集から特に惹かれた10句を選び、1~2文の鑑賞を付しました。

  かつて蔵前工業高校定時制の教師たりし
夜学俳句部部員ひとりやわれと句会/小澤實「真贋」
たったふたりの句会では作者もすぐ分かってしまいますが、しかしふたりの俳句作者が秋の灯の下向き合うさまはどこかしみじみさせられます。字余りの効果か、句会をしているふたりに自然と焦点が絞られていきます。

晝寢より覺めまだ在りし夏休/高橋睦郎「季語練習帖」
寝ても覚めても時間が確固たるものとして「在る」ということの不思議を、寝起きの火照った頭で感じ取っています。「続く」ではなく「在り」と書くことで、いつまでも時間が進まないような倦怠感が出ています。

蚯蚓の弔ひ般若心経途中まで/喜心
優しい人だと終わらせてもよいのでしょうが、七七五の押し寄せるような韻律、そして「途中まで」で中断してでもやるという姿勢からは、なにか呪術めいた執念を感じます。実際にこの句の人を見かけたらすこし怖そうです。

光るもの燿【ひか】りて夏の立ちにけり/妹尾題弘
草原や木々、湖など自然物かもしれないし、あるいは街の窓を思ってもよいでしょう。日差しあふれる立夏の景色を端正な文体で書き留めました。同時作〈青葉の丘ひとつを占めて法学部〉も好きでした。

茹で溢す小豆の湯気や入り彼岸/鶴見澄子
ぼたもちを作るために小豆を茹でているのでしょう。赤の色彩や小豆の匂いがありありと想像でき、豊かな彼岸の時間が思われます。

発情の牛頭突きあふ薄暑かな/山口方眼子
「発情の」のあからさまな措辞により、薄暑の汗ばむ感覚が動物の性をめぐる生々しい行為と繋がります。人も動物もなんとなく落ち着かない薄暑です。

雲梯にかぶさつてをる桜かな/オオタケシゲヲ
小学校の校庭を思いました。シンプルな構図ですが、「雲」の字があるおかげで描かれていない青空も思われます。

どの唇【くち】も生きてゐるなり卒業歌/大堀柔
教師目線の句として読みたい。いつも湿っている唇は確かに生々しい生命力を感じさせます。もう教師として手助けはできないけれど生徒たちにはこれからも幸せに生きていってほしいと祈る切実な思いが「なり」に籠ります。

新緑を見下ろす人よ光に透き/押野裕
展望台を思いました。中七の切れにより「新緑を見下ろす人」の像がはっきり見える分「透き」が際立ちます。sとhの音も効果的で、初夏の日差しのなか人の体の実体が徐々に薄れていくような、ふしぎな手触りがあります。

新茶新茶とつぶやきつ封を切る/黒澤佳子
人からもらったか買ったかした新茶を喜んで開封している句でしょうが、「新茶新茶」と繰り返しているおかげで「新茶」がだんだん意味をなさなくなりただの音声になっていくようにも思えます。どこか変な句でした。


おまけ。
「澤集巻頭作家インタビュー」はいつも句会でご一緒している大堀柔さん。過去作として引用されていた〈三十三間堂をつらぬく嚔かな/大堀柔〉、「つらぬく」の大胆さが好きでした。巻頭おめでとうございました。