見出し画像

斉藤志歩『水と茶』

『水と茶』(左右社、2022年)は斉藤志歩氏の第1句集。氏は2015年から東大俳句会に参加し、「麒麟」にも入会されたとのことです(作者プロフィール、「麒麟」二〇二三年春創刊号より)。

本集を読んでいてすぐに気が付くのは、描きたい景がクリアに見えてくる句がとても多いことです。これは、捉えたい様子に対する冷静かつ正確な言葉の選択に拠るところが大きいと感じます。

紐引いて橇の散歩は木の間ゆく(着ぶくれ)
囀やメニューの上に皿置かれ(手にミモザ)
キャベツ食ふ虫その穴をくぐりゆく(あやふやに)
引き出して麦茶パックのひとつなぎ(あやふやに)

上記はその一例。1句目は「紐引いて」、2句目は「メニューの上に」、3句目は「その穴」、4句目は「引き出して」と「ひとつなぎ」の組み合わせにより、それぞれ句の場面がくっきりと浮き上がってきます。しかも、どの句も語りのテンションが一定で、過剰に面白がろうとしていないため、読者も句の場面に入りやすいように思います。

また、形容詞の使い方が面白い句もいくつかありました。これも、語の選択が魅力的だという点で、上記の描写が確かな句の仲間と言えるかもしれません。

かへりみれば寺は大きく冬の空(着ぶくれ)
こいこいの声おそろしき炬燵かな(着ぶくれ)
早春の医院に繁き車輪の音(手にミモザ)
酔へる夜の親しき道や花水木(手にミモザ)

1句目、拝観を終え振り返ると、さきほど参ったお寺が意外な大きさをもって冬空にそびえてきます。2句目、入ってしまうと二度と出られないような寒い日の炬燵でしょう。「おそろしき」に俳味が宿ります。3句目、「繁き」で医院の繁盛ぶりと病院の中で往来の音を聞いている主体を同時に言い表していて巧み。sの音も早春らしくて気持ちがよいです。4句目、「親しき」にお酒をしこたま飲んで帰宅するときの感覚が出ているのでしょう。どの句も、形容詞をフックに、句の主体が体験したことを追体験できました。

本集には人間もところどころ出てきますが、彼ら・彼女らがどのような人間かを描くというより、主体がその人たちとどのように関わっているのかに主眼が置かれている句が多いように思われます。

聞かされてゐるその熊のおそろしさ(着ぶくれ)
春星の名を教はるや露天風呂(手にミモザ)
わが薔薇を折々人の見てゆけり(あやふやに)
手を拭きて芋の煮方を聞く電話(月の廊下)

本集のもう1つの大きな特徴は、現代の事物が題材となった句が多いことです。これまでに引いた句も、例えば〈囀や〉はファミレスの様子でしょうし、〈かへりみれば〉も現代を生きる人が寺を訪れたときの感慨でしょう。加えて、私は以下のような句に特に惹かれました。

パックして顔のたのしきクリスマス(着ぶくれ)
この宿のシャンプーよろし雪あかるし(着ぶくれ)
朝練へ雪のスナック街抜けて(着ぶくれ)
サンダルを踏んで受け取る出前かな(あやふやに)

これらの句群では、パックした顔を面白がったり、雪の中宿のシャンプーが家で使っているものよりもちょっと良いことに気が付いたり、早朝のスナック街を通って部活の朝練へ向かったり、ありあわせのサンダルを軽く履いて出前を受け取ったりするような、日常のちょっとしたところを面白がりながら、現代を楽しく暮らそうとしている主体像が浮かび上がってきます。本集には、正確な描写によって、現代を生きることをポジティブに描いている句が多いように感じられ、読者としてはどこか元気づけられました。

さて、ある意味では、本集の句群は次の句に象徴されるかもしれません。

真顔にて楽しさうなる小鳥かな(月の廊下)

いつも真顔だけど、なんだかんだいつも楽しそうな語り手が見えてくる、読んでいて楽しい句集でした。