見出し画像

2023/12/02 【応援歌整頓論】流用した個人チャンステーマは原則使用歴に含めない

(この記事は「応援歌整頓論」の各論です。概論は別記事をどうぞ)

今年も早いもので12月ですね。ついこの間までシーズンの熱気に包まれていたはずが、本当に早いです。
応援歌整頓論と銘打って始めた本シリーズも、気がつけば最初の記事を書いてから半年が経ってしまいました。時が経つのは早いですが、全然筆が進まずすみません。今回は個人チャンステーマについてのお話です。


個人チャンステーマとは

今回も本論に入る前に、まずは定義の確認からです。まどろっこしく思われるでしょうがすみません。
通常のチャンステーマは、主に得点圏の場面で、打席に入る選手を問わず演奏されるものですから、性格上チーム応援歌として整理されるものです。
それに対し、特定の選手に対して、得点圏の場面限定で演奏する応援歌もあります。これが、本記事で言うところの個人チャンステーマに当たります。読んで字の如しですね。

この個人チャンステーマ、べらぼうに数があるというほどでもないですが、それでもここ数年で、割とよくある応援形態として定着したように思います。
通常の応援歌をマイナーチェンジして個人チャンステーマに仕立て上げた例でいうと、有名どころとして挙げられるのが、ちょっと古いですが日本ハム稲葉篤紀の通称稲葉ジャンプ。これは、稲葉が得点圏の場面で打席に入る時に限り、通常応援歌に前奏が追加されるパターンですね。

通常応援歌とチャンス版が別物のメロディというパターンもあります。現役選手で有名どころといえば、中日ビシエドとか。

こうした個人チャンステーマについては、通常の個人応援歌とは別個に音源を作成して整理するのが、私の中での原則的な取扱いです。

個人チャンステーマが流用曲の場合の取扱い

ところで、個人チャンステーマが流用応援歌というケースも、数は多くないながらも多少存在します。
DeNAブランコチャンスみたいに、マイナーチェンジが入っているものならば、別個の応援歌として整理することができます。しかし、私が頭を悩ませるのは、個人チャンステーマが完全な流用曲というケースです。

この事例は、特に西武でよく見られるものです。一例を挙げるならば、栗山巧に対して、秋山幸二らに使われた応援歌「♪ジェットミサイルが飛ぶよ~」を個人チャンステーマとして演奏しているケース。
懐メロとしてお遊びで演奏しているかというとそうでもなく、実際にこの記事を書いている'23現在の西武応援団ホームページ上でも、「チャンステーマ(ジェットミサイル)」として掲載されているのです。おそらく背番号1つながりで、栗山用チャンステーマ的な扱いを受けています。

応援団が個人チャンステーマとして扱っているならば、きちんと使用歴に含めて整理すべきでは、という意見もあろうかと思います。ただ、私としてはどうにも、これを栗山の応援歌の一つとして整理するのがしっくりこないのです。
西武は、昔の応援歌をこのような個人チャンステーマという形で有効活用している事例が他にもいくつかあり、「チャンステーマ(セブン)」は片岡やら脇谷やらの応援歌として整理するのか、というか金子侑司には個人チャンステーマ的な使われ方をしていないのか、それから外国人のチャンステーマはどうするかなどなど、この辺も個人チャンステーマの使用歴を含めようとすると、やはりしっくりこないのです。

ちなみに、西武以外で同様の事例はないかというと、一つ思いつくのはヤクルト青木宣親。
メジャー移籍前の'10に、若松勉の応援歌を個人チャンステーマとして使用していた形跡があり、当時のヤクルト応援団ホームページ上にも「チャンス青木」として掲載されていました。
ただ、これも、青木の応援歌として整理するかというと、私個人的にはなんか違和感があるんですよね。というわけで、西武に限った話でなく、個人チャンステーマで完全な流用曲の場合、私としては原則、使用歴に含めない整理としています。

流用した個人チャンステーマに関するルールを設けた背景

ここまで、なんだかしっくりこないだの、個人的に違和感があるだの、ふんわりした理由ばかり並び立ててしまいました。
この感覚の正体は何なのか、自分なりにもう少し突き止めてみようと思うのですが、一つポイントになりそうなのは、使用機会に差があることです。

最初に確認したとおり、個人チャンステーマというのは、特定の選手に対して得点圏の場面のみで演奏され得る応援歌です。
そして、得点圏で回ってくる打席とそうでない場面で回ってくる打席と、どちらのほうが機会が多いかと言えば、一般論としては、非得点圏の打席数のほうが多いでしょう。

となると、先に例を挙げたジェットミサイルチャンスにしろ青木チャンスにしろ、流用前の個人応援歌として使用されていた選手に対する使用機会との比較で言えば、個人チャンステーマのほうが使用機会が減ります。
それなのに、個人チャンステーマとしての使用歴を、通常応援歌としての使用歴と同列に扱ってよいのだろうか。私が引っ掛かっているのは、多分この部分なのだと思います。
実際には、対象選手がレギュラー格の選手か控え選手かで、そもそも出場機会そのものに差があるのだから、個人チャンステーマといえども現実的な演奏機会が増える可能性はあるのでは、という反論もできるのでしょう。しかし、選手の出場数を基準にしてしまうと、整理のルールが複雑怪奇になることが目に見えており、その要素は排除したいです。

ちなみに申し添えると、このルールはあくまで個人チャンステーマとして流用された場合のみ適用しており、一選手の個人応援歌からチームのチャンステーマに流用されるケースにおいては、チャンステーマを使用歴に含めています。
例えば、横浜ローズの個人応援歌については、その後チームのチャンステーマとして使用されていますが、こちらはチャンステーマも使用歴に含めて整理しているところです。
これも、私としては深い考えなく感覚的にそういう整理としていたのですが、突っ込んで考え直してみると、チーム全体のチャンステーマとしてであれば、個人チャンステーマほど演奏機会がはっきり減少するとも言い切れないから、というところなのかもしれません。

オリックス紅林の紅蓮Ver.をどう整理するか

ところが、'23シーズンに入って、この取扱いを見直さざるを得ないかもしれない事例に直面しました。それが、オリックス紅林弘太郎の紅蓮Ver.です。
この応援歌は、近鉄オリックスと在籍した下山真二の応援歌を流用したもの。紅林に対しては、'21シーズン途中から球場のスピーカー応援にて、チャンス時限定で演奏されるようになり、この時点では通常時の応援歌はBsメインテーマが使用されていました。

私の中では当初、本ルールに則って、紅林の個人チャンステーマとして流用後も、この応援歌は引き続き下山の応援歌として整理していました。
それが、'23シーズンになり、通常時の応援歌は近鉄オリックス時代の阿部真宏の応援歌を真紅Ver.として、そして、下山流用は引き続き個人チャンステーマの位置付けで紅蓮Ver.として、2本立ての応援歌という扱いになりました。
ここに至り、紅蓮Ver.を紅林の応援歌として整理しないのはかえってどうなんだろう、と頭を悩ませます(「2023年新応援歌第一印象(オリックス編)」の記事でも、このことについて触れていました)。

これまでの理屈で言えば、下山に対しては基本どの打席でも演奏され得る状態で使用されていたのに対し、紅林に対しては得点圏の打席でしか演奏しないわけで、使用機会に差があるのは、既出の事例と同様です。
なのですが、紅林に限って引っ掛かったポイントはどこにあるかというと、それでは紅林の応援歌として整理できるのは阿部真流用1曲のみとなり得るだろうか、という点です。
私の中での大原則として、基本的には流用後の選手応援歌として整理することにしているので、真紅Ver.については、紅林の応援歌として整理することに異存はないと言いますか、むしろそう整理しないと、他の流用応援歌のルールと整合が取れません。
一方、使用機会の話で言うと、真紅Ver.が使用開始された時点で、紅林の応援歌は真紅Ver.と紅蓮Ver.で使い分けること前提です。ということは、真紅Ver.だって最初から、流用前と比べて使用機会が減っていることに変わりないのでは、となるわけです。

以上を踏まえて、紅林については、応援歌が2本立てとなった時点を基準として、真紅Ver.を紅林1作目として、紅蓮Ver.を紅林2作目として取り扱うこととしました。すなわち、例外の例外として、個人チャンステーマであっても使用歴に含めるケースが生まれました。
本事例については、最初から個人応援歌2本立てでの運用、なおかつそのいずれの応援歌も流用曲、というのがポイントと思っています。'23の使用状況を考えると、2曲とも紅林の応援歌として整理したほうが、マイルールに拘泥するよりもかえって収まりがよさそう、と思った次第です。


以上、今回もグダグダと持論を書き連ねてしまいましたが、常々申し上げているとおり全部マイルールですので、最後までお付き合いいただいた酔狂な読者諸氏におかれましては、こんな考え方もあるんだな程度に読み流してくだされば幸いです。
他にこの個人チャンステーマはどう扱うんだ、など疑義がありましたら、お申し付けください。私の頭から抜け落ちているだけで、実は紅林以外にも使用歴に含めて整理したほうがしっくりくる事例がまだまだあるかもしれませんので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?