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2024/08/24 プロ野球選手のマインドは思っている以上にアマチュア寄り

今回私が記事にするのは、ちょっと日が経ってしまいましたが、私が取り上げるにしては割と時事ネタのお話。応援団のとあるコールが、現場の監督から苦言を呈された件について、応援本来の目的に立ち返りながら、考えてみたいと思います。


賛否両論巻き起こった新庄監督の試合後コメント

事の発端は、先日8/18のオリックス対日本ハム戦にて。上位争い真っただ中で負けられない日本ハムですが、敵地で下位オリックス相手に2敗を喫し、3タテは何が何でも避けたい展開。
しかし、試合は日本ハムの劣勢で進んでいきます。応援団は「気合を入れろファイターズ!」をはじめ、チームに発破をかけるコールを主導しますが、チームはあえなく敗戦。
その試合後、日本ハム新庄監督が、応援団のコールに苦言を呈する旨のコメントを発したのです。以下、スポーツ報知の記事より引用。

【日本ハム】新庄監督が応援団にお願い「気合を入れてない試合なんか1回もない。選手にも聞こえる」
◆パ・リーグ オリックス5―2日本ハム(18日・京セラドーム)
 日本ハムが5位・オリックスに3連敗を喫した。
 真夏の9連戦を終えた新庄剛志監督は「全国から野球のうまい人間が集まって、向こうも必死で抑えようと思って戦っている。こういう3連敗する時もありますよ」と試合を振り返った。
 また、敵地につめかけた自軍の応援団にお願いした。「(試合中のコールの)『気合を入れろ!ファイターズ』。今シーズン、気合を入れてない試合なんか1回もないんだけどね。『今日こそ勝てよ』。応援してくれるのはめちゃくちゃうれしいし、励みにもなるんですけど、ああいうワードセンス…は選手にも聞こえる。一生懸命やっている選手に届くから、その辺はちょっと温かい(応援を)、負けている時こそ、選手に伝えてほしいとは思いますけどね。他のチームもね! 他のチームでもそういうの聞くんですよ。『良くないなあ』って思いながら聞いてます」と話した。

スポーツ報知、2024年8月18日

このコメントを発したインタビュー動画など、直接のやり取りは確認できておらず、細かなニュアンス含めて、一言一句違わぬコメントであるかどうかは、推測の域を脱しません。
ただ、同旨の記事が他の新聞社からも配信されており、本記事の配信後にこの内容を否定するような反論も特段見当たりません。新庄監督が応援団のコールに対して苦言を呈したという事実関係は、概ね本記事のとおりなのでしょう。

本記事が配信された後、ファンからは賛否両論、様々な反応が巻き起こりました。
「気合を入れろ」というコール自体は、今に始まったものではなければ、日本ハムに限らず他球団でも散見されるコール。ただでさえ応援団の一挙手一投足を槍玉にあげられがちな昨今の風潮や、同一カード3連敗を喫した後のコメントだったことも相まってか、応援団を擁護する意見は数多く見られました。
その一方で、「気合を入れろ」というコールを、自軍の選手に対するヤジのように受け取るファン層も少なからず存在し、新庄監督のコメントに賛同する意見も、これまた少なくありませんでした。きちんと集計を取ってはいませんが、その意見の割れ具合は、なかなか拮抗しているような印象を受けています。

私も個人的に、この度の新庄監督のコメントに対して思うところは様々ありまして、応援する自由が不必要に奪われる事態にはなってほしくないという反発も正直ゼロではありません。
ただ、その一方で、応援行為の本来の目的を考えると、選手のパフォーマンスを落とすような言動は、応援とはなり得ません。この観点から、新庄監督のコメントを読み返すと、示唆に富んでいるものに見えないでしょうか。

強い表現の声掛けは選手にとって悪影響という主張

大前提として、今回の論争になっている「気合を入れろ」コールが、選手やチームに対する応援として、幾分強い表現であること。これについては、当該コールの賛同派としても、否定できない部分ではないかと思います。
今回のケースでもそうなのですが、「気合を入れろ」コールが発動するのは、応援対象のプレーがファンから見て不甲斐なく映るときです。そもそも、対象のチームや選手の状態がよければ、わざわざこんな声掛けをすることありません。
好意的に言えば、「気合を入れろ」という応援によって、応援対象を鼓舞しているという見方もできますが、このコールに拒否反応を示すファン層としては、そういう風には受け止められず、状態の悪いチームや選手を晒し物にしているように映ってしまうのでしょう。どちらの見方が正しいのか、応援する側の目線だけで議論しようとしても、おそらく水掛け論にしかなりません。

となると、視点を変えて、応援される側がこのコールをどう受け止めているのか、と言うところに焦点を当てなければなりません。
ここで新庄監督の主張を改めて読み解くと、状態の悪いチームや選手に対して「気合を入れろ」とコールをしたところで、みんな気合を入れてプレーしているのだから、応援の言葉を選ぶに際しては、より温かい言葉をかけてもらえた方が励みになる、というところになります。さらに、これは日本ハムに限らず、他球団も含めて当てはまる話である旨、付言しています。

ここ数年、お前論争だとか働け論争だとか、昔から長らく応援を続けてきたファンの立場では、言葉狩りとも嘆きたくなるような様々な問題も勃発しているところではあります。
ですがあくまで、応援行為の本来の目的と言うのは、応援対象に良いプレーをしてもらって、最終的な目標であるチームの勝利を見たいから。
本件に関しては、応援される選手にとって悪影響だという主張が現場から発信されており、感情的にもなりたくなるところを一つこらえて、応援本来の目的と天秤にかけた判断が求められるところかな、とも思うのです。
そこに立ち返って、新庄監督の言葉を冷静に咀嚼したとき、応援される選手が快く思わないコールにあえて拘泥する理由は見当たりません。今回の新庄監督のコメントを受けて、日本ハム球団に限らず全球団的に、こうした強い表現を伴うコールはなくなっていくのではないか、というのが(個人的な心情は抜きにして)私の見立てです。

お金を払えば何を言ってもよいという理屈は通用しない

新庄監督のコメントに対する反対派の意見として、応援席に集うファンだって、お金を払い、時間を投げ打って、球場でプレーする選手に声援を送っているのであり、逆に応援される選手はお金をもらって野球をしているのだから、多少の強い表現による応援だって許されて然るべき、という理屈も少なからずあるでしょう。
ですが、応援席というのは、断じて、応援する者が自己主張するための場ではありません。過去のプロ野球の応援の歴史を顧みると、ここを履き違えてしまったばかりに、一部のファンが暴走した事件もありました。
社会的な問題としても、カスタマーハラスメントというのが顕在化しており、お客様が神様という時代は今や終焉を告げています。今回の新庄監督のコメントを受けて、その波が野球観戦の文化にも押し寄せてきているのではないか、とも思うのです。

となると、どこまでだったら応援として許容されて、どこからが誹謗中傷として排除しなければならないのか。今回問題となった「気合を入れろ」コールは、その線引きのどちらに属するのか。
これが、声掛けの対象の存在そのものを否定するような内容であれば、誰が見ても誹謗中傷と判断することができます。若しくは、相手チームを揶揄するような声掛けなんかも、誹謗中傷ではないと言い張るには苦しい時勢と思います。
一方で、「気合を入れろ」程度の内容であれば、先述したような、不甲斐ないチームや選手を鼓舞しようという見方は、一概に否定しきれるものでもないでしょう。反骨心のある選手であれば、なにくそと感じてもらえるかもしれませんし、この手のコールが歴史的に残ってきたのは、応援している野球選手がプロであることに対する器量に期待してきたからこそだと思うのです。

ところが、今回の新庄監督のコメントと言うのは、プロたる野球選手の心持ちはかくあるべきとファンが(勝手に)神格化していた姿を、真っ向から否定した、とも受け取れます。
平たく言えば、いつもいつでも温かい応援を受けられるのはアマチュアまでしか通用しない世界だろうという固定観念。そして、プロ野球選手というのは、お金をもらってプレーしているにもかかわらず、我々ファンが(勝手に)期待していたほど、プロたるマインドを持ち合わせていないのか、という落胆。
ファン側のもの凄く勝手な言い分なのは百も承知で、新庄監督のコメントに反論したくなる人の意識の根底にあるのは、おおよそこんなところでないかと思うのです。

プロ野球の応援もアマチュア化していくのだろうか

これは単に私のリサーチ不足かもしれませんが、思えば、アマチュア野球の応援にて、「気合を入れろ」コールだの「働け働け」コールだの耳にすることはありません。昔ながらのバンカラ応援団時代でさえ、応援団内では厳しいやり取りこそあれど、その矛先がフィールドでプレーする選手に向かっていたかと言われると、高校野球でも大学野球でも社会人野球でも、あまりイメージが湧きません。
そういう意味で、今回の「気合を入れろ」コールが争点になった際、新庄監督のコメントを肯定的に捉える層が一定数いたのは、アマチュア野球で聞かれないような応援が、プロ野球の世界ではまかり通っていることに対して、違和感があったのではないかと考えられます。

これまで書いてきたことを今一度振り返りますと、まず、私の見立てとして、選手のパフォーマンスに影響を及ぼすような応援を強行することはないと予想します。そして、新庄監督のコメントによると、今のプロ野球選手のマインドは、ファンが(勝手に)思っていた以上に、アマチュア寄りです。
以上を総合すると、プロ野球の応援も、次第にアマチュア野球の応援に寄せていく形になるのではないか。これが、本件を通じて私が感じた未来予想図です。
ファンも選手と同じ方向を見て、勝利に向けて一体感のある空気を作り上げていこう。チームが負けている時だって、選手はみんな一生懸命がんばっているのだから、ファンは後押しする声をかけてあげよう。
そんなハートフルな応援席というのも、まあ素敵な雰囲気になるのでしょう。老若男女問わず、安心して球場に足を運べるようになるのでしょう。

個人的には、好き勝手声を出せていた自由な雰囲気の応援席が名残惜しくも感じますが、球場で応援ができなくなるよりかはよっぽどマシなので、仮にそのような変化が起こったとして、諸手を上げて大歓迎とまでは言いませんが、全否定するつもりもありません。ただ、客観視すると、私の感覚はもはやマイノリティであって、許されざる時代になることを、今から覚悟しておいたほうがよいのでしょう。
逆に、こうした変化に対して肯定的な方におかれましても、引き換えにして失われつつあるものがあるということは、良し悪しは別として、心に留めていただきたい。私が今回この記事を長々と書いて、最終的に伝えたいことは、ここに行き着くのだと思いました。


ところで、本記事のサムネイルなのですが、昔々、楽天球団が創設間もなく他球団との間に歴然とした戦力差があった頃、自軍に対する応援と呼ぶには、なかなかエッジの利いた応援歌がありました。
結局この応援歌も、そんなに長続きすることなく自然消滅したのですが、その過程においては、本応援歌がチームの応援歌として本当にふさわしいのか、という議論もあったのではないかと推察します。

それを思えば、新庄監督が苦言を呈したのは応援歌ではなくてコールでしたけど、応援歌でなくてコールだからセーフという理屈は、さすがに無理があるように思います。
ということは、今回の新庄監督の提言というのは、別に今どきの選手の気質という問題でもなくて、昔からプロ野球選手の心の中で鬱屈と潜んでいたものが、時代の変化を機にようやく表面化したもの、という評価もできるのかもしれませんね。

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