2024/08/03 シームレス曲間コールごり押し問題
記事のタイトルから不穏な感じですみません。先日7/30の試合後に発表されたロッテ小川の応援歌を聴いて、私が初っ端に受けた違和感が、あまり世間一般に認知されていないように感じたので、これは言い出しっぺの私が声を上げ続けなければならないと思い、問題提起させていただきます。
ロッテ小川の新応援歌に対する個人的評価
今シーズンはセカンドを中心に出場機会が多く、後半戦開始後間もないこのタイミングで新応援歌が発表されたロッテ小川龍成。どんな応援歌なのかは、YouTubeでも実録動画が数多く投稿されている状況ですので、各自お聴きいただければと思うのですが、総じて言えば、ロッテらしさが光る応援歌だと思っていて、全否定する気はありません。
秀逸な選曲センス
まず、よい点から挙げると、各所でも話題になっているこの応援歌の原曲。ロッテと言えば、幅広いジャンルから応援歌のメロディを拾ってくるスタイルがお家芸となっていますが、今回もその神髄が表れています。
原曲は、茨城県のご当地キャラクターであるねば~る君とうめねばちゃんが歌う『ぼくはなっとう』。小川の出身は群馬県であり、北関東のパワーバランス的にこの選曲が新たな紛争の火種とならないか、若干気がかりではあります。
その一方で、今年の小川が急成長したポイントとして、淡白に凡退する打席が減り、相手投手の球数を稼ぐ粘り強いバッティングが見られるようになっています。そんな小川のプレースタイルに着目したと考えれば、これはもう手放しで、絶妙な選曲と評して異論はないでしょう。
乗りやすいメロディ
また、原曲の緩い感じからは、野球の応援に採用しようだなんて発想、なかなか生まれてこなさそうなものですが、実際に球場で演奏されている感じを聴いてみると、アップテンポでもしっかり乗れる曲調となっています。
音楽的に王道のカノン進行を用いたメロディだからだとか、その辺の詳しい知識を持ち合わせていない私に技術的な解説はできませんが、耳に馴染んで覚えやすいメロディなのは、ファンから愛される応援歌には欠かせない要素です。
ゲリラ発表も醍醐味
個人的にもう一つ評価したいのは、新応援歌の発表タイミング。小川は前半戦から準レギュラー級の活躍を続けており、ファン視点では、個人応援歌が待ち望まれていた選手でしたが、7/30のこの試合、途中出場ながら勝敗を決するサヨナラセーフティバントを決めてみせ、ヒーローにも選ばれたその流れで急遽新応援歌発表。
最近、新応援歌の発表予告で物議を醸した事例が散見されました。個人的には、応援歌の発表なんてあまり勿体つけてもかえってハードル上げるだけだと思っていて、応援団の好きなタイミングで予告なしに発表してくれて全然構わないと思っているので、このように、リアルタイムでの活躍からの流れで応援歌を発表するのは、なおさら痛快に感じました。
なのに曲間コールで台無し
ここまでよいところを取り上げてきましたが、本題はここから。私が最初に聴いた時、よい雰囲気の応援歌だなあと思っていたのに、メロディが終わって曲間コールに移るタイミング、その一瞬で一気に失望してしまいました。
小川の応援歌の構成としては、原曲のサビ部分に若干変化を付けた16小節のメロディから、曲間コールは小川ヒット4回。ロッテの個人応援歌ではおなじみともいえる○○ヒット系の応援歌です。
こうやって文字に起こすだけでは一見違和感なく見えるかもしれませんが、私がここで問題視したいのは、小節数が偶数であるにもかかわらず、曲間コールへとシームレスに移行している点にあります。このせいで、リズム感が居心地悪くて仕方ないのです。
シームレス曲間コールは応援歌のリズム感を保つために用いるべき
曲間コールへのシームレスな移行とは何ぞや、と思われる方もいるでしょう。シームレス曲間コールという語句自体、私が応援歌を説明する上での造語みたいなものです。以下の記事にて詳説しております。
要するに、従来のロッテにおける○○ヒット系の応援歌というのは、角中しかり藤原しかり、応援歌の小節数は奇数で、そこからシームレスに曲間コールへと移ることで、応援歌における安定したリズム感である4拍子×2小節の構成を守っていました。
ところが、昨シーズン途中に発表されたロッテ平沢2作目の応援歌から、にわかに風向きが変わり出し、この応援歌は16小節であるにもかかわらず、シームレス曲間コールが取り入れられるようになったのです。
小節数が偶数なのであれば、荻野貴司しかり曲間コール撤廃前の藤岡裕大しかり、別にシームレスに曲間コールへと移行しなくともよいのです。その方が、人間の身体に自然と身についているリズム感から言っても、道理だと考えます。
既成概念にとらわれず新しい応援歌のスタイルを模索するのも、尊重されるべき試みですし、そうした試行錯誤の末に、現在のロッテのような独特な応援スタイルが生まれたのですから、チャレンジを否定する気はないのですが、個人的には、ロッテ平沢2作目を聴いて、この曲間コールはないなと思ったのがぶっちゃけた感想でした。なので、そんな真意を長ったらしい文章の中に隠しつつ、先の記事を書き上げました。
ですが、所詮は私もさしたる影響力を持たない一ファンに過ぎません。私が書く記事も、大して人目に触れているとは言えないでしょう。結果として、平沢2作目に追随する構成の応援歌がまた一つ作られてしまいました。
しつこく問題提起し続ける裏にある思い
本来ならば、応援団でも何でもない人間が、せっかく球場を盛り上げるべく応援団が作ってくださった応援歌にかみつくのは、無礼千万にあたることは百も承知です。
もしかしたら慣れの問題で、この小川の応援歌も何回も何回も聴いていれば、偶数小節数のシームレス曲間コールにも違和感を持たなくなる日がやってくるのかもしれません。
それでも、これまで数多くの応援歌を聴いてきた人間として、ここは受け入れ難いラインであると同時に、別に応援歌を一から作り直せと言いたいのではなく、ほんのちょっと手を加えていただけるだけで解決できる問題だとも思うのです。
だからこそ、あえて自分の意見を高々とぶつけることで、何かが変わってくれないだろうか。そんな儚い思いを胸に、小節数を考慮せずにシームレス曲間コールが採用され続ける現状を「シームレス曲間コールごり押し問題」と名付け、私の中にくすぶる疑問を呈している次第です。
読者の皆様におかれましては、さぞやお見苦しい部分もあったかと思いますが、御理解のほど、よろしくお願いいたします。
というわけで、「ラララ行こうぜ」の歌い方を是正すべく、レクチャーに熱を入れられるのもよいですけど、私から言わせれば、それ以前に手を加えるべきところがあるだろうというお話です。
そもそも、歌い方問題に関しても、最初から解釈に揺らぎが出るような歌詞を採用しなければよかったのにとか、原曲を改変してアウフタクトの音符数を増やしているのが混乱の原因ではとか、思うところはないわけでもないですが、その辺は応援団の指揮に従って一体感のある応援にできればまあなんでもよいです。
応援団がやりたい応援の姿があるのは否定しませんけど、一方で、大多数のファンが惑いなく声を出せる応援を実現するためには、応援団側から押し付けるだけというのも違うと思います。
この辺のバランス感覚は本当に難しくて、一般のファンの言いなりになればよいとも全く思わないのですけれども、よりよい応援を築き上げるという共通の目的を達するべく、柔軟な対応をお願いしたいところ。本件「シームレス曲間コールごり押し問題」についても、一つその俎上に載せて考えていただければ幸いです。
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