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TWICE

 駅までの道中、橋を渡ります。下には川が流れていて、欄干から見下ろすと、車が転覆していました。シルバーの車体、後部を水面から突き出すようなかたちで。周囲には人だかり、カメラを向けるスマートフォン、赤い回転灯が方々を照らし、これから救助活動が行われるようでした。運転席は水中に隠れ、人の存在は確認できませんが、救急車が数台停まっているので、いまもなお誰かが息を止めているのかもしれません。後部座席には誰もいないようです。空はよく晴れていて、中空でホバリングするヘリコプターが、逆光で膨らんで見えました。
 このとき僕はTWICEの曲を聴いていました。このとき、に限らず、最近はもっぱらTWICEです。メロディが好きで、明るい気持ちになれるからです。メンバーは七人か八人で、もしかしたら十人くらいいるのかもしれませんが、顔も名前もわからず、抜きん出て整った容姿のツウィという人だけは、把握しています。
 だから川を見下ろしながらも、明るい気持ちだったとは思いますが、水中に人がいるとなればそうも言っていられず、と言っても僕に出来ることはなく、隊員によって粛々と救助活動が行われているようだったので、その場を去ろうと考えました。見物人が多く、橋を渡り切るのに時間がかかりました。顔、顔、顔、という感じです。それぞれに体があるのに、顔だけが浮かんでいて、もちろん身長差があるので位置は違うのですが、顔、顔、顔。
 
 カフェに入って仕事をします。取材でとってきた音源を、文字に起こすのです。三十分であればだいたい五千字、一時間であれば一万字ほど、はじめのころは一回一回音声を止めて行っていましたが、この仕事をつづけているうちに、聞きながら書く、三十分なら三十分で終わるようになってきました。このタイピングスキルはいろいろ役に立つのですが、弊害もありまして。たとえばノートになにかを書こうとする際、書く速度と考える速度の釣り合いが取れない、思考が先に進んでしまい文字が追いつかない、ということが起こるようになり、手書きという行為がもっぱら駄目になってしまいました。
 文字起こしを終え、一息ついたところでTWICEを聴き、そうすると水面に浮かぶシルバーの車体が浮かんできました。Googleに「川 車 転覆」と打ち、地名を加えると、早速出てきました。すでに記事になっているようです。どうやら救助活動はほとんど終えているようで、七十代の女性がハンドル操作を誤り、フェンスを突き破って落ちてしまったらしく、その女性は無事に救出されたと書かれていました。僕は仕事に戻りました。
 
 二、三回カフェを移り、一区切りついたころには外は暗くなっていました。TWICEを聴きながら、駅のデッキを歩きます。この時間になると、どこからか椋鳥の群れがやってきて、鳴き声を重ねて辺りを賑わせます。そもそも勝手に椋鳥と思い込んでいるだけで、まったく違う可能性もあるのですが、黒くて小さい、駅に群れる、と言ったら椋鳥ではないですか? 方々の街路樹に留まっているので、歩くたび耳が痛く、TWICEの音量を上げます。それはそれでうるさいのですが、仕方がないでしょう。普段はまとまったひとつの音として聴いているグループの声ですが、音を上げることで、メンバーそれぞれの声に分かれていくような気がして、どれがツウィの声でしょうか?
 
 デッキを降り、繁華街を抜け、自宅が近づくにつれ静まってきたので音量を元に戻します。暗がりの中に、あの橋が浮かんできました。辺りに無数の人影があります。もう救助は終わり、川に車はありません。人々は川を見ているのではなく、川が蛇行しながら向かう先、マンションや団地の窓明かりに挟まれた、小さな夜空を見ているようでした。少しして、風船が割れるような重たい音が響きます。赤い光が円をつくり、その真ん中で黄色い光が咲く。花火でした。おお、と歓声が響き、みなスマートフォンを向けます。どうやら、川が合流する先の海辺、その地区では伝統の冬花火が開かれているようでした。僕もスマートフォンを向けます。カメラに写るそれは小さく、色の付いた埃のようで、撮るに値しないと思いましたが、記憶にとどめてもすぐに消えてしまうと考え、一応収めました。家で見返すと、思ったより良い写真になっていました。超常現象でしょうか?

 花火は数百発の小規模なもので、音が止むなり、人々は散り散りに帰っていきました。静まり返った川に車はなく、しかしTWICEを聴くと、それはいまもですが、ぷかりと浮かぶシルバーの車体が目に浮かんできます。


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