エゴイスト

社会的に成功していても14歳の時に母を亡くしたことや、ゲイであることなどが彼に生きづらさを感じさせていた。友人の紹介によってある男性と知り合い、恋人関係になるが突然拒絶される。主人公は彼とより深い関係になり、彼とその母親とも深い関係になっていく。


この映画の冒頭を見たとき、母親との離別によって成長するっていう話なんかなって思ったんですね。
でも中盤以降はまったく予想とは反対に見える展開になっていく。
むしろ母親と息子のより濃厚な関係性に展開していく。

14の時に母親が死んで、母親が死んだ理由みたいなものが自分のせいなんじゃないかとか、自分がゲイのせいなんじゃないかとか、多分、そういう風に感じてて、それに対して許されたいとか母親とこういう関係でありたかったっていう理想を最後満たされたっていう結末だと思うんですけど。

だから葬式のとき自ら「ごめんなさい」っていうふうに謝る。
それはなんかやっぱ許されたいっていう気持ちだと思うんですよね。
あのとき、自分から「ゲイです」っていうふうに言うのかなと思ったら
「母親」の方から「ゲイでいいじゃん」みたいに言われる。
その後父親とのシーンになっても、「家族のいい話」をしてゲイの話はしない。
つまり、そういう分かりやすい成長の話ではないってことだと思うんです。

「母親」の方からも
「ごめんなさい」
「謝らないでください」
「お互い謝らないようにしよう」
みたいな会話があって、つまりお互い「甘え」ているっていう状況なんじゃないかと思うわけです。
「ごめんなさい」って言葉って「許しを求めて甘えている」っていうニュアンスが強いですよね。
「ごめんなさい」って会話というか、妥協点みたいなものを探す作業を分断して拒絶する言葉でもあると思うんです。
「憎しみ」を「許しを求めて甘えること」「与えることで許されること」に置き換えて、「愛」みたいなものととらえているんじゃないかと、そういうゆがみを描いていて、
つまりだからこそ
「エゴイスト」なのかなと。

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