わたしのルーツ-久留米絣編①-
ここ数日の自分の気持ち的ボトルネックだったピボットくんとの蜜月期間がようやく終わり、少しすっきりと晴れた心もちになれたtomocoです。ちょっと、久留米絣との出逢いをおさらいしていたのでこちらに記します。
久留米市で生まれ、保育園・小学校・中学校と、全て徒歩5~10分圏内。中学卒業まで、久留米が 世界の全てだった。高校進学のため長崎へ。それから大学は東京へ。 世界の全てだった久留米への帰省は、夏休みや年末年始などの年に数回になった。たまにしか帰らないからこそ、久留米の街がどんどんと閑散としていくことを肌で感じた。
久留米が世界の全てだったとき、『一番街』は最もわくわくする場所で、友達と買い物したり、映画観たり、カラオケ行ったり。きらきらした思い出がたくさん詰まっている場所が、少しずつシャッター街になっていった。その姿を見るたびに、胸の奥がずーんと重くなり、その中でなんとなく「そのうち自分もなんとかせんといかん」って危機感のよ うな正義感のような想いが少しずつ募っていったように思う。
とは言うものの、イニシャルキャリアはメガバンク(東京)、その後も海外で金融の仕事を続けた。
ただ社会人として余裕が出てきたころから、たまの久留米帰省時は、積極
的に地元の人とネットワーキングするようになった。いろいろネットで情報を得られるようにもなってきていたので、日ごろから久留米関連で面白い記事やニュースをチ ェックし、帰省前にはアポ取りなんかして。 その中で出逢った一人が、いまとてもお世話になっている久留米絣といえばこの方!というねえさんだった。誰かの紹介というわけでなく、ネットでねえさんを知って直接「初めまして。会いたいです!」のメッセージを送った(もちろん
実際に送ったメッセージはもっとちゃんとしています笑)。久留米で生まれ育っているのでもちろん久留米絣の存在は知っていたが、ねえさんを通して久留米絣に改めてきちんと出逢ったと思う。
それから私が久留米絣大好き!となるまでは割と早かった。八女で活動していた幼馴染に教えてもらったうなぎの寝床に行った際に、久留米絣のスカ
ートを購入。肌触りが良く取り扱いが簡単なこともあり、それから割と毎日ガシャガシ ャ着ていたらすっかり愛着が湧き、気がついたらお気に入りになっていた。
お世話になっている織元さんがサイトのリニューアルに際し、久留米絣が大好きな周りのメンバーに「久留米絣と私」という観点からのコメントちょうだいよ!ということで、今回振り返ってみたら、なんか、うん、良き内省となりました!次回に続く。
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