高校に行くつもりがなかった僕を救ってくれたのは、担任の先生でした。
多かれ少なかれ、誰しもが「黒歴史」と言われるような、鬱々とした日々を送っていた過去を持っている。
ご多分に漏れず、僕自身にも「黒歴史」と呼ぶべき時代がありました。
以前、その片鱗をnoteにも書きました。
いわゆる「不登校」というほど深刻なものでもなく、『朝起きて眠かったら学校に行かずに寝る。気が向いたら登校する。』くらいのライトな不登校でしたが、ものすごく鬱々とした感情を抱きながら日々を過ごしていたことは間違いありません。
もう、すべてがどうでも良くなった。
そもそも、なんでこんな「暗黒時代」を過ごすことになったのか。
その原因は僕の家庭環境にありました。
僕の両親は、僕が小6の頃に父親のDVが原因で別居を開始し、中1の頃に離婚が成立しました。
母親は、僕を生んで以来12年以上もの間専業主婦だったため、子どもたちを養う上で必要なお金を稼げるスキルもキャリアも全くありません。
30歳過ぎた専業主婦でも雇ってもらえる職場なんて当時はほとんどなく、とある生命保険会社の営業になりました。いわゆる「生保レディ」というやつです。
もちろん、コネも実績もスキルもない母は、一部の親族を除いてまっっったく保険が売れず、フルコミッション制のため、給料も雀の涙。
日々の生活に必要なお金は、キャッシングで借り入れることでなんとかカバーするものの、あっという間に借金が300万円を超えたタイミングで、父親からのDVで心身ともにボロボロになっていたこともあり、ついに限界に達します。
そう、母は重度のうつ病を患ってしまい、もはや「戦闘不能」に陥ることに。
その後、心ある方の支援によってわがやは生活保護を受けることにより一命を取り留めるわけですが、「健康で文化的な最低限度の生活」は保障されているものの、当時の学校の友人に比べて、「なんで自分だけがこんなに不幸なのだろう?」と思うようになってしまっていました。
自宅に帰れば、病に臥した母と、まだ幼い二人の妹がいるだけで、僕が不安や悩みを相談できるような相手はどこにもおらず、13歳にして「一家の大黒柱」であるような感覚だったのです。
そんな中、逃げるようにサッカーの練習に打ち込んでいたのですが、中1の冬のある日に、膝に怪我を負ってしまい、しばらくの間サッカーができない状態になってしまいました。
その瞬間、頭の中で「プツン」と糸が切れる音がしました。唯一の逃げ場であるサッカーを失った僕は、「生きる意味」をも見失ってしまい、「学校に行く意味」がわからなくなってしまったのです。
「国が自分に何をしてくれるかではなく、自分が国に何をできるかを問いたまえ。」
そんな鬱々とした日々を過ごし、ゲーセンとインターネットに溺れる毎日を過ごしていたのですが、「中学を卒業した後」のことも特には考えないまま、中3の冬に突入します。
そんな12月のとある日、気が向いて学校に行ったときに、中1の頃から3年連続で担任を務めてくれたF先生が、放課後に僕のことを呼び出してこんなことを聞きました。
「創一朗、お前は中学を卒業したらどうするつもりなんだ?」
この問いに対して僕は「何も考えていないです」という気のない返事をすることしかできませんでしたが、こう彼は続けます。
「お前は、俺が公民の授業で教えた、ケネディ大統領の就任演説の言葉を覚えているか?今のお前なら、その本当の意味がわかるはずだ。」
その瞬間、僕の脳天に稲妻が走りました。
ケネディ大統領の就任演説とは、以下の内容で知られている文言です。
「あなたの国があなたのため に何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」
それまでの僕は、自分のことを「なんて不幸なのだろう」と思っていたし、あらゆることを「家庭のせい」にしていたし、恵まれた家庭に生まれた友人を羨んでいました。
ところが、F先生の言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中ではこんな言葉が再生されたのです。
「あなたの親があなたのため に何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの親のために何ができるのかを問うてほしい」
それまでは、僕はある種「生まれた環境」を呪っていたけれど、この瞬間に「こんなにボロボロになるまで、僕たちを産み育ててくれた親に対する感謝」の念が、ふつふつと湧いてきたのです。
その瞬間、一つのことを決めたのです。
高校に行こう、と。
高校に行って、しっかり勉強して大学にも行って、親に対して恩返しできるような息子になろう、と。
その日から僕は狂ったように勉強をはじめました。一般入試までわずか2ヶ月足らずの短期間でしたが、猛烈に勉強をして、結果的にとある都立高校に合格することができ、高校で今の妻と出会い、今につながっています。
その時は、まさか自分が19歳で学生結婚することは思いもしませんでしたが。笑
あの時、F先生が僕に対して言葉をかけてくれていなかったら、間違いなく今の自分は存在していません。F先生、たすけてくれてありがとう。
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