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「映画 ガリレオ 容疑者Xの献身」の筆者の主題は、「なあ湯川!あの事は忘れてくれないかな?」

1.【筆者のコメント】
フジTV土曜劇場で放送を見て感じた事。
作家として一番好きな東野圭吾氏原作の中でも、男が生きにくい時代の一端を垣間見れる最高傑作の一作。
人間とは?人生とは?男の生きる意味とは?を考えさせられたのは、筆者だけなのか?

刑事警察機構と法曹界は、究極被害者の救済を目的とはしていない。その機構や組織そのものの持続性が目的であるかのようにしか思えない処が、この映画を観ながら虚無感に襲われた。


■映画『ガリレオ』の映画2作がフジTVで2週に渡って放送されます。

2024年3月23日(土)に『容疑者Xの献身』(第1弾:2008年10月4日公開)
2024年3月30日(土)に『沈黙のパレード』(第3弾2022年9月16日公開)

※第2弾映画『真夏の方程式』が今回放送されないのは何か理由が有るのでしょうか?
人気ドラマ『ガリレオ』シリーズの劇場版第2弾で、2013年に公開された映画『真夏の方程式』は過去2回放送された。
①2014年6月21日 21:00 - 23:35 フジテレビ 土曜プレミアム(25分拡大)、地上波初
②2016年3月26日 21:00 - 23:40 フジテレビ 土曜プレミアム(30分拡大)

ガリレオ

東野圭吾の連作推理小説ガリレオシリーズを原作としてフジテレビが製作した日本の映像化作品シリーズ。主演は福山雅治。

フジテレビ系「月9」枠で、
第1作(第1シーズン)が2007年10月15日から12月17日まで、
第2作(第2シーズン)が2013年4月15日から6月24日まで、
各々毎週月曜日21時 - 21時54分に放送された。

1話完結のスペシャルドラマとして、2008年10月4日に連続ドラマ第1作の前日譚にあたる『ガリレオΦ』が、2013年6月22日に連続ドラマ第2作の前日譚にあたるドラマオリジナルのスピンオフ作品『ガリレオXX 』が放送された。また、2022年9月17日に後述の映画第3弾の4年前の事件を描く『ガリレオ 禁断の魔術』が放送された。

テレビドラマの劇場版として、
映画第1弾『容疑者Xの献身』が2008年10月4日に、
映画第2弾『真夏の方程式』が2013年6月29日に、
映画第3弾『沈黙のパレード』が2022年9月16日にそれぞれ公開された。


■筆者が最初に東野圭吾を認知したのは、

フジテレビ系「月9」 第1作(第1シーズン)2007年10月15日~12月17日
でした。
TVには珍しい、物理学的な論理的証明以外に興味がないという「帝都大学理工学部物理学科准教授・湯川学(福山雅治)」が事件を解決するという設定が斬新であり、好きだった。
又、女刑事・内海薫(柴咲コウ)が、人間の下衆な気持ちつまり犯罪動機からの捜査にしか目が向かない事を一笑してしまうやり取りがお気に入りだった。
女刑事・内海薫の常識が通用しない湯川学を変人と特定している愚かさに笑ってしまった。そんな奴に事件解決を任せていいのか?それとも日本中の刑事のレベルってこんなものか?刑事の感で犯人を特定しまう事で何件の冤罪が発生しているか?と思うとうすら寒い。

ほぼ同時期(2008年)の「流星の絆 TBS」では、親の仇や冷たい世間への復讐というテーマも書けるんだと、作家東野圭吾に大いに興味を持った。

原作である小説を読んでみると、情景描写が主力な文章であり、映画と同じ様な乾いた感じが好きだ。

何でもかんでも人間の気持ちとか、警察側の大義とか、そんなものはありふれ過ぎていて陳腐なコンテンツが主力のコンテンツ業界に、東野圭吾原作のドラマは画期的だった。


■『容疑者Xの献身』を見て心がざわつく事

★湯川学は、本当に余計な事してしまった!とイラっと来た。
それで湯川を嫌いになった。

石神哲哉(堤真一)と湯川学(福山雅治)が一緒に雪山に行った時、石神が「この問題を解いても誰も幸せにならない」「なあ湯川!あの事は忘れてくれないかな?」と湯川に懇願した。
湯川はその懇願を聞き入れずに、昔の男を殺した真犯人花岡靖子(松雪泰子)に自首を進めてしまった。何故なのか?

社会正義 < 友情

じゃないのか?

湯川が己の優秀さを石神に認めさせたくて、わざわざ警察の取調室を使って石神にトリックを解明し自説を披露しているシーンが一番腹が立った。
ライバル天才石神にマウント取って、してやったりと思いたいのか?
いつもは湯川はしゃしゃり出てこないだろう?

「残念だ❗️君の才能をこんな事に使うなんて」
と湯川君に言わせているが、湯川は、
「君の答えは美しく無い」
と石神に行ったつもりなのか?

石神は二重の意味で絶望を感じただろうし、あの(※1)時自殺した方が良かったと思っただろう。湯川は残酷だな。

(※1):石上がアパートの一室で首を吊ろうとした時に、花岡靖子(松雪泰子)とその娘が隣の部屋に引っ越しの挨拶に尋ねて来て、その一瞬で石神は花岡靖子に恋をして自殺を取りやめた、というシーンがあった。


★石神は、花岡康子に生かされていたんですね。

愛とは、自分を犠牲にすることを厭わなくて、相手への献身が嬉しい事だ。
その愛の対象として、男は『女と子供』だけれど、女は『自分の子供』だけ。そこが大きく違う。

「遺伝子上の男のミッションのスイッチ」を入れて女子供を守るという「ヒロイズム行為」を命を懸けて守って来た事を否定されたら、男の存在意義は無くなる。

100万年の人類の歴史上、男のヒロイズムが無かったら人類は早期に滅亡していただろう。
今は必要ないと言われても、遺伝子上のメカニズムはすぐになくならない。

石神の気持ちは『ヒロイズムスイッチ』が入って、母娘を救った事の達成感だったのだろう。
男に組み込まれた遺伝子のなせる技の達成感を無駄にするな。
特攻隊員の気持ちを無駄にするな。

福山雅治が戦時中の「特攻隊員」を否定している映画の主題歌を歌っているからなのか?
と役の湯川と福山雅治を混同するだけでなく、時系列も無視する様なツッコミを入れてしまいたくなる。

『容疑者Xの献身』は、ひっそりと真っ当に生きて行こうとする母娘を救おうとする石神哲哉(堤真一)のヒロイズムを台無しにする事なのか。

暴力団に追われている昔のクズ男に金をねだられ、しかも娘を暴行されてつい殺してしまったのだとしたら、ある意味正当防衛であると思う。
昔の西部劇ならそれが正義だった。


★まあ、「愚民相手のTVドラマの主役は法的正義に従わなければならない」というモラルの限界として犯罪摘発を湯川にさせるシナリオになったのだろうと思うけれど。

現実社会は、暴力団の身代わり自首犯人は処罰して、それを命じた組幹部や依頼した影の実力者は処罰されない。

湯川が、石神の目論見を見抜いてわざわざそれを破綻させる必要があったのだろうか?
石神が花岡靖子を救った事で得られた「ミッション達成感」を湯川が粉々にした事で、今後の石神の牢獄は生き地獄になって本当に気の毒だと思った。

日本国の法の番人たちが捕まえられるのは、刀狩された力の弱い庶民だけなんだよね。そのダブスタが庶民の政治不信の一要因となっている。

■日本国の「法治国家の正義」は、個人のヒロイズムを否定している。

イスラム圏では、個人の復讐を一部認めているが、そちらの方が遺伝子に沿った法律だと思う。家族を殺されたら、家長はそいつを死をもって復讐する事を許されている。
他人事の警察より、憎しみが強い家族の方が怖いだろうから、ある意味抑止力になる。


個人のヒロイズムの存在を否定していれば、草食化と言われる現状になってしまう。
男は、官僚や女の都合の良い生き方に強制させれられているが、そのいびつさが今後どうなるか見モノではある。

「誰の為の法律や警察機構なのか」と言われれば、日本の警察機構は「国家権力の正当性を主張する官僚の正義」としか思えない。

司法機構は、殺人犯の人権を主張して精神鑑定を主張して無罪にしようとする左翼勢力のなすがままに成ってやしないか?
犯罪集団は極悪人としてこの世から抹消して欲しいが、未だに何万人も存在している。

石神哲哉(堤真一)は、国家では救えない隣人の母子を救おうとしていた。
国家警察は事件化すれば、例えば花岡靖子(松雪泰子)とその娘が殺されれば動き出す。しかし、民事不介入といってろくでなしの花岡靖子の元夫は捕まえない。

個人としての正義が国家としての正義に迫害されている気がした。

法治国家だからと言って、人生にとってねじれた正義を断罪出来る人間なんかいないのにな。



2.史上最高のTVドラマ劇場版は? 大成功の日本映画(4)ミステリーの大傑作! 日本中が涙した究極の愛と罪

映画チャンネル 2024.3.22

【注目ポイント】
本作は、直木賞作家・東野圭吾の人気ミステリー小説「ガリレオ」シリーズが原作のドラマを映画化したもの。テレビドラマ版、映画版を通じ、天才物理学者のガリレオこと湯川学(福山雅治)と新人刑事・内海薫(柴咲コウ)のバディが、残忍な殺人事件の真相に迫る。

ミステリー小説の第一人者・東野が仕掛けるトリックと同時に、毎回、豪華なゲスト出演者も話題になり、ドラマ版の視聴率が20%を下回ることがほぼなかっただけあり、劇場版も同様に、興行収入約49億円と大ヒットを記録した。

本作の見どころの一つは、湯川の元に持ち込まれる殺人事件の残忍さだが、劇場版では、ドラマ版では表現し切れなかったえげつない部分も余すところなく描写されている。

また、基本的なストーリーは原作に沿っているが、独自要素が組み込まれている。ドラマ版のキャラクターではなく、湯川と同期の数学者・石神哲哉(堤真一)と、DV癖のある元夫を娘とともに殺めてしまう花岡靖子(松雪泰子)がストーリーの軸となっている。

愛する花岡を守るために罪をかぶり、しかも無関係の人間まで殺害してしまう石神。トリックを超えた究極の愛を描いており、単なるミステリーには見られない深みあるストーリーとなっている。



3.2008年の公開時も大ヒットだったが…なぜ福山雅治vs.堤真一の『容疑者Xの献身』は「2024年のほうが“胸に突き刺さる”」のか

週刊文春CINEMA オンライン オリジナル   田幸 和歌子
2024/03/23


映画版随一の人気作『容疑者Xの献身』

 一方、ドラマ版から一変して、重厚なヒューマンドラマを描くのが映画版で、なかでも興行収入49.2億円というヒットを記録し、最大の人気作となっているのが『容疑者Xの献身』だ。その内容を簡単に紹介しよう。

最大の魅力は「数学の天才・石神」を演じる堤真一

『容疑者Xの献身』は、おなじみ『ガリレオ』の世界観を土台にしつつも、主軸は石神を中心とした濃厚なヒューマンドラマであるため、テレビシリーズを観たことのない人も単独作品として楽しめる。
そして、最大の魅力は、なんといっても本作の主役とも言うべき数学の天才・石神を演じる堤真一の芝居だ。

 
冒頭では「事件」が起こった悲劇的なシーンが描かれ、と同時に、隣の石神の部屋が映し出される。隣の大きな物音と悲鳴を気にする石神は、心配そうな様子で隣人・靖子を訪ね、ドア越しに声をかけると、ゴキブリだと靖子は引きつった笑いで言う。しかし、そこから、物語が動き出す。

今観るとより一層残酷さが際立つ二人の対比

 本作のテーマは紛れもなく「愛」で、それは湯川の物理学者としての論理的アプローチでも解き明かすことのできないものだ。

 しかし、2008年当時よりも、今観るとより一層残酷さが際立つのは、かつての友人同士である湯川と石神の対比である。

「湯川、お前はいつまでも若々しいな。羨ましいよ」
別れ際に石神に言われ、少し驚いた顔をする湯川。当時の福山ときたら、実際に小リスのようにキュルキュルな可憐さで、その傍らに立つ石神はというと、背中が少し丸まり、白髪まじりで枯れ木のような様子で、実際、「大学時代の友人」にはあまり見えない。

 その見た目の違いに、物理、数学と異なるものの、共に「理系分野の天才」だった二人が、大学を出た後に片や大学の准教授、片や死んだ目で日々を過ごす高校教師と、対照的な人生を歩んできた様子が窺える。生活や環境が人間を作るという残酷なリアルは、2008年当時よりも世の中の格差が格段に大きくなっている今、強く胸に突き刺さる。

 また、容疑者の「献身」の優しさや愛情と、ある種の傲慢さや非情さが共存しているという人間の矛盾にも、リアリティと共に後味の悪さを少々感じる。圧巻なのは、最後の石神の慟哭――そこに込められた思いを何度も反芻しては考えてしまう『容疑者Xの献身』。それは、ポップで楽しいドラマシリーズとは一線を画した、苦みのある濃密な人間ドラマなのだった。

作品としてわざと貧富の格差を設定したのは明らかだけれど、そこにこの物語の主題が有るのなら、凄く陳腐な物語になっている。

文春も含めて、メディアの底の浅さを露呈するから、辞めた方が良いと思うよ。




4.『ガリレオ』『新参者』『マスカレード・ホテル』 東野圭吾作品の映像化、なぜ人気?

3/23(土)

一連の映像作品は、物理学者・湯川学を探偵役にした東野圭吾の『探偵ガリレオ』から始まる小説シリーズが原作である。東野作品をめぐっては今年、『ある閉ざされた雪の山荘で』が映画化され、1月に公開された。また、『ゲームの名は誘拐』がWOWOWでドラマ化され6月より放送・配信されるが、こちらは2003年の『g@me.』と改題しての映画化に次ぐ映像化だ。

 近年、木村拓哉主演で『マスカレード・ホテル』『マスカレード・ナイト』が話題になったことも記憶に新しいし、東野作品は頻繁に映像化されている印象がある。  

さかのぼってみると実際、2003年に『g@me.』、2005年に『レイクサイドマーダーケース』と『変身』が公開されて以降は、ほぼ毎年に近いペースで映画化されてきたのだ。もちろん、テレビでのドラマ化も多い。  

東野作品は、映像化に関してなぜここまで人気なのか。『ガリレオ』シリーズでは、天才肌の物理学者を福山雅治、『新参者』など加賀恭一郎シリーズでは東京の日本橋で捜査する刑事を阿部寛という人気俳優が演じたことが大きかっただろう。キャラクターの魅力である。  

下町を舞台にした加賀恭一郎シリーズが人情を物語のポイントにしていたのに対し、『ガリレオ』シリーズは短編を原作としたテレビドラマでは科学的トリックに面白さがあった。それに対し、第134回直木賞を受賞した劇場版の原作『容疑者Xの献身』は、常軌を逸した純愛がテーマだった。感情を揺さぶる物語になっていたのだ。  

以前からミステリファンに知られていた東野圭吾の名が一般層にまで知られるようになったのは、両シリーズのヒット以降だろうが、ほかにも感情に強く働きかける作品は少なくない。常軌を逸した純愛という意味では、ドラマ&映画化された『白夜行』もあげられるし、交通事故で死んだ妻の心が娘の体に宿って夫が戸惑う『秘密』もコメディになりそうで切なさにむかうストーリーだった。  

一方、『ゲームの名は誘拐』は、狂言誘拐を題材にして駆け引きへの興味で引っ張る作品だ。また、『ある閉ざされた雪の山荘で』は、外部に逃げられない場所で連続殺人が起きるミステリーのお約束を、劇団の練習という設定で書いていた。いずれもゲーム性のある展開が魅力である。仮面をかぶった人たちを捜査する『マスカレード』シリーズもそうだろう。東野は、その種のゲーム性をキャッチ―な形に落としこむのが上手い。

ある閉ざされた雪の山荘で』など過去作の映像化も続く東野圭吾

 ある作家がブランド化する時、特定のシリーズや、特定のパターンに人気が集中する例は多いが、映像化された東野の作品群をみると、特定の傾向に収まっていない。それだけ様々なタイプの小説を書いてきたわけだ。


 先に、東野の名が一般的に広く知られるようになったのは、『ガリレオ』シリーズと加賀恭一郎シリーズのヒット以降だろうと記したが、それより前にミステリファンの間で認知されたのは、『名探偵の掟』(1996年)が、『このミステリーがすごい!』のランキングで3位になってからであり、1998年刊行の『秘密』が転機だったといわれる。だが、東野自身がしばしば語ってきた通り、1985年に『放課後』で第31回江戸川乱歩賞を受賞しデビューした東野は、1990年代半ばまで、本があまり売れない状態が続いたのだった。  

しかし、今年公開された『ある閉ざされた雪の山荘で』は、その売れない時代に発表されたものである。爆薬を積んだ特殊ヘリコプターを原子力発電所の上空に飛ばしてテロリストが脅迫する『天空の蜂』(1995年)もブレイク前に書かれており、この自信作が評判にならなかったため、ペンネームを変えることまで考えたという。だが、同作は、20年後の2015年になって映画化されたのだ。  

ブランドとなった東野圭吾作品を映像化したいと考える時、定番シリーズの新作を待つだけでなく、過去の作品リストをみれば様々なタイプの魅力的な物語が、すでに書かれている。東野作品が頻繁に映像化されてきたのは、そういうことなのだろう。新作が注目されるだけでなく、旧作にもスポットが当たる。人気が人気を呼ぶ。人気作家とは、そういうものである。

終わり

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