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【宇多田ヒカル】天才に運が味方すれば大ヒットするわ!母親が藤圭子というのも重なって購買した年齢層が広がった。「Automatic」

【筆者の独り言】

宇多田ヒカルは、日本のJ-POPにR&Bを持ち込んで本格的に成功した大天才です。

天才は殆ど芸術系の血統もあります。
母親の藤圭子は日本の演歌歌手、父親の宇多田照實は音楽プロデューサー。
藤圭子の娘と言う衝撃もあって、CDアルバムが日本一売れました。もう誰も破れない記録です。

日本語も英語もネイティブで、リズムもグルーヴもR&B感溢れています。

1stアルバム『First Love』は累計売上枚数765万枚を超え(オリコン調べ)、日本国内の歴代アルバムセールス1位になっているほか、2ndアルバム『Distance』では初週売上枚数が歴代1位となる300万枚(オリコン調べ)を記録している。
2007年発表の「Flavor Of Life」は当時のデジタル・シングルのセールスにおいて世界1位を記録した。
また、『日本ゴールドディスク大賞』「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を、2000年と2003年に受賞している。

藤圭子(1951年7月5日~2013年8月22日)
1960年代末から1970年代初頭にかけ、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲(『怨歌』)を、ドスの効いたハスキーボイスと凄みのある歌いまわしで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。

宇多田照實(うただ てるざね、1948年7月21日 - )
日本の音楽プロデューサー。U3 Music(有限会社ユースリー・ミュージック)代表取締役。東京都[1]または山口県出身
ベトナム戦争に参加した経験を持つ。16歳で渡米した事もあり英語が堪能である。ドラム、ギターなど演奏出来るマルチミュージシャンである。ただしこれらの経歴はあくまで自称であり、妻であった演歌歌手の藤圭子のマネージャーとして業界入りする以前の素性は明らかではない。藤とは何度も離婚と再婚(復縁)を繰り返しており、中には離婚してから2週間後に再婚したこともあった。娘は歌手の宇多田ヒカルである。


■宇多田ヒカルが遂に明かした「Automatic」の“中腰PV”秘話

 アサジョ 2020/01/07

シンガーソングライターの宇多田ヒカルが1月3日放送の「マツコの知らない世界SP」(TBS系)にゲスト出演し、デビュー曲「Automatic」のPV撮影における舞台裏を明かしている。

11年ぶりにバラエティ番組への出演を果たしたという宇多田は、1998年にダブルミリオンを達成した衝撃のデビュー曲「Automatic」の大ヒットで一気にブレイクして名声を得たが、とりわけ同曲のPV内でソファーから立ち上がることなく中腰の姿勢のまま歌い続ける演出は印象的で、その独特な世界観やオーラも含めて宇多田の代名詞にもなっていた。

そんな異彩を放つPVについて、MCのマツコ・デラックスは「画期的な映像だった」と話し、「だって、あれ(ソファーから)立ち上がらないのよ」と感銘を受けたことを明かすと、宇多田は「諸説あるんですが、私の記憶ではセットの幅があまり無くて、カメラを引くと横幅が見切れてしまって。なので立ち上がらなくて、でも座ったままなのも…って思って、動きを出さなきゃって思ったんです」と告白。セットのサイズが原因で完全に立ち上がることができなかったと説明した。

「Automaticがリリースされた当時から宇多田の独特な“中腰”のPVについては“多分天井が低いんだろ”“腰痛めてるの?”といった嘲笑に近い声もありましたが、それほどまでに彼女の存在感や世界観が他とは一線を画すオーラがあったということでしょう。

やはりニューヨークに生まれ、アメリカの文化を若くから吸収したことが大きかったのか、そのグルーヴは日本人が真似できない唯一無二の領域にあり、宇多田ヒカルの楽曲を他の歌手がカバーしてもそのほとんどは“惨敗”してしまいます。

今回の番組出演を機に、ネットでも宇多田の功績について『JPOPを変えたのは間違いなく宇多田。彼女のデビューは衝撃的だった』『宇多田ヒカルは天才的アーティスト』『この人は本当の天才』と絶賛する声が多く、『あのPVは未だに忘れられない』というコメントもあります。

また滅多にバラエティ番組に出演してこなかったという点も、彼女への関心を助長させる要素になっていたでしょう」(テレビ誌ライター)
“中腰”のPVだけでなく、その一挙手一投足全てに注目が集まっていた宇多田。

やはり、15歳にしてダブルミリオンを売り上げたこの歌姫は、只者ではなかったということなのかもしれない。
(木村慎吾)

1998年末に15歳でCDデビューし、デビューシングル「Automatic/time will tell」は、ダブルミリオンの大ヒットを記録。

1stアルバム『First Love』は累計売上枚数765万枚を超え(オリコン調べ)、日本国内の歴代アルバムセールス1位になっているほか、2ndアルバム『Distance』では初週売上枚数が歴代1位となる300万枚(オリコン調べ)を記録している。
2007年発表の「Flavor Of Life」は当時のデジタル・シングルのセールスにおいて世界1位を記録した。
また、『日本ゴールドディスク大賞』「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を、2000年と2003年に受賞している。



■マジか!宇多田ヒカルの「Automatic」に、注釈が必要な時代が到来…(笑)

2016/06/12

「Automatic」の冒頭の歌詞
「7回目のベルで受話器を取った君 名前を言わなくても声ですぐ分かってくれる」
この部分が、若い世代にはイマイチ理解できない…とのことなのです!
「ベルって…?」「ジュワキ…を…トル…?」と、かなり困惑している模様。
ちなみに、宇多田ヒカルさんが「Automatic」でデビューしたのは、1998年12月のことです。。。なんとも身に沁みるジェネレーションギャップですね(´;ω;`)

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