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『こっち向いてよ向井くん』は歴代屈指の“ヒューマンドラマ”だ 【生田絵梨花】

女性にとっての恋愛観と言うのではなく、『結婚したくない自立した女性たち』というテーマだと思うけれどね。

男の結婚に対する思いは、100万年前から変わらない『家族を守る』ミッションを感じるのであって、それは本能に刻まれた事。
「守ろなくて良いと言われて」無駄なスイッチ入れてはいけないなら、結婚する動機が薄くなる。
一方、近頃の若い男の中には、「幸せそうでない父親」「結婚して家族の奴隷になる様に見えている人」がいるから結婚しないかも。実際ドラマの中で「洸稀(波留)」が、「子供の頃の家庭があまり幸せそうでなかったから結婚は踏み込めない」と言っている。男の子も同じ事。

それを変えろと言うなら、法的な婚姻制度を全撤廃しないとね。
家庭を作ると言う意味を刷新する位に。




『こっち向いてよ向井くん』は歴代屈指の“ヒューマンドラマ”だ 恋愛への鋭い批評にも

Real Sound 2023/9/13(水)


このところ、人間関係に疲れた現代人の間に「恋愛至上主義はもう古い」という空気がますます充ちている気がする。当然その「時代の空気」はエンターテインメントにも反映される。

【写真】クランクアップを迎え、花束を手に笑顔の赤楚衛二  

四半世紀前までドラマ界のセンターに君臨していた「王道の胸キュンラブストーリー」は鳴りを潜め、ここ数年は「一見恋愛ドラマに見えて、もっとその先の『人間』を掘り下げた奥行きのあるドラマ」が増えている。

なおかつ、そういう試みをしたドラマには名作が多い。9月13日に最終回を迎える『こっち向いてよ向井くん』(日本テレビ系)も、「恋愛ドラマのふりをしたヒューマンドラマ」の名作の中に、間違いなくカウントされるはずだ。

 Tシャツメーカーで働く会社員の向井悟(赤楚衛二)は、大学のボルダリングサークルで出会い、付き合っていた元カノ・美和子(生田絵梨花)にフラれて以来、10年間彼女がいない。美和子との恋の“消化不良”をこじらせたまま33歳になり、ふと周りを見渡せば同級生や同期は結婚して子どもを授かり、自分とは違うライフステージを歩んでいる。  

10年ぶりに何度か「彼女チャンス」が訪れるも、持ち前の「恋愛偏差値ド底辺」ぶりを発揮して、いずれの恋も実らない。
同窓会で美和子と再会し、疑似恋愛に発展するが、結局「とまり木」にされて終了。ことあるごとに自らの振る舞いを、飲み友達の洸稀(波瑠)に赤ペン先生よろしくザクザクと添削されてしまう。 「あ~もうわかんない!」 「ダサすぎる! 俺っていつからこんなダサい奴になっちゃったんだろ? もしかして昔から?」  

本作でゴールデンプライム帯のドラマ初主演となる赤楚衛二が、何をやってもズレていて冴えない“やさ男”を好演している。この作品で赤楚は、新たなコメディセンスのゾーンに入ったのではないだろうか。  
「恋愛迷子たちのラブストーリー」。これは毎週、次回予告で向井くんのナレーションが発する本作のキャッチコピーだ
しかし前述したように、この作品は「恋愛ドラマのふりをしたヒューマンドラマ」なので、「ラブストーリー」と謳いながら「恋愛」そのものが主題ではない。
社会人として脂が乗り、社内での責任も生じてきて、そろそろ自分の人生と真面目に向き合わなければ、と思いはじめた33歳の男・向井くんが、「恋愛って何?」「結婚って何?」「仕事って何?」「人生って何?」と考えに考え、あがく物語だ。  

結局、恋愛も結婚も「人間関係」なのである。多様化し、混沌とした現代社会で、どうやったら誰も傷つけることなく、自分も相手も心地よく、幸せでいられるのか、という非常に難しい命題に挑んでいる。
つまりこのドラマは「ラブストーリー」と謳いながら、「恋愛」を批評しているのだ。本作の名物ともいえる、同じシーンでの「一人称視点の切り替え」が象徴するように、人の数と同じだけ、恋愛、結婚、人間関係、価値観、考え方の違いがある。それらを並べて鑑賞し、討論しているかのようなドラマだ。  

「ラブストーリー」の「ラブ」が含意するものにもうひとつ、「人間愛」もある。「恋愛迷子たち」の「たち」が象徴するように、このドラマは、不器用で不完全で矛盾を抱えて生きる人たちの姿が瑞々しく描かれた群像劇だ。そして、どんな生き方をも肯定する、人間讃歌と言える。  

過去に素の自分を見せて失恋した経験がある洸稀は、それ以来、完璧に演出した自分しか相手に見せない「おいしいとこ取りの恋愛」しかしてこなかった。会社の同僚で、向井くんの憧れの先輩でもある環田(市原隼人)と恋愛関係に発展したが、環田から「結婚を前提に真剣に付き合いませんか」と一歩踏み込まれた途端、引いてしまった。でも心の奥底では、一緒にいて安らげる相手を求めていたりする。

向井くんの恋愛偏差値の低さにはド正論で「赤ペン」を入れる洸稀だが、こと自分の恋愛に関しては、理論武装したつもりでもどこかに「ほころび」がある。人は傷つきたくないから、武装する。その鎧が擦れて、誰かを、そして自分を傷つけてしまうこともある。


幸せの価値は「相対評価」ではなく「絶対評価」

 向井くんの妹・麻美(藤原さくら)と元気(岡山天音)は一度は結婚して、麻美の実家である向井家に同居していた。

しかし、うっすらと自分や他者をごまかして無難な妥協点を探るようなことができない直情型の麻美は、他人に色眼鏡で見られたり役割を押し付けられる「結婚」という制度そのものに疑問を持ちだす。

挙句、2人は離婚届を出し、戸籍上は「他人どうし」となったのだが、「ただ一緒にいたい」という原点に立ち返って、2人だけの、2人らしい生き方を、時間をかけて模索していくことを決めた。「人は『その人』であることを何よりも尊重されるべきだと思うんだよ」という、麻美の“ド直球”の言葉が刺さった。
 

向井くんが10年間、その幻影を引きずっていた元カノ・美和子もまた、悩みを抱えていた。10年前、向井くんから「俺がずっと守ってあげたい」と言われて、スンッと真顔になっていた美和子。「結婚こそが幸せの結論である」という世間一般の価値観にずっと疑問を抱いていたが、長年自分の中でそれを明文化できずにいた。結婚はしたくないけれど、「シェーバーの彼」や、元カレの向井くんに一時の慰めや性愛は求めてしまう。

そんなモヤモヤとした日々を送っていた美和子が、2児の母にして起業も考えている、サークル仲間の杉(野村麻純)から言われた言葉にハッとする。 「独身でも、結婚してても、母になっても、好きな仕事をしても、寂しい時は寂しい。だったら、そんなことにとらわれてないで、どうすれば楽しくなるかだけに全力を注ごうかなって。誰かに依存したりしないで、自分は自分の人生をめっちゃ楽しむ。そのために頑張ろうって」  

そして美和子も自分だけの生き方を探し求めると決意するのだった。こうして、登場人物たちが自分の足で立ち、社会規範の中での「あるべき自分」とゆっくりお別れして、自分らしい幸せを模索していく。幸せの価値は「相対評価」ではない。「絶対評価」だ。

どんな形であれ、自分が幸せだと思うことが幸せなのだから。  このドラマを観ながらずっと、『こっち向いてよ』の「こっち」とはどっちなのかとずっと考えていたが、それはつまり、「向かい合うべきところ」という意味なのではないか。人生の岐路に立った向井くんが、過去の自分の未熟さと向き合い、今の自分と向き合い、人と向き合い、真実を探す。  

最終回、向井くんが洸稀と築いた「名前はないけれど、尊い関係」に「恋人」という名前をつけてしまうのだろうか。向井くんが出す「幸せ」の結論とは、どんなものなのか、見守りたい。


【筆者のコメント】

女性が活躍する時代、結婚と言う制度ではなく、それが意味する「出産・子育て」「家事」「義母・義父・親戚付き合い」のわずらわしさが嫌なんじゃないの?
母親が愚痴ばっかり子供に聞かせてきた付けで、家庭を持つのが幸せに感じない。

自分の好きなことやる時間を大事にしたい、と言う言い訳の裏には、沢山のやりたくない事が押し寄せて来る。

ねむようこさんがインタビューで言っていたが、子供産むのが怖かったが、産んでみると何にも代えられない子供への愛情が湧いてきて幸せだと言っていた。
そこ、言わないと。


【参考まで】



終わりではありません。国家の問題です。

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