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レッズ少し隠れた名選手たち23「堀之内聖」

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。
ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。


第23回は堀之内聖選手

堀之内聖(ほりのうち・さとし)
1979年10月26日
さいたま市出身
DF・MF
2002年〜2011年
公式戦 214試合11ゴール
背番号 29-20
前所属 東京学芸大学
移籍先 横浜FC

冷静かつ熱いプレーで黄金期を支えた名DF

総評

計算できる高さ、負けない強さ、確かな読み、冷静さと激しさ。アマ時代の本職はボランチだったこともあり、ユーティリティさもあった。
闘莉王のような長身、坪井のようなスピード…のような尖った武器はなかったが、総合力では高いレベルにあり、守備的なポジションに空いた穴を確実に埋めてくれた。また、セットプレーでの得点も期待できる選手だった。


2002年。
東京学芸大から加入。加入時のポジションは守備的MFだった。
同期には平川、坪井。高卒で長谷部誠らがおり、堀之内のルーキーイヤーは公式戦の出場ゼロ。試合に絡んだ平川や、新人王に輝いた坪井からは大分出遅れてしまった。
しかし、「出場できるならDFとしてもやっていきたい」と柱谷コーチに直訴。この頃からCBとしてトレーニングを積んでいく。

2003年。
背番号を坪井がつけていた「20」に変更。以後浦和ではずっと20番をつけることになる。
シーズン開幕からベンチ入りが何回かあり、5月のガンバ大阪戦でゼリッチとかわりついに公式戦デビュー。以後も「怪我をしない、出続ける」でお馴染みの啓太、長谷部コンビのいるボランチではなく、3CBの真ん中いわゆる「リベロ」での出場を増やしていく。7月の仙台戦で初先発フル出場。
また、ナビスコ杯では予選と準決勝に出場。チーム初タイトルに貢献した。

2004年。
このオフ、後に日本を代表するCBとなる闘莉王が水戸(契約上は広島)より加入。1stステージは全く試合に絡めず、わずか1試合、途中からの6分の出場のみで、ベンチ入りすらこの1試合だった。
2ndステージ。夏に代表戦で坪井が大怪我、闘莉王はアテネ五輪のため開幕欠場。開幕戦、2節はアルパイ、内館と共に先発。闘莉王復帰後もベンチには入り続け、終盤の「守備固め」としてチームを助けた。7月にアルパイ、8月にネネが加入。

2005年。
開幕の3バックはネネ、闘莉王、アルパイ。
しかしこの3人、出場停止と怪我が多く(アルパイは途中で退団)この年3人が揃ったのは開幕戦のみで、堀之内は坪井、闘莉王、内館に続くDFとしてはチーム4位の出場時間を記録。レギュラー奪取とはならずも、「主力選手」と呼べる活躍を見せた。
また、この年は4節のガンバ戦での初ゴールを皮切りに公式戦5ゴールを記録。CK時のヘディング上手さや勝負強さを見せた。
天皇杯では5回戦から決勝まで全て先発フル出場。決勝では先制点を上げ攻撃面でもタイトルに大きく貢献した。

2006年。
前年負傷したネネ不在の影響もありゼロックスで先発フル出場。先制ゴールも決めた。
リーグ戦でも1試合を除き28節まで先発フル出場。終盤負傷で離脱してしまうも、シーズン2ゴールを決めなおかつ警告ゼロと申し分のない働きでチーム初の年間王者に大きく貢献。出場時間でもチーム5番目と、間違いなく主力として活躍した年になった。
2連覇した天皇杯では決勝ラスト2分に出場。2年連続でピッチ上でタイムアップを迎えた。

2007年。
4バックの試合が増えたことと、阿部勇樹の加入が大きく、負傷からは復帰するも開幕6試合先発出場は無し。しかし7節以降は試合に絡みリーグ戦シーズン19試合に出場。うち15試合に先発した。
ACLでは決勝のH&A2試合どちらも先発フル出場。
アジアチャンピオンに輝いた。

2008年。
開幕からレギュラーとして出場。24節までほとんどの試合で先発起用され、3バックでも4バックでも柔軟にこなした。リーグ戦28試合出場は自身最多タイだが、ゴールは久しぶりの0に終わる。
シーズン終盤阿部勇樹がDFとして起用され、堀之内はベンチ入りが多くなった。
ACLには3試合に出場。

2009年。
チームが完全に4バックを採用、細貝萌の台頭などもあり出場機会を減らしてしまう。先発は2試合のみで、15試合出場でプレー時間は283分というシーズンだった。
それでも勝ってる試合の終盤に登場する「クローザー」として信頼され、久しぶりにボランチでの起用も多かった。

2010年。
前年度に引き続きコンスタントにベンチ入りし、途中出場が中心となった。それでも7節川崎戦。2-0リードの後半柏木との交代でピッチに立つと、72分にエジミウソンのシュートをGKが弾いたところを押し込みゴール。リーグ戦では2007年以来のゴールとなった。
ラスト5試合は本来の守備的な中盤として先発。若いチームを引き締めた。

2011年。
チームは4バック。永田充がシーズンフル出場し、スピラノビッチと共にレギュラーを務めた。濱田水輝や岡本拓也の台頭もあり、堀之内は公式戦5試合にベンチ入りしたのみに終わった。
オフ、クラブが今シーズン限りで契約を更新しないことを発表。スタッフ入りを打診したことが明らかになるが、本人は現役続行を決意。横浜FCに移籍した。

その後横浜FCで22試合、山形で30試合に出場するも契約更新ならず、引退を決断した。



みなさんには推し選手がいますか?
当たり前のように「誰が好きですか?」と聞かれるのだが、僕は少し困ってしまうのだ。
福田正博も、トゥットも、坪井慶介も、柏木陽介も、原口元気も、興梠慎三も、ユンカーも、モーベルグも、もちろん他の選手も大好きなんだけど、多分それって特別な推しとは違う。浦和のカッコいい選手だから好きなんだ。

じゃあ1人選ぶと…?
そう、僕はこの堀之内聖が大好きだった。
きっかけは単純で中学校の先輩だったから。
個性的なスター選手が多くいるチームの中、黙々と努力して実力を付け、総合的な能力で勝負する。
地味な役回りかと思いきや激しいプレーや、味方を鼓舞する姿も時折見せる。そんな姿に惚れたのだと思う。

初年度全く出番がない時「堀之内はどうなの?」と知り合いの記者に聞いた。返事は「あいつはおそらくすぐフロントに入る。」とのことだった。近くで見えていても、チーム内でその程度の評価だったということだろう。
しかしその後Jリーグで200試合に出場。10を超えるゴールを決めた。
Jリーグも天皇杯もナビスコもACLも獲得した。
堀之内は「夢を叶えるには、努力をし続けること」と言う。
その言葉通り、目に見えた武器がなくても頂点に行ける。そんなことを体現してくれた選手だった。

これからはレッズを作っていく立場。
浦和を頼んだ!ホリ!

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