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レッズ少し隠れた名選手たち25「スピラノビッチ」

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。
ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。


第25回はマシュー・スピラノビッチ選手

マシュー・スピラノビッチ
1988年6月27日
オーストラリア出身
DF
2010年〜2012年
公式戦 48試合1ゴール
背番号 4
前所属 ニュルンベルク(ドイツ)
移籍先 アル・アラビ(カタール)

10代でドイツに渡ったオーストラリア代表DF

総評
抜群の高さと、細身だがパワフルなプレーがウリのCB。足元にも自信を持っていた。


2010年。ドイツのニュルンベルクからレンタルで加入。


193センチの長身、10代でブンデスで活躍した経歴、まだ21歳、現役代表、甘いマスク…と「期待するなという方が無理」というスペックを持って浦和にやってきた。背番号は名古屋へ移籍した闘莉王が着けていた「4」。

リーグ戦 13試合(先発12)1ゴール
2年目のフィンケ監督は昨年に引き続き4バックを採用。開幕戦の2枚のCBには山田暢久と坪井慶介が選ばれ、スピラノビッチはベンチにこそ入り続けたものの、リーグ戦デビューは10節の名古屋戦(1分)までお預けとなった。
初先発は5月の12節アウェイ仙台戦。14節からはスタメンに定着。先発出場が続き、15節から23節までフル出場。20節の湘南戦では宇賀神の左からのクロスを豪快に頭で決め、初ゴールも記録した。
このまま…と思いきや9月25日24節新潟戦で左脚を負傷。長期離脱となった。
最終戦の12月4日神戸戦で復帰しベンチ入り。しかし出場はなく、怪我後公式戦の出場は0に終わった。

ナビスコカップ 5試合(先発5)
リーグでは出遅れたが、カップ戦ではスタメンで起用され、6試合中5試合に先発。すべてフル出場した。チームは2勝2敗2分け(6失点)で、予選敗退。

天皇杯 出場なし

2011年 前年オフに完全移籍となる。
チームの新監督にゼリコ・ペトロヴィッチが就任。

リーグ戦 25試合(先発23)
DFラインは引き続き4バックで、スピラノビッチは永田充とCBコンビを組んだ。開幕戦こそサブだったものの、その後はレギュラーを奪取。後半戦までほぼすべての試合に先発フル出場した。
しかし、なかなか勝てず(失点数はリーグ6番目に少なかった)降格の2文字が現実味を帯びてきたチームは監督を堀孝史に交代。CBには坪井や濱田水輝が起用され、監督交代後の5試合はすべてサブだった。チームはかろうじてJ1に残留。

ナビスコカップ 3試合(先発3)
7試合中3試合に出場。チームの決勝進出に貢献している。
決勝戦(監督交代後)はベンチ入りするも出番はなし。チームも準優勝に終わった。

天皇杯 出場なし

2012年
新監督にミハイロ・ペトロヴィッチが就任。

リーグ戦 出場なし
新加入の槙野智章を軸に、永田、坪井、濱田、阿部勇樹ら様々な選手が起用される中、スピラノビッチはミシャ式とも呼ばれる変則3バックのチームにおいて全く出番を得られなかった。ベンチ入りが1試合。

ナビスコカップ 2試合(先発2)
ナビスコではチャンスをもらうも3月の予選1節仙台戦で警告2枚で退場(ファウルを受けたのは武藤雄樹だった)。次の出番は5月、予選4節川崎戦まで得られなかった。その試合こそフル出場で完封勝利に貢献したものの、以降出番はなし。

天皇杯 出場なし

2012年7月 アルアラビへの完全移籍が発表された。

退団後
その後はシドニー・ワンダーランズ(オーストラリア)でACLチャンピオンを獲得。オーストラリア代表としてW杯にも出場した。

2023年2月現役引退。


経歴と風貌、若さ。加入が決まった時は「ものすごい選手がきたんじゃないか?」と思った。
実際高さやテクニックは試合中も「ワールドクラス」を感じられた選手で、ギド・ブッフバルトのようなパワー、迫力も、同じオーストラリア出身であるゼリッチのような柔らかさも持ち合わせていた。

僕が取り上げる選手は「たら、れば」がすごく多いんだけと、もしスピラ在籍時にチームのスタイルが一貫していたら…。もし怪我がなければ…。彼はもっともっとものすごい活躍をしていたかもしれない…とそう思ってしまう。

引退と聞いて「そんな年だっけ?」と思ってみたら88年生まれ。引退するには少し若い気ががするね。

スピラ!お疲れ様!またどこかで会おう!

(ちなみに日本代表に関してはけっこう毒を吐いている)

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