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レッズ少し隠れた名選手たち⑥「アジエル」

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。
ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。


第6回はアジエル選手

アジエル
1980年8月13日
ブラジル出身
MF
2000
公式戦14試合3得点
背番号35
前所属 サントス
移籍先 ボタフォゴ

ラスト10試合。浦和を救ったまさに「救世主」

2000年J2リーグ。1年でのJ1復帰を目指していた浦和だが、リーグも中盤戦になったころからかなり苦戦。
首位はエメルソンが入れて後は守るという割り切ったスタイルで札幌が独走し、2位を浦和と大分が争っていた。
過密日程で怪我人も多く、またJ1ではあまりなかった「守ってカウンター」というスタイルに苦しんだ。
リーグが残り10試合と言うタイミングで、ペトロビッチと入れ替わりで加入したのがアジエルだ。

ブラジル人らしいテクニック、個人技。ドリブルやパスに優れ、仕掛けられるアタッカーが少なかったチームの攻撃の中心になった。
苦しい試合が続く中迎えた大分との直接対決、1点リードの後半、ゴールに背を向けボールを受けたアジエルは、一瞬のターンで相手をかわし、すぐさまシュート。チームにとって貴重な2点目を決めた。
また「勝てば昇格」という運命の最終戦では先制点をマーク。リーグでのわずか2得点が、これ以上ない価値のある2得点だった。結果は伝説のVゴールで勝点1の差で大分を振り切り昇格。毎試合主役はいたが、間違いなくアジエルは救世主だった。

10試合全てに先発。デビュー戦こそ途中で下がったが、残りは全て先発フル出場。タフさでもチームを支えた。

期限付きでの加入だったためわずか4ヶ月で退団。浦和を昇格に導いた救世主は、サントス復帰後おそらくまた別のチームにレンタルされた。
その6年後、湘南へ加入。10番を背負い200試合近くに出場し50得点を決めている。
残念ながら怪我の巡り合わせなどで浦和との試合に出ることはなかった。


この選手紹介を始めたいと思ったきっかけが、このアジエルだ。当時を知らない人はこの在籍4ヶ月で10試合2得点のブラジル人を知りようがない。
でも知って欲しかった。あのままJ2にいたらその後のタイトルもなかったかもしれない。エメもポンテもワシントンも多分来なかった。
みんなで必死にもがいて苦しんで掴んだJ1昇格。そのラスト10試合には一際輝くテクニシャンがいた。

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