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レッズ少し隠れた名選手たち⑦「堤俊輔」

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。
ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。


第7回は堤俊輔選手

堤俊輔
1987年6月8日
埼玉県新座市出身
DF(CB.SB)
2006〜2011
公式戦28試合
背番号36-12
前所属 浦和ユース
移籍先 (熊本-浦和)-栃木

両足の精度も高かったユース出身の万能DF

ユース出身のDFと言えば?というと濱田や岡本の名前が上がるかもしれない。しかし、それ以前だと間違いなくこの堤俊輔しかいないだろう。
上背はないが安定した守備、SBとCBをこなす万能性。右利きだが主に左SBを任される両足の精度。プロ入り時すでに完成度は高かったように思う。背番号も2年目でいきなり12番を付けていた。
アンダー世代の代表ということもあり、言わずもがなサポーターからの期待は高かった。

2006年にトップ昇格。同期は西澤や小池、大卒だが宇賀神がいる。
デビューは2年目。3年目には左CBとして先発出場する機会が多くなった。が、その2008年に前十字靭帯断裂の大怪我。復帰できたのは2010年。しかし以前のようなプレーができず、チームとしても我慢して使う余裕はなかった。
同じ年に熊本にレンタル移籍。
活躍をしたが、レッズに復帰した2011年は出場機会を得られないまま栃木にレンタル。
その後契約満了となり、2012年福岡へ完全移籍となった。福岡では主力として活躍した。


個人的にかなり思い入れが強く、応援していた選手。
もしミシャのようにDFに万能性を求める監督と出会っていたら。そしてもしあの大怪我がなかったら…。
たらればを言い出せば当てはまる選手は何人もいるが、それでもこの男が「浦和を代表するDF」になっていた気がしてならない。

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