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レッズ少し隠れた名選手たち19「室井市衛」

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。
ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。


第19回目は室井市衛選手

室井市衛
1974年6月22日
埼玉県さいたま市出身
DF
2000〜2004
公式戦 94試合4得点
背番号 21-5
前所属 鹿島
移籍先 神戸

対人プレーに抜群の強さを見せた名DF

抜群の対人の強さ、ヘディングの強さで相手を完封するセーターバック。キープレイヤーへのマンマークを任せられる選手。時折見せる笑顔が素敵だった。

降格したレッズに鹿島から完全移籍でやってきたのが、阿部敏之と室井市衛だ。共にさいたま市の田島中学出身で、地元のチームを1年でJ1へ復帰させる…と男気を見せた移籍だった。
鹿島で出場機会に恵まれなかったが実力は確かで、レッズ加入後はクリーンかつ粘りのある守備と空中戦の強さ、顔に似合わない闘争心で安定したプレーを見せてくれた。

2000年。開幕から9試合連続フルタイム出場。スタートダッシュ成功に貢献する。しかし10試合目の水戸戦で鎖骨を骨折し戦線離脱。復帰は9月、同じく水戸戦だった。そこから再び15試合に先発。最終戦で退場するまではずっとフルタイム。監督が代わっても信頼は変わらなかった。

2001年は開幕こそ出場するも1stステージではわずか2試合の出場のみ。その後セレッソへのレンタル移籍になった。移籍後は10試合に出場。

2002年。「マンマークの鬼」とも言える坪井慶介の加入もありさらにポジション争いが激化。それでも2ndステージでは井原、坪井と3バックを形成。ナビスコ杯でも途中から毎試合先発が続くが決勝の古巣鹿島戦はベンチスタート。途中出場時与えられた役割はパワープレーのFWだった。

2003年。開幕から素晴らしい活躍を見せ完全にレギュラーに定着し、1stステージは全試合フルタイム出場。これは室井と坪井のみだった。スピード、テクニックの相手を坪井がマークし、フィジカル、高さに優れる相手を室井がマークした。空中戦では身長で負けている相手に対しても五分以上の戦いを見せていた。
しかし、2ndステージ前半に再び鎖骨を骨折。以後出場
なかった。ナビスコでは離脱するまで活躍しチーム初タイトルに貢献した。

2004年、1stステージこそ出番があったものの、シーズン開始から闘莉王、途中からアルパイ、ネネと強力なライバルたちが加入。出場機会がなくなってしまう。オフに神戸に移籍。その後横浜FCで現役を終えている。

現在はハートフルコーチとして子供たちに、その変わらない笑顔を見せてくれているようだ。


いっちゃんと言えば忘れられないのが2000年最終戦。
味方のミスにより抜け出した相手に対してスライディングし、PK &退場。いわゆるDOGSO。ちなみに今ならイエローだったろうな…。
このPKを相手は失敗。室井市衛のプレーは結果論ではあるがチームを救い、その後の劇的なVゴールへと繋がった。
いつも見るのは笑顔か闘争心剥き出しの競り合い。
思えば初めて見る泣きそうな顔だった。「レッズをJ1へ」という思いが人一倍強かっただけに、悔しかったのだろう。しかし、そのプレーのおかげで昇格できた。
表には出ないが決して忘れない、影のヒーローだった。



どうでも良い話。
会場の誰もが絶望感でいっぱいだったそのPK。蹴ったボールがポストに当たり、跳ね返ったボールが再び選手の元へ、しかしシュートされたボールは今度はバーを超えた。絶望→歓喜→絶望→歓喜の連続でもうみんな冷静ではなかった。
読んでる方は気づくだろうが、これ2回目のキックの時点で反則なのである。主審は間接フリーキックを指示。しかし現地はそんなの関係ない、みんなそれくらい集中して本気で応援していた。一部を除いて。
そう、興奮のゴール裏で当時あまり本気でなかっただろう少年が「今の反則ですよね?」とポツリ。
なんでそんなに冷静で見ていられるんだと多分周りをしらけさせただろう。ごめんなさい。 

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