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レッズ少し隠れた名選手たち16「赤星貴文」

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。
ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。


第16回は赤星貴文選手

赤星貴文
1986年5月27日
静岡県出身
MF
2005〜2007.2009
公式戦 13試合
背番号 25-18
前所属 藤枝東高校
移籍先 (水戸-浦和)山形

抜群のセンスで期待を集めた「レッドスター」

名門藤枝東から加入。一年生時から活躍していた。
レッズには同校OBの山田暢久と長谷部誠がおり、年代別代表候補にも選ばれている超有望株獲得にその名前も相まって注目が集まった。
抜群のテクニックと視野の広さ、両足から繰り出されるパスはチャンスを作り出す。主戦場はトップ下でボランチでもプレー可能。当時で言えば本人も憧れの小野伸二、現在で言えば小泉佳穂のようなタイプだった。

2005年に加入。同期は細貝萌、大山俊輔、中村祐也、近藤徹志ら高卒の新人が多かった。
ナビスコ杯でデビュー。リーグは2試合出場、天皇杯は3試合で決勝にも岡野雅行に代わって途中出場し、優勝に貢献した。トータル公式戦6試合に出場、上々の初年度となった。

翌2006年。初優勝を飾る年だが、酒井友之らの記事で書いたように、この年はレギュラーボランチの2人がハイパフォーマンスかつ驚異的なタフさを見せる。赤星はベンチ入りすらできず、出場はナビスコ杯の予選4試合に限られた。

2007年。開幕からまったく出場機会を得られず、リーグ、ナビスコ、天皇杯、ACLでそれぞれ1試合ベンチ入りしたのみとなってしまった。
オフに水戸へのレンタル移籍を決断。水戸ではレギュラーとして大活躍。リーグ41試合に出場し8ゴール。実力を証明するとともに、翌年はレッズに復帰。今度こそ活躍が期待された。

2009年。偉大なる先輩長谷部誠、憧れの人小野伸二が移籍。背番号も新たに18番になり望んだ勝負のシーズン…のはずだったが、赤星は途中4試合連続でベンチ入りしたものの出場はできず、シーズンでもナビスコ杯の3試合に出場したのみ。大きな壁となっていた先輩の代わりに原口元気や山田直輝ら若手がスタメンに名を連ねた。
同年7月山形へのレンタル移籍が決定。8試合に出場するも、シーズン終了後に浦和、山形両チームから契約満了が発表された。

その後は主に海外に活躍の場を移す。
ラトビア、ロシア、ポーランド、タイ、イラン、インドネシアなど、様々なチームに在籍。2021年に引退を発表したが、2022年また現役復帰したようだ。


まず、とにかく名前が良かった笑
あとプレー。安定していたし、上手かった。
実力はあるが、出られないのも分かる…といったような状況で、見ている方も歯痒かった。
つくづくあの2人…いや、入団当初の1番の壁はもしかしたら酒井友之だったのかもしれない。
プレー中の笑顔が印象的な選手だった。


某選手が同期の赤星について語っていたので貼り付け。


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