見出し画像

レッズ少し隠れた名選手たち24「小池純輝」

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。
ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。



第24回は小池純輝選手

小池純輝(こいけ・じゅんき)
1987年5月11日
比企郡嵐山町出身
FW・MF
2006年〜2009年
公式戦 6試合0ゴール
背番号 32-18
前所属 浦和レッズユース
移籍先 草津(期限付き)〜水戸


「未来のエース」を予感させたストライカー

総評

180センチの長身、抜群のスピードと優れたドリブル。そして飛び出しの巧さ。
高校年代でゴールを量産してきた、ユース出身の待望のFWは浦和のエースとなるポテンシャルを充分に秘めているように見えた。
ニックネームは小池栄子からとった「エーコ」。


2006年。
ユースから昇格。前年の高校生時代から練習に参加し、サテライトではプレーしていた。
同期には堤俊輔、西澤代志也、後にプロ入りする宇賀神友弥がいた。
チームが初のチャンピオンに輝くこの年の戦力は言うまでもなく歴代屈指。小池はナビスコ杯に2試合のベンチ入したのみだった。

2007年。
背番号が18番に。永井雄一郎、田中達也、小野伸二ら生え抜き選手たちが背負ってきた出世番号になった。
開幕戦からリーグ戦初のベンチ入り。
その後も数試合にベンチ入りした後、20節アウェイガンバ大阪戦の89分、永井雄一郎との交代でついにデビューを果たす。
その後次節甲府戦も1分。24節大宮戦は8分と短い出場が続くが、29節、アウェイジェフ千葉戦。前半ゴール時に負傷したワシントンに代わり、後半から出場。これが浦和時代にまともな時間が与えられた唯一の試合になった。小池は得意のドリブルで左サイドを駆け上がるシーンこそあったものの、得点に絡むことはできず。試合は3-0から2点を追い上げられるもなんとか勝利した。その後の試合はサブにこそ入るものの、出場機会は得られなかった。
また、天皇杯1試合。A3でも1試合に出場している。まだ高卒2年目。順調にステップアップしているように思えた。

2008年。
エジミウソンと高原が加入。田中達也、永井雄一郎ら実績のある選手たちで攻撃陣が構成される中、小池の「勢いのある若手」という立ち位置も日本国籍を取得したエスクデロ・セルヒオに奪われてしまう。この年小池は全ての公式戦でベンチ入りすらしなかった。
オフにJ2ザスパ草津への期限付き移籍が発表され、その翌年、水戸ホーリーホックへ完全移籍した。

その後は数チームを渡り歩いており、2021年には東京ヴェルディで2度のハットトリックを含む17ゴールを上げ、キャリアハイの数字を残している。


浦和ユース卒、特に一度トップ昇格した選手達は総じて特別な思いを持って見ているけど、エーコはその中でも思い入れが強い選手の1人。理由は単純で同い年だからだ。
この年のユース卒はなかなかの粒揃いで、堤、西澤、大学経由の宇賀神も含めると4人がトップでの出場機会を得ている。これはおそらくクラブ初めてのことで、「あの世代」がくるまでは1番の豊作だったと言えるのではないかと思っている。
そしてそれぞれが4人とも長いキャリアを築き、色々なチームで愛された。
だからこそ宇賀神の退団時、僕はなにより「ユース同期一同」と書かれた断幕に涙したのだ。

ジェフ戦のあの「45分間」で点が取れていればまた違った未来が待っていたのかもしれない。しかし、彼は今素晴らしいキャリアを送っている。
世代トップは宇賀神だったかもしれないけど、僕からしたらエーコも「希望の星」。できればこれからも1年でも長く活躍してほしい。
ずっと応援している。
サッカーを楽しみつつ、頑張れエーコ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?