見出し画像

レッズ少し隠れた名選手たち17「ピクン」(リクエスト)

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。
ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。


第17回はフェルナンド・ピクン選手

フェルナンド・ピクン
1972年2月14日
ウルグアイ出身
DF
1999〜2000
公式戦33試合1得点
背番号 35-3
前所属 デフェンソール(ウルグアイ)
移籍先 ダヌービオ(ウルグアイ)

J1復帰に奮闘した大型DF

99年、降格の危機にあるチームが、守備陣の立て直しのため緊急的にDFを補強した。それがJリーグでは珍しいウルグアイ人選手、フェルナンドピクンだ。

185センチの長身を活かした空中線と、激しいタックル。激しさ故か33試合でイエローカード12枚と警告も多かった。

99年10月、2ndステージ第11節で浦和デビュー。崖っぷちの所謂ファイナルファイブでの加入だった。
デビュー戦は負け。負傷で途中退場したヴェルディ戦は最後の最後に追いつかれ、最終戦は欠場…と、残留への救世主にはなれなかった。

2000年も引き続き浦和でプレー。
室井、西野、山田、内館らと共にDF陣を組み、開幕の連勝に貢献(開幕戦ではゴールも決めた)するが前半戦負傷により6試合欠場してしまう。
5月の埼玉ダービーで復帰を果たすとその後はレギュラーとして活躍。ちなみに永井雄一郎が退場して1-6で敗戦した新潟戦で、ピクンも終了間際にひっそりと退場している。

その後は監督交代などがあってもポジションを守り続け、苦しいシーズンをなんとか乗り切りJ1昇格に貢献した。
ただ、ラスト3試合は連続で警告をもらい、最終戦はミスで室井のPK &退場のきっかけを作るなど好調とは言えなかっただろう。

この年のオフに退団。ウルグアイに帰っていった。


とにかくこう「跳ね返す」系のDFというイメージ。
適性は3バックの真ん中だと思うのだけど、2000年のレッズは4バックを採用していた。ピクンがもう少し柔軟に対応できるか、監督がもう少し選手の特徴に合わせてくれたら、苦しんだという結果は違ったかもしれない。
実はピクン一度だけ欧州に挑戦している。
チームはフェイエノールト。不思議な縁だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?