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レッズ少し隠れた名選手たち21「土橋正樹」

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。
ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。


第21回は土橋正樹選手

土橋正樹
1972年7月23日
神奈川県出身
MF、DF
1995年〜2003年
公式戦 229試合9得点
背番号 2-4
前所属 国士舘大学
移籍先 引退

ルーキーイヤーから大活躍した職人

フルタイム走り続ける体力とタフさ、的確な守備の読み、ユーティリティさで活躍。走って奪ってボールを散らせる選手。主にボランチだったが、WB.SBとしても出場した。
華麗なテクニック、抜群のスピード、驚異的なフィジカル…そういった目立った特徴は見られなかったが、レッズ一筋9年で200試合以上に出場。歴代監督に重宝された職人肌で、サブにいると安心できる選手でもあり、酒井友之の前任とも言えるからもしれない。

1995年に加入。
大学時代は背番号10番をつけ、攻守に活躍していたようだ。

サントリーシリーズ(1stステージ)。
新監督オジェックの目にとまる。開幕こそ途中出場だったが、2節からレギュラーを獲得。ルーキーながら安定したプレーを見せ10試合連続フルタイム、サブと途中出場を挟みその後は13試合連続フルタイムで出場した。

ニコスシリーズ(2ndステージ)
監督の信頼は揺るがず26試合全てに先発フル出場。
結果リーグ戦52試合中51試合に出場。先発した49試合全てがフル出場(欠場した日もベンチ入り)、カードはわずかイエロー1枚…と、中3日4日での連戦が続く中、ルーキーとしては脅威的な出場記録を残した。また、チームも初の3位になった。

1996年
1ステージ制となり、リーグ試合数が30となった年。開幕から18試合連続フル出場。しかし後半戦はサブが中心となる。19節以降出場は4試合のみだった。ナビスコ、天皇杯合わせてシーズン通して37試合に出場。警告はゼロだった。
シーズン中、前年からの活躍が認められ日本代表に選出。1試合に出場した。

1997年
再び2ステージ制。監督はケッペルへ代わるも、安定感抜群のプレーを見せリーグ戦の欠場はわずか1試合。ナビスコカップでは全8試合に出場し、3得点をあげた。

1998年〜2000年
元々ユーティリティな選手ではあったが、この頃からサイドでの起用が多くなる。左サイドバック、左右のウイングバックもこなし、安定したプレーは見せるもののサイドとして「決定的な違い」を出せるようなスタイルではなかったこともあり、徐々に便利屋というようなイメージになってしまう。
また怪我との戦いも増えてしまった。
それでも2000年J2での最終戦。室井が退場し手薄になった守備陣に途中交代で入り、チームを昇格に導くVゴールを決めた。

2001年〜2003年
J1復帰後すぐこそ出場機会も得られたが、徐々にサブが定位置に。ベンチにいると安心…ではあったがこの時まだ20代後半。「できるのに」という思いはあったに違いない。
最終年は公式戦全てで出場機会0。ベンチにも数試合入ったのみだった。
この年にチームから契約満了を告げられる。まだ30歳だったが「浦和以外は考えられない」と引退を決意。1番活躍したのが初年度というのは悔しかったと思うが、それでも浦和を愛し、サポーターに愛された選手だった。

引退後も浦和に関わり続け主に子供年代の指導を担当。2022年はジュニアユースのコーチをしている。



語り継がれるゴールというのはいくつあるだろう?
キャスパー・ユンカーのループ
トーマス・デンのミドル
ナビスコ決勝の田中達也
2006年最終戦のポンテ
天皇杯の宇賀神、槙野
99年最終戦の福田正博…
みんな様々な思い出のゴールがあると思う。

ゴールそのものにインパクトがあるものも、シチュエーションに価値があるものもあるだろう。
しかしこの先何十年も語り継がれるゴールというのは限られてくるかもしれない。

2000年J2リーグ最終戦サガン鳥栖戦。ゴールそのものも、シチュエーションもギュッと濃縮されたゴールがこの「土橋正樹のVゴール」だと思う。

とにかく苦しかったJ2での1年。そしてそれを象徴するかのような試合。昇格のためには勝つしかないこの試合で延長Vゴールを決めたのは、福田正博でも小野伸二でも岡野雅行でもなく、地味な役回りでチームを支えた男の左脚だった。
「浦和のレジェンド」として紹介されることは少ないかもしれないけど、「伝説のゴールを決めた男」なのは間違いない。
ありがとう!マサキ!


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