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浦和レッズ背番号の系譜「10」

サッカー選手に欠かせない背番号。
浦和レッズ30年の歴史の中でどんな選手が背負ってきたのか、傾向はあるのか、活躍度合いは?など調べてみたいと思う。

第6回は常にオフェンスの中心にいる「10」



①1992年〜1996年 
 変動制時代

92年、ナビスコカップ初戦でレッズ初めての10番を着けたのは尾崎加寿夫選手。三菱時代から活躍していたストライカーで、ドイツでもプレーしていた選手だ。
だが2試合目からはウエハラ(エドウィン・ウエハラ)が10番を着けてプレー。

ウエハラ

93年、リーグ戦がスタート。開幕戦こそアルゼンチン人助っ人のモラレスが背負うも、期待通りの活躍ができずその後はウエハラ、堀孝史、水内猛ら様々な選手がほぼ日替わりで「10」を着けた。
低迷するチームの象徴の如く定着しないエースナンバーだったが、9月にミヒャエル・ルンメニゲが加入すると以後はある程度彼に固定された。

ミヒャエル・ルンメニゲ

「偉大な兄を持つ」ことで有名なルンメニゲだが、本人もバイエルン、ドルトムントで活躍。ブンデスリーガで300試合、80ゴールという十分すぎる実績を持ってやってきた。
浦和でも2年間で公式戦17ゴールと活躍。94年は12ゴールを決めている。苦戦が続いたチームにおいて頼りになる存在だった。

94年の途中、正真正銘の「10番」が加入する。ウーべ・バインである。

ウーべ・バイン

フランクフルトからやってきたレフティは、ワールドクラスの技術と創造性で攻撃を牽引。
ギド・ブッフバルト、福田正博らとともに、躍進するチームの中心として活躍した。95年には福田正博の得点王をアシストしつつ自身もリーグ18ゴール(公式戦20ゴール)を決めている。

②1997年〜固定制以後


1997年〜同4月

ミヒャエル・バウアー

DF.MF
7試合1得点

自国のオーストリアリーグで活躍。200試合以上に出場していた。若くして代表にも選ばれた選手で、背番号が固定制になってから初めて浦和で「10」を着けたことからもクラブの期待は伝わってくる。しかしリーグわずか2試合、公式戦7試合の出場で退団。色々な事情があったようだ。
バウアーの詳しい記事があったのでぜひ↓


1997年

べギリスタイン

FW.MF
19試合4得点

「チキ」べギリスタイン

「11」のイメージが強いべギリスタインだが、加入初年度は「10」を着用していた。
97年セカンドステージ開幕戦でデビューし、2節のマリノス戦では初ゴールをあげている。
当時の浦和は福田正博、岡野雅行、永井雄一郎、大柴健二などFWの選手が多く、チキはMFとしてチャンスメイクをしていた。
翌年背番号を「11」に変更。


1998年〜2000年

福永泰(ふくなが やすし)

FW.MF
78試合19得点

福永泰

前年の「11」から変更。べギリスタインと交換する形でヤスこと福永泰は日本人初の背番号10番になった。95年、青山学院大から加入。変動性時代にすでに「10」を着けての出場経験はあった。
抜群のサッカーセンスとスピード、ドリブルでFWから守備的MFまで幅広く活躍。2024年現在で唯一の生え抜き日本人で10番を着けた選手である。2001年、「14」に変更。翌年仙台へ移籍した。 


2001年

アドリアーノ

MF
25試合7得点

2001年、J1に復帰した浦和は監督、助っ人選手を全員ブラジル人に一新。チッタ監督、守備的MFドニゼッチ、FWトゥットと共に加入したのが新生レッズの10番、アドリアーノだ。
ワールドユースMVPという実績を持ち、母国だけでなくスイスでのプレー経験もある。
主戦場は2列目で、ゲームを作るというよりも、シュート、FK等自身のゴールも含め得点に直結するプレーが得意。
リーグ戦22試合6ゴールと決して悪くはない数字を残していたが、トゥットに加え川崎フロンターレよりエメルソンが加入したチームは2人を活かせるタイプの選手が欲しいと判断。よりゲームメイクに長けたアリソンの加入に伴い退団した。 


2002年〜2005年6月

エメルソン

FW
113試合87得点

エメルソン

2001年はシーズン途中の加入だったので「36」を着用。満を持しての新シーズンからエメルソンが「10」を背負った。

固定制以降2024年現在まで唯一の純粋なストライカーの10番。福田正博の引退以降に加入していたらどうなっていたのかは気になるところ。
選手としての能力は札幌時代から身をもって知っていた浦和サポーターにとって、活躍は予想通りのものだったかもしれない。

シュート、ドリブル、パワー、スピード、テクニックと長所は何を上げても規格外。爆発的な得点力でチームに初タイトル(ナビスコ杯)とステージ優勝をもたらし、自身も得点王、MVP、ベストイレブンを獲得と文字通り「大暴れ」した。

加入当時から去り際まで一貫してのお騒がせキャラではあったものの、チームのために全力でプレーしてくれた偉大なエースであったことは間違いなく、いまだに「J1リーグ史上最高のストライカー」に上げる人もいるだろう。
2005年途中カタールのアル・サッドへ移籍。


2005年7月〜2010年

ロブソン・ポンテ

MF
193試47得点

ロブソン・ポンテ

エメルソンが退団し空いた助っ人の枠と背番号。
おそらく誰がきても厳しく見られるだろうという状況で、【CLでレアル・マドリードに勝った経験がある28歳の現役ブンデスリーガー】という、とりあえず凄そうな経歴を持ってロブソン・ポンテはやってきた。そして当たり前のように「10」のシャツに袖を通した。

そこからはとにかく凄かった。
ドリブルで相手を翻弄しつつ、長短のパスでピッチを支配。キラーパスを通したと思えばリターンをワンタッチでゴールに流し込む。献身的なプレーも多く、相手DFへのプレスも怠らなかった。
在籍中にチームにJ1リーグ優勝、天皇杯、ACL、スーパー杯をもたらし、自身もMVP、ベストイレブンに輝いた。

浦和の背番号「10」は?と聞かれたら真っ先に浮かぶ選手であることは間違いないだろう。
2011年に退団。アルディージャへの移籍の噂があったが最終的に母国に帰った。


2011年〜2014年

マルシオ・リシャルデス

MF
121試合22得点

マルシオ・リシャルデス

浦和レッズに黄金期をもたらした前任者から引き継いだのは、同じブラジル人のマルシオ・リシャルデス
アルビレックス新潟で大活躍し、加入前年にはベストイレブンにも選ばれた。
ポンテの後釜として実績は十分で、クラブ、サポーターからの期待も高かったが低迷するチームに合わせるようになかなか実力を発揮できず、Jリーグ歴代でも屈指だったはずのFKも鳴りを潜めた。
監督交代後はリーグ戦で9ゴールをあげチームの得点王に。FKも決めたが、当初の期待通りの活躍とは言えず(プレースタイルの相性という点で)監督に恵まれなかった感は大きい。しかしその高い技術とチームのために頑張る真面目な性格は記憶に残っているファンも多いと思う。


2015年
該当選手なし
浦和史上初めて「10」が空き番号になった。
この年は6.9.10が空きになる異例の年。


2016年〜2021年3月

柏木陽介(かしわぎ ようすけ)

MF
152試合13得点

柏木陽介

2010年、サンフレッチェ広島から加入。
6年間「8」を着けていたが、2016年から「10」に変更。福永泰以来2人目の日本人10番になった。

加入初年度から毎年公式戦40試合近くに出場。主力として活躍してきたが、8番として獲得したタイトルはステージ優勝(2015年)のみで、ルヴァン杯(2016年)、天皇杯(2018年)ACL(2017年)と主要タイトルは背番号10番に変更後に獲得した。また、2016年はJリーグベストイレブンに、2017年はACL大会MVPに選出されている。

常にキラーパスが出せる創造性と技術、直接FKも決める高精度の左足を持ち、豊富な運動量もあり長年浦和の走れる司令塔として活躍した。左利きで10番、エースFW興梠慎三へアシストを重ねる姿は福田正博ウーべ・バインを思い出させた。


2022年〜2023年7月

ダヴィド・モーベルグ

MF.FW
46試合13得点

ダヴィド・モーベルグ

柏木陽介が2021年の3月に移籍したので、実質1年間空いた後、チェコの強豪スパルタ・プラハからやってきた左利きのスウェーデン人、モーベルグが「10」を背負う。
プレースタイルこそ違えど過去の浦和の10番は殆どがセンターでのプレーを基本としていたが、モーベルグはウイングのプレイヤーで、右サイドに構えた上でのクロス、カットインを得意としていた。

5節の磐田戦でデビュー。途中出場からわずか数分後、ボールを受けたモーベルグはそのままドリブルでエリアへ侵入。目の前を塞ぐ相手DF3人をボディフェイクで手玉に取り、ゴール隅に僅かに空いたコースを左足で流し込んだ。抜群のスピードとドリブルテクニック、1人で相手ディフェンスを切り裂ける個の力は非常に魅力的で、サポーターをワクワクさせスタジアムを熱狂させた。

初年度にリーグ戦8ゴール、ACL5ゴールと大活躍。2023年も同様の活躍が期待されるもコンディションが上がらず徐々に出番を失っていった。同年7月ギリシャの1部リーグ、アリスへ期限付き移籍。2024年5月現在、そのままレンタル継続中である。


2023年7月〜

中島翔哉(なかじま しょうや)

MF
7試合1得点

中島翔哉

モーベルグと入れ替わる形でそのまま背番号「10」を着けたのが、元日本代表中島翔哉
2017年にFC東京から海外移籍し、その後ポルト(ポルトガル)他様々なチームでプレー。久しぶりのJリーグとなった。

得点力が上がらないチームの起爆剤として大きく期待されるも、なかなかコンディションが上がらず。時折「らしい」プレーを見せることはあったが、得点はJ1リーグ最終節、札幌戦での1ゴールにとどまった。

2024年、中島翔哉は試合ごとにトップフォームに近づいているように見える。狭い中での精密なトラップ、ターン、吸い付くようなドリブル、キレのあるカットイン、意をついたスルーパス、パンチのあるシュート。
まだリーグでの得点こそないが、大久保智明への完璧なアシストを見せるなど徐々に攻撃の中心となってきている。
日本人3人目の背番号「10」。楽しそうにプレーする彼がこの先何を見せてくれるか?ワクワクが止まらない。


③個人成績(公式戦)97年〜23年

バウアー     7試合   1得点
べギリスタイン    19試合   4得点
福永泰                78試合 19得点
アドリアーノ        25試合  7得点
エメルソン        113試合 87得点
ポンテ              193試合 47得点
マルシオ           121試合 22得点
柏木陽介           152試合 13得点
モーベルグ          46試合 13得点
中島翔哉               7試合   1得点

合計761試合214得点

④まとめ

いかがでしたか?まず驚いたのがトータルの出場数の多さ。常にレギュラークラスが背負い、空き番号は1年のみ。大怪我も少なかったと言えそう。
あと無得点の選手がいないというのも、背番号「10」の面目躍如といったところか。
エメルソンの得点数はやはり異次元だが、やはり10番のイメージとしてアシストだけでなく得点数にも期待してしまう。
中島翔哉はどれだけ活躍するか?
そして次に背負う選手はどんな選手か?
きっといつでも背番号「10」は僕らにワクワクとタイトルをもたらせてくれるはずだ。

現在までに取り上げた背番号

「10」761試合214得点
「5」  666試合  57得点
「7」  629試合103得点
「9」  637試合152得点
「11」612試合152得点
「20」598試合  83得点


お久しぶりです。
そしてかなり長くなったこの記事を最後までお読みいただきありがとうございました。

なかなかこういったまとめを書くタイミングがなかったのですが、中島翔哉のプレーを見てて書きたくなりました。本当に見てて楽しくなる選手ですね。きっともっともっと活躍してくれるはず!

みなさんも好きな背番号ありますか?
リクエストもらえたらまとめます。よろしくお願いします。

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