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レッズ少し隠れた名選手たち⑩「黒部光昭」リクエスト

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。
ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。


第10回は黒部光昭選手

黒部光昭
1978年3月6日
徳島県
FW
2006年
公式戦14試合
背番号12
前所属 C大阪(京都からレンタル)
移籍先 千葉

大エースの影に隠れた実績十分のストライカー

2006年、今年こそ悲願の優勝を。そのためにレッズは2人の「9番」を獲得した。1人は降格した東京Vからワシントンを完全移籍で。そしてもう1人、前年はセレッソで主力として活躍していた選手を期限付き移籍(契約元は京都)で。それが黒部光昭だった。

黒部の実績は申し分なかった。
京都時代J2でシーズン30得点、J1でも2シーズン連続二桁得点を記録。日本代表にも選出された。
非常に身体能力が高く、空中戦の強さ、ヘディングの上手さ、両足のシュート…と、エリア内で強さを発揮する典型的なストライカータイプのFW。

プロの世界はたしかに厳しいが、それも競争相手が「エリア内でボールを預ければ点を取ってしまう」ワシントンではなおさらだろう。
この年のレッズは1トップもしくは2トップだったが、2トップの場合でもストライカータイプを並べることはなく、1つの枠を争うのがワシントンでは正直相手が悪かった。

結果的に黒部はリーグ戦9試合出場0得点に終わってしまう。本人の調子もあったかもしれないが、9試合で101分の出場時間ではなかなか難しかった。
翌年は完全移籍で千葉へ移籍。その後福岡、富山でプレーした。


黒部って点決めなかったっけ…?そう、公式戦ではないが、大舞台でゴールを決めている。
さいたまシティカップ、相手はあのバイエルンミュンヘン。
後半88分0-0の状況でヘディングで決めた決勝ゴール。
あのゴールを覚えているサポーターは多いんじゃないかな?

プロフィールによれば黒部の身長は177センチ。
「え?もっと高いと思ってた」そんな感想を持った人もいるかな?僕はそう思った笑
それくらいジャンプ力があり、ヘディングの強さと上手さがあったということだろう。

リーグ歴代トップクラスのFWとの競争には負けてしまったが、唯一のゴールと共に記憶に残るストライカーだった。




いつも読んでいただきありがとうございます。
お陰様で10回目を迎えました。
読む人がいなくなるか、紹介する選手がいなくなるまで続けますので、これからもよろしくお願いします。

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