ニューシネマパラダイス【★★★★☆】


ライフイズビューティフルに続き、またまたイタリア映画を鑑賞。

今回は初見のニューシネマパラダイスだ。

これまた言わずと知れた不朽の名作であり、逆によく今まで観ずに避けてこれたなと思うくらい有名な作品である。
これを観ていないというのはかまいたちの山内さんの「トトロ観たことない」に匹敵する自慢になるだろうが、僕はもうその自慢は出来ない。


だって観てしまったもん。


さて…
ニューシネマパラダイスは1988年に公開されたイタリア映画だ。

古さゆえの作りの粗さこそあるが、それもまた美しく情緒に溢れていて素晴らしく思える。

とある田舎の村で暮らす少年トト(サルヴァトーレ)は、村唯一の娯楽施設と言っていい映画館に何度も出入りし、そこで働く映写技師のアルフレードと出会いさらに映画の世界に引き込まれやがて子供ながら映写技師として働くことになる。

世代を超えたアルフレードとの友情を育み、青年になったトトは美しい少女エレナに恋をし、小さな村で少しずつ成長していくのだがアルフレードは「こんな小さな村で終わるな、人生はお前が観てきた映画ほど甘くない」と村から出ていくように促しさらに旅立ちの日に「ノスタルジーに惑わされるな、もう帰ってくるな」と愛をもって厳しくトトを突き放す。

やがて30年の歳月を経て都会で映画監督としての成功を得たサルヴァトーレ(トト)は、アルフレードの訃報を知り葬儀に出席するため村に帰る。

そこで、かつて賑わいを見せていた青春の場所、映画館ニューシネマパラダイスが閉館し取り壊される現場にも立ち会うことになり、時の流れを実感する。
アルフレードの葬儀を終え、サルヴァトーレ(トト)は家族にアルフレードからトトに渡して欲しいと残された形見があると聞かされ、1つのフィルムを手にすることになる。


とまぁ、簡単なあらすじはこんな感じだ。
なんと言っても素晴らしいのがトトがアルフレードの形見のフィルムをスクリーンに映して鑑賞する最後のシーン。
今でこそ「伏線の回収」なんて言葉が当たり前のように使われているが、これぞまさに本当の伏線の回収だ!と言わんばかりのお手本のような物語だ。

これはストーリーとしての伏線の回収としてももちろん見事に決まっているのだが、30年というトトが過ごした歳月に対する伏線の回収でもある。

それはあくまで視聴者に委ねられた想像力によるものであり、劇中でトトが過ごした都会での30年間というのは一切描かれていない。

しかし、スクリーンを見つめるトトの表情から、30年という長い歳月の間過ごしてきた時間や、得てきた経験などが心の中で巡っていく。

そうつまり、この最後のシーンはトトの空白の30年間を想像すると同時に、そこに自分のこれまで過ごしてきた人生を投影して見つめ直す時間でもあると僕は思った。


僕たちは生きていく中で様々な経験をしながら、様々な音楽や映画といった作品に触れることがあり、その中に具現化しきれない感情を投影したりするものだ。

このニューシネマパラダイスはその最たるもので、誰もが経験しうる「憧れ」「甘酸っぱい恋愛」「郷愁(ノスタルジー)」「時流」などといった成長する為に必要不可欠なものが詰まっていて、自分の人生を見つめ直す鏡のような映画だと思う。


何年経っても変わらない約束もあれば、月日と共に廃れていく景色もあって、良くも悪くも時間という概念の中で僕たちは生きている。

ニューシネマパラダイスとはそんな「時間」のかけがえの無さを教えてくれる映画だった。


言い忘れたが、音楽も素晴らしい。
イタリアの美しい景色や、人物の描写まで真空パックするかのようにマッチしていていつまでも耳を傾けていたくなる。

惜しむらくは、セリフがアフレコだったのが令和生まれの僕は受け入れがたかったのと、作りとしての違和感(繋がりや演出など)に目ざとく気がいってしまう自分に腹が立ったので

【★★★★☆】(4.3)


とさせていただく。
そして、もう「ニューシネマパラダイスを観たことが無い」という自慢が出来ないのが少し寂しくもある。

Ciao.


P.S.僕が観たのはオリジナル版で、もうひとつのバージョンでは恋人エレナと再会するシーンがあるらしいのだが、それは無くてよかったし自分は観ないままでいようと思う。
アルフレード曰く、人生は映画のようにはいかない。
そんな都合よく昔の恋人に再会もしない。
という解釈で、僕のニューシネマパラダイスは完結だ。

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