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夫との会話。

備忘録。

3/11(土)昨日、夫と話し合いました。


遡ること、一昨日。
3/10(金)に「ODしたらなぜ駄目か?」という問いかけを夫にした。連日に渡って、私にはOD欲求は強く、ODしか頭になかったからだ。夫の答えは「ODするとあなたが傷つくから。過剰なOD、自殺未遂を繰り返すと、俺が面倒みれなくなった時、最悪、施設に預けることになるかもしれない。そうすると、あなたが可哀そうだ。」と。


そして、昨日(3/11)。
昨日はおかしな質問をしてごめん。余裕がなくなると、その場を凌ぐことしか考えられなくなるから、どうしてもODに頼りたくなる。でも、原点に戻って、どうしてODしたら駄目なのか、聞いてみたくなったと夫に謝罪した。夫は不思議がっていた。疲れたら休めばいい、寝たらスッキリしないのかが不思議で仕方ないと。それか思考を無理やり切り替えて、やっていっている、俺はね、と。夫には、切ることやODしたくなる欲求に頭を支配されることが理解できていない様子だった。そもそも、経験したことがない人に理解を求めること自体難しいことなのではないだろうか、と改めて思った。

「どうしてODに行きつくの?」と改めて夫から質問が。「ODを我慢しているのは、ODしたらドクターストップがかかるから」と、私。外発的動機だからなのか、夫は納得していない様子だった。自分のためだとか…自分を傷付けないためだとかそういった理由が欲しかったらしい。でも、私のもう一つの理由については納得していた。それは「ODしたら、前の生活に逆戻りしてしまうから」ということ。


夫から、提案があった。
薬は基本的に毒で、良い側面を利用しているだけ。
それを使って、あなたはどう生活していきたいのか考えた方がいいんじゃないか?と。例えば、俺との生活を続けていく、仕事を続けていく等。でも、あなたの場合、仕事は二の次で考えた方がいい。

余裕がないと、私は病気と共存するための努力が出来なくなる。病気に打ち勝つことがとっくに諦めていて、というか、それは現実的ではないと思っていて。まぁとにかく、余裕がないと、共存が危ぶまれて、その場を凌ぐために自分を傷付けることに徹しようとしてしまうのだ。

その特性を、先日やっとで発見して。

だから、余裕のある時にある程度の将来の展望を考えることが得策ではないかと。だから、noteを使って、自分の頭をまとめよう、整理しようと思う。


私が将来、やりたいこと…。
「今の生活を続けること」
「仕事を何とか続けること」
「希死念慮に悩まされないこと」
「自傷願望に悩まされないこと」
「飲む薬の数が減ること」
…かな?

これらが達成された時、本当に生きやすくなると思う。希死念慮・自傷願望がないことでさえ、本当に生きやすいから。

でも、今の私が成長したことといえば、仕事をしていなくても、自分に価値があると思えるようになったことだ。これは、かなりの成長。

苦しい時、自分の感覚が薄れたり、感情を感じなくしようとする癖があることも改善していきたいかな。

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