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ビゴー《猿真似》へのある感想から

先日、ビゴーの《猿真似》についてあるツイートを見かけました。
ツイートの直接的な引用は避けますが、ツイ主に話を聞いてみると要旨は以下のようなものでした。

日本の西欧化は欧米列強に強要されたものであるにも関わらず、西欧化に向けて試行錯誤する日本(人)を嘲笑うような作品を描いたフランスの感覚を疑う。さらに日本人を猿に見立てる作風も下劣である。

Twitterにおける某氏とのやり取りの要旨

ちなみにその方は、ビゴーが日本語の表現に存在する「猿真似」を下敷きにこの絵画を描いたことを承知したうえで、上記のような感想を抱いていらっしゃいます。

その上で、はっきり言えば、私は同氏の意見には誤解があるように思うのです。
そもそも、「日本の西欧化は欧米列強に強要されたのか?」といえば、これは日本が主体的にそのような道を選択しただけですし、「強要された」というのは何を以ってそう評せるのか不明瞭です(この点もちゃんと同氏の意見をお聞きしておけばよかったのですが…)。

また、仮に日本の西欧化が欧米列強(つまりフランスを含む)に強要されたものであったとしても、それとビゴーがどう関係するというのでしょうか。ビゴーはフランス政府を代表する人物でもありませんし、確かにフランス出身ではありますが一介の画家に過ぎません。
彼がフランスの総意を表す人物なのであれば、先の要旨のような感想を抱くのも分かりますが、日本に興味を示すひとりのただの画家に「フランスの総意」という役割を与えるのは重すぎやしませんでしょうか。
つまり、「フランスが日本に西欧化を強要したこと」と「ビゴーという一個人が日本の西欧化に拙速さを感じること」は両立するわけです。
(ただ私は、そうした「国家と個人を同一視してはならない」という感覚はなかなか一般的に理解されないものなのではないか、という考えも同時に抱いています…。)

そこに描かれた素材が不適切であるという一点のみの指摘であれば、まだ議論の余地があったのでしょうが、そこに「国家と個人を同一視する」という認識が入り込むと途端に議論が成り立たなくなる…という話でした。


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