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過去


自分の溜め込んだものが昨日わかった。

僕はよくも悪くも過去に縛られてきた人間だと思う。嫌み臭いが、特に意識しなくても、「箱根駅伝で初優勝して区間賞とった奴」という前置きがつく。

謙遜でもなく、嫌みでもなく、めちゃくちゃ嫌だった、これが。 

 誉められたら嬉しいはずなのに、全然嬉しくないんですよね、ここまでの数年間。

まず過去で計られるのが嫌だった。基本的に僕は調子に乗っているので、「今のボクには価値がないんですかね?」というマインドであった。クソガキである。

社会人になって、格好の自己紹介の材料になることもあった。でも、親切な先輩が他己紹介してくれて仕事先の先方が全く興味がなくてドンズベリするのは日常茶飯事で、本当に嫌だった。

この最後のドンズベリがマジで一番嫌で、「何もしてないのにスベったやつ」と思われる。これは皆嫌ですよね。

そうこうしているうちに自然と「自分が目立っちゃいけない」というマインドになっていた。

ここまで書いて、何嬉しい悩み言ってんだこのタコとお思いだろう。

まぁ事実なわけで。社会人になって、本当に嫌になった。

昨日、会社の先輩と飲んでて、ふと同じルーティーンが発生して、いつも通り謙遜したわけです。

先輩「何でそんな謙遜すんの?気分悪いよ。ありがとうございますって言われた方が嬉しいんじゃない?」

本質だ。僕は自分が過度に見込まれるのが嫌で、勝手に必要以上に下げる癖がついていた。これは確かにそうだ。

自分が知らない間に、勝手に高い位置に自分を置いていて、過度な期待を恐れて保険をかけまくっていた。

 でも、誰も自分にそこまで興味はない。

これに、気付けなかったんですよね、社会人の9年間。いつの間にかすっごい偏屈になってることに気付いちゃって。

「そんなにお前に誰も興味なんてないんだから、とりあえず誉めてくれた人には感謝したら?」

って言われた瞬間、なんか少し涙腺ゆるんじゃったね。

すごく最近、仕事ができなかったんです、僕。物理的に手に力が入らなくなって、携帯の文字打つのがやっと、みたいな。

今の仕事にふさわしい人間じゃないと思い込んで。

でもこれって、誰にも決められてなくて、誰にも判断されてない。

勝手に理想像を自分で決めて、出会った人が皆僕のことを知ろうとしてくれているという妄想をしていた。

自分が何をしてもふさわしくない人間だという設定にしてたんでしょうね。設定6くらい。

 そう思うと勝手に自分の立ち位置を決めて、勝手に逃げてる自分がすごく小さく見えてきちゃって。

なんでも素直に「ありがとうございます」と言える人間から遠ざかっていて、ね。僕がね。

 この言葉かけてもらえて、元気に明日も会社行こうって思えたんですよ。

それだけ。

意外と悩みって現実と解離した一方通行の理想からきてるのかも。

これから性格良くなるばっかりだな。

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