『夢みる小学校』感想

山梨にあるとある変わった校風の学校をメイン舞台にしたドキュメンタリー映画。
その学校の何が変わっているかと言えば、普通あるような基礎的な授業科目、、国語算数理科社会といったものはない。あるのは、プロジェクトとキソという項目
なんだそれ?ではあるけれど、つまり何から何まで自分達で決めるということ

何から何までとは?
まず、子供たちはいくつかある教室に入る
食べ物、物作り、アート、、それぞれの教室によって違う内容を一年かけて突き詰める。
突き詰める内容も生徒が決め、どうやったら上手くいくか、取材するか、どんな日程で行うか、全てを生徒が行う
つまり、何から何までだ
ちなみに、取り上げられた授業は蕎麦作りだったが、蕎麦屋に取材に行って何度も試作も繰り返す
なんなら蕎麦粉から作ったりもする

先生はいない。大人と呼ばれるアドバイザーがいるのみだ

規則もない。

一見自由に見える。自由な校風
自由で柔軟な子供たちを育てる、、

ただ、そうではないように見えた。不自由というわけではない。ただ、自由というよりは共同体にいかに馴染むか、自分のポジションを確立して生きていくかを教えているように見えた

例えば、皆でミーティングがあれば司会役がいて、論理的に話を整理する子がいる。電話で取材を交渉する子もいれば、料理のやり方を知っている子がいる

全員で一つのことを成そうとしている
それは、ある意味で昔の村的な共同体を取り戻そうとしているのではないかと見えた
その証拠に、ここでメインで出てくる学校は『子どもの村学園』と名前がついている

そもそも、自由な子どもは学校なんて行かずに、家で1人黙々と何かを企てたり、ゲームやったり漫画読んだりしているに違いない。ただ、本当の自由は余程の天才でない限り、社会に適応出来ないというリスクを生む

少し逸れたが、考えると、今の学校は分からないけど、30年前の自分が受けた教育は軍隊式というかんじだろうか。整列していかに皆と同じことをするかを教えられる
テストの点数もあくまで他人と比べる指標

軍隊式の教育に疑問が投げかけられて、きっと長く経っている。素人の自分でもそう思う
軍隊式に教えられると、皆横一線であることから、社会で自分のポジションを見つけられない。何故なら、今は会社でも軍隊式な働き方は時代遅れになりつつあるからだ

社会とは共同体の集まりだ。自分とは何者なのか?つまり、自分は共同体の中でどんな役割を果たせるか?を突き詰められない
しかし、それを小中学校あわせて9年間考え、色々と試せる。自分とは何か?どのポジションで生きることが出来るか。共同体で生きていく術を得ることが出来る

自分のポジションを得れないこと、つまり居場所がないことに悩み、孤独になっていく人が数えきれないくらいいる中で、それはどんなに生きやすくなるだろう

そういう意味でも、素晴らしい教育のあり方に見える
しかし、一つ疑問がある。
村から人が孤立することはないのか?という
映画内で、孤立しそうな生徒に自主的にコミュニケーションする生徒が映されていたことからも、共同体の中にいれば見捨てられることはない
ただ、共同体の指針から外れた場合は?つまり、村の掟から外れた場合はどうなるのか?

軍隊式はたしかに、時代遅れで主体的に働く人を育まないかも知れない。ただ、例えば単純作業をしたい人は?それが得意で、それしか出来ない人は置いていかないだろうか?そのリスクから、村タイプの学校が広まっていないのではないかとも個人的には思う。
とはいえ、単純作業が次第にAIにとってかわられている今、仕事が無くなっていく可能性が高い。そう考えると、社会の仕組みとして、村の掟からあぶれた人たちをすくう制度まで含めた仕組みが作られることが、この学校がもっと広まることに繋がるのではないかと思ったりする。

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