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私が教師としてこだわっていたことを思い出した。

「てる先生は、すごいんですよ…」
「若手3人でてる先生の言っていることをやってれば間違いないって言って 
 たんです。」
「職員会議の時も週案になんだかいろいろ書き込んでいて
 パッと指摘して、また書き込んで(いやあ、内職してたのかも)」
ってめちゃくちゃ尊敬してるみたいに言ってくれていたけどそんなことは特になくて恐縮。

彼が新卒3年目の時に私と組んだその先生が我が家にのみに来た。
今は夫と同じ職場となって…

その先生が色々言ってくれてたことで思い出したことがある。
(今もそうだけれど、あまり意識しなくなっていた。)

それって…

そのままの普段どおりが大切

ということだった。

授業参観も
研究授業も
そういえば、いつも通りの授業でやっていた。

普段やっていない短冊を描いたりだとか、掲示物を作ったりだとか
そういうことをするのが嫌だった。
大体、普段の授業に生かせないものをやっても意味はなと思っていた。
だから、何があっても定時退勤。
普段通りだから当たり前。

彼の言葉から思い出させてもらった。

そういえば子どもたちにも
「先生って特に変わらないね。」
って、よく言われたな。

だって、気負ったってごまかしたって
そこまでが自分の力で、
そこまでしか子どもの力を伸ばせられなかったのも自分の力で、
それ以上でもそれ以下でもない。

逆に、人が来るからって良い格好する必要ないし、
「そんなときだけ頑張ってごまかさないで!
 ふだんの自分を見てもらえるようにならないとね。」
とも言っていた。

その時、その時で普段通りやれる自分でいいって。

それで、悪く言われたら私のせいだし、
よく言われたら子どもが頑張ったから。

おとなは、子どもにウソをつくなとか、正直にっていうけど
先生が、何かの時に違うことをやっているのは
子どもだって敏感に察知する。

だから、いつもどこでも
見せられる自分でい続けるために
必至で学んでいたなぁと思った。

そうだ、子どもの前に誠実に立っていたかったから
学んでいたんだ。
それは、無駄ではない必要なことだったと
思い出した。

最近今までの私は何だったんだろうと思うこともあるけど。

小学生くらいは(本当はずっとだけど)

建前とか
なんか、人の顔色をうかがうとか、
そんなじゃなくて
自分を自分のまま安心して表現していてほしいな。

そんなことをふと思い出した。

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